随想 二本足の動物 寺尾 亮
 さる大学の保健体育科の試験で、「歩く」とはどういうことかというテーマの小論文を課した。結果は惨憺たるものであったと、担当の教授から聞いたことがある。「歩くって、お前、つまり歩くことだよ」と後はぐっと答えにつまる。普段質問を発しても、納得のゆく答えは得られないのも道理である。あまりにも当たり前すぎて考えたこともないのだ。

   スポーツに「競歩」という競技がある。規格では片方の足は地面を踏みしめ、もう片方の足を持ち上げて前方に踏み出す。これを交互に反復する。ここで大事なことは、必ず片方の足が接地していなければいけない、ということである。これを崩せば駆ける、飛ぶ、撥ねるという行為になるので禁手、いや足だから禁足を犯すことになり競技失格となる。

   古代中国の民間伝承に“邯鄲の歩”という奇談があった。昔ある男が田舎暮らしに嫌気がさして、趙の国は花の都邯鄲に上った。彼は富と教養を独占する長衣階級に憧れていた。男はかくありたいと必死に努力し、ほどほどに小金も貯め、書物も読み、長衣も一通り整え、見かけは長衣になった。長衣階級の人は、独特の優雅な歩き方をする。頭に冠をつけ、沓を履いた足元まで裾を引く打ち掛けを羽織り、楚辞の一節を口ずさみながら、足をすっすっとまっすぐ前に出して歩く。今風でいえば、ファッションショウのモデルの歩き方だ。男は訓練して、なんとか長衣族の歩き方ができるようになった。と思って、夕方、街の料亭に出かける。途中の路地は汚い貧乏人で溢れている。彼らは短衣階級である。着ているものときたらつぎはぎのおんぼろ、草鞋を履いている者などいい方で、ほとんどが素足である。居酒屋や屋台にたむろし、ひまわりの種をつまんでは、焼酎をのどに流し込み、雀のように囀りまくっている。かれらを軽蔑しながら男は得意になっていた。短衣たちは板につかない男の歩く風体を見て、成り上がり者と見抜き、「よーよー」と囃し立てる。

   あまり月日をおかず、男は無理が祟って破産し債鬼に追われる身となり夜逃げした。邯鄲の歩は半可通、もとの田舎歩きもすっかり忘れてしまった。歩いては転び、転んでは歩いた。ついに這って帰える羽目になった。「馬鹿が犬になって帰ってきた」と村人は笑った。

   赤ん坊は、這えば立て、立てば歩めの親心に刺激されて歩み始める。立ち上がり、ヨチヨチと歩いては転び、立ち上がっては歩き、また転ぶ。長じての三日坊主も怠け者も、この時期の歩行訓練だけは絶対にやめない。そんなもんきついからヤーメタといって、歩くのをやめた赤ん坊の話は聞いたことがない。歩かなければ四ツ足、すなわち獣になる。努力なくして人間になれないのだ。赤ん坊は先験的に本能的にそれを知っている。直立して歩くことが、人間の存在にとっていかに重要な意味を持つのか、あまりにも当たり前なので、私たちは考えることもしない。

   古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、人間の本質を発見するために、あらゆる種類の生き物(森羅万象)のカタログを作り、あらゆる物と人間の違いの相をたまねぎの皮を剥ぐようにして、剥ぎ取り核心を掴み「これが人間の本質」だ!と叫んだ。人間とは「二本足で歩く動物」と定義した。ナアーンダ当たり前ではないか、そうなのだ。ソクラテスは当たり前のことをいったのだ。