一寸メルヘンな話
赤い靴
  9月2日は語呂合わせで靴の日なそうである。毎年、JWAが日本ゴム履物協会と共催で「くつの日記念ウォーク」を開催、本年は数えて6回目を迎えた。99年第3回横浜コースに参加したとき、こんな楽しい歩き方もあると教わったお話の紹介である。
  コースは山下公園の「赤い靴を履いていた女の子像」の前をスタートし、港の見える丘公園、外人墓地、元町商店街、中華街、大通り公園、伊勢崎町商店街、掃部山(かもんやま)公園、みなとみらい21、赤煉瓦倉庫、そして山下公園に戻るという10キロ、典型的シティーウォークである。
  お偉方の挨拶後、参加者全員で赤い靴を歌ってからのスタートである。赤い靴の歌、なんとなく物悲しく、これから勇んで歩こうという人には元気が沸いてこない。人形の家を過ぎた辺りで、老紳士が声を掛けて来た。こちらも一人歩きの様子であった。
 「さっきの赤い靴の歌、だれの作詞か知っていますか」「いいえ、知りませんが」「野口雨情、十五夜お月さん、七つの子などの童謡や、船頭小唄、波浮の港など作っていますよ」「野口雨情、名前は聞いたことがあります。よくご存知ですね」「いや、昨夜調べたんですよ、知ると誰かに喋りたくなる性分なもんで」「結構じゃないですか」「大正や昭和の初めの頃、かなり裕福な家庭でないと子供は革靴を履いていなかったと思いますよ」「田舎で育ちましたから、下駄がズックでしたね。しかも、その女の子は赤い靴を履いていたんですよね」と私が相槌をうつ。「赤い靴に、ベルベットの洋服を着て、髪にはリボンを結んでいた。フランス人形のようなくるっとした眼の金髪の女の子を想像したいですね。そんな女の子、子供の頃いませんでしたか」「フランス人形のようだと思った子はいましたよ。でも革靴を履いていたかどうかの記憶はありませんが」「誰にでもそんな子の想い出はあるんですよね」と今度はその男が相槌をうった。
 「なぜ、女の子は横浜の波止場から、船に乗って異人さんに連れられて行っちゃった、と想像したことがありますか」と男は話を続ける。「子供の頃、よく母親から人さらいの話を聞いていましたから、あまり可愛いので不良船員にでもさらわれて行ったと思ったものですよ」「そうですかね。私はこの女の子は合いの子、ハーフであったのではないかと、想像したいんです。ハーフには美人が多い。フランス人形のように可愛い、父親はアメリカ人、母親は日本人、素性のよくない女なんて想像したくはありません。正式な結婚をしていたかどうかは別として、元町の高台に住んでいた。父親の都合で帰国することになる。母親には一緒にアメリカへ行けない事情があった。父親はこの子がハーフなるが故に、将来日本では差別されると思って連れて行った。この女の子と一緒に遊んでいた男の子の淡い気持ちを唄ったものであろうと想像したいですね」と、男は一気に喋り捲った。
  今日はメルヘン・ウォ−キング。メルヘンな話で脳が活性化され想像力も高まったような気がした。 
1999/9/2記 会員番号42 八柳 修之