7月5日例会
夕涼み七夕ウォーク 12km
大磯駅前から夕暮れどき海岸線、相模川沿いを歩き、街に灯りが点る頃、平塚八幡山公園で解散、後は思い思いに平塚の七夕を観ましょうという企画である。コースリーダーは長谷川さんと近藤さんである。
集合場所は駅前の澤田美貴記念館前の小広場である。戦後、澤田さんが私財を投げ打って運営した混血孤児の施設、エリザベス・サンダーホームズの跡は、現在、彼女が収集した隠れキリシタンの資料ととも記念館として、その偉業が伝えられている。
記念館前を出発したのは4時15分。海岸に向かって緩い坂をものの300mも下ると国道1号線に出る。信号を渡ると西行法師の「心なき身にもあわれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」の詠歌で知られる鴫立庵である。立ち寄りたい所ではあるが、庵なので大人数でどやどや入る所ではない。せめてその脇を流れる綺麗な小川に沿って歩こう。鴫立庵の横に湘南発祥の地の碑が建っていた。だがその静寂は、海岸線に沿って造られた国道134号線(西湘バイパス)の騒音によって破られる。高速に沿った道を左へ、つまらない道と思ったが町営照ヶ崎プールの手前にオベリスクの形をした碑が建っていた。目を凝らしてみると、日本最初の海水浴場発祥の地とある。大磯は明治以降、避暑地、別荘地として発展したところ、今度は一人でじっくり訪れたい所である。
大磯港の先が大磯海岸海水浴場である。海の家が5〜6軒出ていたが、まだ梅雨明け前とあって開店休業状態であった。進路を北北東へとり砂浜を歩く。夕凪に入ったのか蒸し暑い。波は穏やかである。靴が砂にのめり込んで歩きにくい。20分ほど歩いたろうか。砂浜から上がって堤防の側道を歩く。
花水川の河口着5時5分前、小休止。後ろを振り返って見ると、53次、広重の描いた高麗山のシルエットがくっきり、広重は大分デホルメしている。花水川橋を渡ると平塚市。魚が飛び上がり躍っている。聞くとボラだという。
河口に古い石碑が建っていた。「天下名勝史跡四五河川当選記念 花水川河口 横浜貿易新報社」、和澤さんがデジカメで撮影していたから、HPで公開されるであろう。
再び海岸線を歩く。海から心地よい風が伝わって来るが、時々、砂防のため作られた竹のフェンスで海の景色が遮られる。夕闇の渚、サングラスの若い女性が犬を散歩させている。写真になる風景である。
市営プールのある所から今度は砂防林、黒松と湘南の木トベラの中を1列になって歩く。誰かが「湘南の密林だね」という。所々に自由契約労働者のお住がある。砂防林を抜けると平塚ビーチパーク、5時半、ここで軽食休憩、スタンプとなる。スタンプ係りは食事もとらずに押捺に忙しい。6時10分出発、再び砂防林の中を通るが、今度はハマユウの花が所々に見られた。
砂防林を抜けて海岸に出ると平塚新港(船溜)、その先、相模川河口に到着、北北西へ進路転換し相模川の右岸を上流に向かって歩く。途中、平塚漁港を一回り、魚市場があるので魚臭い。しばらく堤防の上の舗装道を歩く。屋形船が2艘、岸に停泊、これからかき入れどきのシーズンである。東海道線の鉄橋の手前から川原に下りて河川敷を歩く。しばらく歩くとグランド、その先が長瀞お花畑である。
「この花なんの花」「手前がローズマリー、まん丸な格好をしたのがラベンダー」「暗いのによくわかりますね」「鼻がいいからね」。駄洒落主は出発時、会長から「お会いするのは1年振り、七夕ですね」と言われたジョーカーのTさんであった。「もう時期は過ぎたようね。ラベンダーが咲く頃に来たいですね」「来年ゆっくりウォークで考えますよ」と浅田さんが言う。
トイレ休憩の後は見るべき所なし。日もとっぷりと落ちて誘導灯を頼りに一気に解散地の八幡山公園を目指す。8時少し前、解散、後は皆さん、三々五々、七夕会場の中心街へと足を運んだご様子たった。
(2002・7・7 会員番号42 八柳 修之)