随想 アンダンテ
   和澤さんの「ゆっくりウォークを世界語に」は気宇壮大ですね。話は東欧からの留学生にゆっくりウォークを説明することから始まり、「日本人の持つゆっくりの感覚を世界の人に理解してもらう事ができれば最高、11月の3days Marchまでに説明文を用意したい」と述べておられます。

   この留学生にとっては、なぜゆっくりなのか理解できるでしょうか。ウォーキングは自由歩行、どんなスピードで歩こうが、途中道草を食おうが、それは個人の自由であろうし、ましてや大勢の人が集団で統制されて歩く方式なんて軍隊でもないし理解できないであろう。この留学生を始めとして日本にやって来る外国人の目に、日本人の姿はどう映るであろうか。「せかせかして気忙しい、食事も早く気の利いた会話も少ない」というのが、外国人の持つ日本人のステレオタイプではなかろうか。あまっさえ、外国人には「日本人は人生をエンジョイすることさえもない人々」と映るかもしれない。

   役員最年長で発案者の浅田さんのゆっくりウォークのコンセプトは、歩く速度の問題だけではなく、歩く人の心、価値観の問題に重きもおいているようにも思える。とすれば、その心を伝える適訳はさらに困難なようで、私にはわからない。そして「日本人の持つゆっくりの感覚」とはなにか、改めて問われると私は答えに窮する。

   だが、ゆっくりウォークを歩く速度という意味に限定し、欧米人と日本人に共通する感覚で説明できるとすれば、それは音楽のリズムで説明できないであろうか。テンポの遅い散歩はアダージョ、ゆっくりウォークは緩やかなテンポのアンダンテ、ゆっくリズム、そして通常例会はやや急速にアレグレットということで。

   ところで、ゆっくりリズムで歩いても、「早すぎる」「神社仏閣では説明を」という方もいらっしゃいます。でもゆっくりウォークといえども、健康ウォークで散歩や歴史探訪とは違いますので、その辺のところはご理解いただきたいと思います。十人十色と言いますが、十人いれば十人の歩き方、目的、楽しみ方には違いがあります。ウォーキング協会はウォーキング人口の増加に伴い多様化するニーズにどう対応するか、常になやましい問題を抱えています。
八柳 修之