雑感 |
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札幌市北区に屯田・新琴似という昔社会科の教科書で読んだことのある地名がある。いずれも北海道開拓時代の名残の土地で、特に屯田地区の北部には当時をしのばせる風景があちこちに残っている。この二つの地域に挟まれて、屯田西公園から南東に向かってJR学園都市線(札沼線)のガードを過ぎたところまで、幅50m.長さ4km.にわたる「ポプラ通」がある。正式名称は都市計画道路ポプラ通という。ポプラ通は、明治時代の開拓期に強い風雪を防ぐための防風林として育った巨木を史跡として残し、クロポプラ、ヤチダモ、シラカンバなどが立ち並び、その間にチップを敷き詰めた道、普通の砂利道がところによっては、3・4本平行に通り、ところどころは脇の草むらを踏み固めた、けもの道が縦横に走っている。
この屯田西公園の南隣りに妹夫婦の家があり、毎年1回は訪ねることにしている。97歳の母が同居しており、母のご機嫌伺いのためである。母は90歳過ぎまで、山陰の片田舎に一人で住んでいたが、長男(筆者)が、神奈川に居続けて帰る様子もないところから、しびれをきらした妹の旦那(義弟)が母を呼び寄せ、はや4年を迎える。したがって長男は妹夫婦に頭が上がらない。その妹が顔を合わせるなり「お兄ちゃん痩せたねェー」という。「ウーン、この歳で恋煩いなんだよー」とごまかしてみたものの冗談が下手なことを知っている妹は、何かガンにでも侵されているかのような心配顔である。夕方姪が遊びに来たときも「おじさん痩せてスマートになったね」と言った。実は内心心配していることがある。一昨年大腸がん検査でポリープが見つかり、評価3と言われた。昨年今年と検便には血が混じっていなかったようだが、ここ毎年1キロずつ体重が減っている。これが続くようだと精密検査が必要だと医者が言う。ウォーキングを本格的にはじめたからだと思いたいのだが医者に行って宣告されることが恐ろしい。
札幌に着いた翌朝、そのポプラ通をウォークした。前日から強い風が吹きまくり、開拓時代の厳しさを想像させる天気であった。曇り空に霧雨が降っていたので折り畳み傘を持ったが、ポプラ通に入ると樹木が風にゴーゴーと鳴っている割には歩くのに風圧はない。さすが防風林の中である。札幌の朝は早い、神奈川とは30分いや気分的には1時間位の時差を感じる。5時半なのに公園広場の草野球は審判が入ってどこかの公式試合だろうか、すでに中盤の6回の表のようである。昔は夏にはサマータイムがあり出勤を早めたのだが、今はないため札幌の人達は出勤前に各々の趣味を生かしているのであろう。筆者は現役時代はじめて夏時間のカリフォルニアを訪れた時、サラリーマンが朝早く出勤し、まだ太陽が中天にあるころ帰宅して、その後ディナーを含めゴルフ、野球、水泳などのスポーツに興じ、あるいは家族同士のホームパーティーを楽しんでいる姿を大変うらやましく思ったことを思い出した。
防風林のチップの道は通勤靴でも歩きやすい。柔らかく弾む心地がする。神奈川のウォークでもたまにチップの道とか階段に出会うことがあり、廃材のこんな使い方があるのかと感心させられた。ホームページを開設して1年が過ぎた。押し掛け女房よろしく、入会早々事務局に開設を申し込み、局でも人選していた矢先であったようで、話がとんとんと進んだ。当初は開設したもののアクセスがなかったらどうしようと心配していたが、何となく評判がよさそうなので、3週間後アクセスカウンターを取り付けることにした。すると1ヶ月経たないうちに1,000件を超えた。中高年が会社でパソコンに悪戦苦闘している話を聞くたびにホームページの対象者は現役を退いた方が中心では、いつまで続くかと危惧していたのである。みるみるうちに5千件1万件を超え、1年後には13,000件も突破した。望外の喜びである。しかし最近少し倦怠感におそわれるようになった。原稿をもらい写真を受け取り、ホームページに載せるためにいろいろ小細工したり新しいソフトに挑戦したりしてそれなりの成果をあげていると思うものの、他のホームページを見るともう一段スキルアップしなければと焦燥感に襲われる。同時に一呼吸おきたいという気持もある。これはある意味でのマンネリ化で、ある程度予想していたので事務局には後任者を早く見つけていただくようお願いしていた。藤沢に帰ったら相談してみようかなと思いながら歩いているうちにJRの陸橋をくぐり、国道231号線に突き当たったところでポプラ通は終わった。歩き始めて40分くらいが経った。霧雨が小雨に変わった。風は依然として強い。物思いにふけながら歩いていたが、普通の歩速だったのだろう。それでも足元のチップを触ってみたが雨に濡れたという感触はなかった。
朝ご飯には、まだ少し時間があるだろうと思い、国道沿いの創成川を同じ距離ぐらい北上し、今度は「さなえ橋」から西に向かってまた同じ距離を歩くと出発点の屯田西公園の北200m.位のところに出るので、これを帰り道とした。屯田緑道(屯田みずほ通り)である。緑道と命名された道を最近いたるところで通るような気がする。その土地土地の地名を入れた名前がつけられてはいるが、なぜか全国どこでも同じ響きがする。道路は国道から市町村道にいたるまでお役所が管理しているせいではないだろうけれど、どうしてであろう。最近高速道路の民営化が話題になっている。北海道の高速道路では、車の数より熊の通る数が多いと揶揄されて国会で物議を醸した。筆者の郷里でも「山陰高速自動車道路建設促進」を旗印に、知事以下官民一体で中央官庁に押し掛けている。そんなに高速道路が必要なのか不思議だ。地元民が高い料金を払って年に何回利用するかを考えてみただけでも、一般国道や県道市町村道を拡幅し必要ならばバイパスを作って踏み切りをなくす、或いはトンネルや橋を作って廻り道をなくすことの方が優先課題と思うのだが。すでに高度成長期時代は終わったのである。高速道路予算を削減し生活道路の改良改善に廻してほしいものである。
緑道のそばには大体において大きなしかも新興の住宅街、住宅団地がある。屯田緑道の北側には市営西屯田団地、緑の里団地、その間には小学校、中学校、二つの公園がある。南側には一般住宅街やところどころに畑があり、屯田の名前をしのばせるものはほとんどなく、たまに石碑をみかけるていどである。畑はちょうどジャガイモの花が咲くころでいたるところで白い花が整然と並んでいた。中に薄紫の花があり、遠くからでは一瞬レンゲ草かと思ったが近づいてみるとこれもジャガイモの花だった。KWA加盟の各協会では、例会の出発式に必ずと言っていいほどの会長の決まり文句がある。「今日一日おしゃべりしながら楽しく歩きましょう」。普段家庭にとじこもっていると他人と触れ合う機会も少なく口がムズムズするからこの時とばかりおしゃべりがはずむのであろう。ところが筆者はいつも口を真一文字に仏頂面で歩いているようだ。修行僧が托鉢でもしている姿であろう(自分ではよく判らないが)「それで楽しいの?」とよく云われるが、夢中で歩いているとパチンコ屋で軍艦マーチをがなりたてていても子守唄に聞こえるのと同じである。ふと我に返り、他人のおしゃべりが気になると歩速をゆるめて後続に回る。こんな歩きでもそれなりに楽しんでいるのだが、理解していただけるのだろうか。今日は一人歩きであったが、風の音、車の音、最後は雨脚の音など気にならなかった。それでも、強風で大木から一枝がどさりと落ちたことに気が付いたのを契機に空腹感を覚え早足となった。
明朝は天気になってほしい。今日とは逆の方向に同じ道を歩いてみたい。また違った想いが出てくるかもしれない。
「人の行く 裏に道あり 花のやま」の心境であった。 (7/10 伊藤 清紀、 7/11 写真撮影)