随筆
干支と古社寺探訪
大牟田 宏
  その年の干支に因んで、干支にかかわる古社寺探訪を始めて8年目になります。
  
  さて、今年は未年(羊)。羊にかかわる古社寺は、とうとう見つけることができませんでした。当初、干支にかかわる古社寺探訪を思い立ち、向う12年間を展望した時も思い当たる材料はありませんでしたが、未年まで7年もあるので、何か探し当てることができるだろうと安易に考えているうちに、7年が経過し、何も得ることができませんでした。


 羊は外来種。藁をも掴む思いで世界四大文明展に出掛けてみました。

   エジプトでは、アメン神の聖獣として牡羊の頭をもつスフィンクスが造られたり、牡羊の頭をもつ男性で表される神もいました。また、メソポタミアでも、女神イナンナの聖獣として羊が円筒印章に彫られているなど、動物にも神の存在を重ね、崇拝の対象としてきたようです。

   これがインダスでは、羊は農耕生活の役畜となり、身近な動物として玩具や飾り物などの形をした土偶となって数多く発掘されています。

   さらに、中国では、羊は六種の家畜のひとつに数えられ、陽陵の陪葬坑(ばいそうこう)から六畜の動物俑(よう)が出土するなど、食用や綿羊として飼われていた様子が窺えます。また、唐の時代になると十二支が装飾された金のベルト(十二生肖金帯、じゅうにせいしょうきんたい)や人身獣首で広袖の袍を着ている十二支の陶俑(十二支生肖陶俑)が墳墓から出土しており、時刻や方角を表す十二支と十二種の動物との組み合わせを示した十二支が生活習慣の中に根を下ろしている様子も窺えました。

   さて、日本では、599年に百済から羊二頭が来たと「日本書記」に書かれており、平安時代には朝鮮半島や中国大陸からしばしば渡来したようです。しかし、平清盛が1171年に羊五頭を院の御所に献じた頃、たまたま疫病が流行し、この原因が院の御所で羊を飼っているからだという噂が広まったこともあって、献上した羊が返されたという記述が残っているようです。

   羊が渡来するのと時を同じくして、往来貿易が盛んになった大陸から流行病がもたらされたのも事実のようで、したがって、羊は中世の人々から忌み嫌われ、縁の薄い存在となったのでは、と変に納得しました。