FWAウォーカー紹介

八柳 修之
歩測の達人
福井 正彦 さん (戸塚区深谷在住)
 今から200年前の江戸時代中期、日本全国44,000キロを歩き日本地図を作り上げた伊能忠敬、地図作成の基となったのは忠敬の正確な歩測でした。今回はJWA認定の「歩測の達人」、神奈川県で5指に入った福井正彦さんにお話を伺いました。
 「第一回全日本歩測大会」は去る5月3日、東京国際スリーデーマーチに併催されて行われました。30キロを歩いた後でしたので、少し疲れてはいましたが挑戦してみました」「どのようなテストだったのですか」「先ず、100メートル歩いて自分の歩幅を知ります。次にまったくメートル数が分らないコースを3か所歩かされ、その合計メートル数を申告します。その後、3か所を合計した実際の距離数が公表され、申告した距離との差、誤差率によって達人、準名人、名人の各ランクが認定されるものです。私の場合は誤差率0.68%、つまり実際歩いた距離560.96メートルに対して3.81メートルの誤差で達人と認定されました。ちなみに名人位を受けた人は誤差率0.23%という驚くべきものでした」
 「ところで、福井さんのウォーキング歴など伺いたいのですが」「定年1年前、会社の健康診断で成人病の結果が出まして、医師よりウォーキングをしてはと言われました。それから毎日1時間、自宅周辺をウォーキングしました。会社構内のコンクリート道路の継ぎ目が5メートル毎になっていることに気づき、5メートルを6歩、歩幅は83.3cmであることを確認しました。正確に歩測するにはできるだけ足を伸ばすことです。道路の側溝(U字構)の長さは60cmですから、10個で6メートルは歩測の目安になるでしょう。坂道ですと歩幅が狭くなりますから、私は経験的に歩幅を75cmとセットしています。本格的にウォーキングを始めたのは定年になった平成10年6月、横須賀のウォーキングに参加し、そこでIVVなるものを知ってからのことです。FWAには役員の平野さんが、元勤務した私の会社のお客さんであったという縁もあって、9月に入りました。以後、病みつきとなり平成11年12月マスターウォーカー、12年3月飯田の大会をもってスパー・マスターウォーカーを取得しました」
 福井さんは、現在、FWAの役員を務める他、横須賀歩け、横浜歩けにも所属、さらに平成の東海道53次東下り吉田松陰隊にも所属しています。東下りの日本橋ゴールは13年3月となることから、今年9月から平行して六街道ウォーク(ゴールは13年10月)に挑戦しているエネルギッシュなウォーカーである。
 笑い顔で爽やかに語ってくれた福井さんは7人のお孫さんのよきオジイチャン。すでに歩測では伊能忠敬の域に達し、4万キロへの道を一歩一歩と歩むことでしょう。ガンバレ、オジイチャン。 
一期一会を大切に
柳沼 三重子 さん、 倉林 久枝 さん、 浦賀 知美 さん
 6月10日、「あじさいの開成町」例会のお昼休みどき、いつも先頭を歩き、スタッフには顔馴染の柳沼さんと倉林さん、そして今日は見慣れない方が加わり、楽しそうに昼食をとっている三人のグループに一寸お邪魔しました。
 辻堂在住の柳沼さんと倉林さんは、当会が平成9年10月に会員制を採り、日本ウォーキング協会(JWA)に加盟する以前からの常連のメンバーです、お二人ともかれこれ7〜8年ものウォーキング歴の持ち主で、JWA主催の日本スリーデーマーチや東京スリーデーマーチなどの全国大会にもよく参加されておられます。
 そして、ニューフェースは浦賀さん。最近、都内から茅ヶ崎に引越されたばかりで、お友達からの情報で当協会の存在を知り、4月に入会、そして今日初めて例会に参加されたとのことでした。何気なく出発時にそんなお話を聞いた柳沼さんと倉林さんのお二人が浦賀さんを温かく迎え、食事を共にしている最中でした。
「一言で言えばウォーキングを通して楽しみを知ったということでしょうかね。いつか来た道、同じコースでも時期とか時間とかによって、目に入るもの、感じるものが全然違うんですよ。酒匂川の土手に咲いていたお花、お気づきになりましたか、可憐で綺麗でしたね」と柳沼さん。
 「バス旅行で遠く知らない所、森林浴になる所を歩くのもまたいいですね」と山歩きもされたという倉林さん。お聞きすると倉林さんは、毎週月曜日、北保健所で筋力トレーニングをされ、20才代の体力と太鼓判を押された持ち主とか。恐れ入りました。「今日、初めての参加でしたがお二人に親切にされて、これからもできるだけ参加しようと思っています」と浦賀さん。
 「藤沢のスタッフは親切な方が多いんですよ。そう必ず書いてね。全国大会など参加してスタッフの方を見つけると、なぜかほっとしますよ。だんだんと昔から歩いている方が少なくなっていくのは残念ですが、新しい出会い、一期一会が大切ですね」と柳沼さん。スタンプの押印が始まると、倉林さんが柳沼さんの分も押してきますよと言って立ち上がった。「スタンプなんて関係ないけど自分の記録、一つの勲章ですね。孫達へのオバアチャンのプレゼント」柳沼さんは微笑んでいました。
楽しく歩いて1年になりました
山口 照子 さん( 藤沢本町在住)
 スポーツは50うん才までテニス、バドミントン、ソフトボールをやっておりましたので健康には自信がありましたが、腕を悪くしてからは遠ざかってしまいました。
 そんなとき、以前からお知り合いの役員の和澤さんから「ウォーキングは健康によく仲間もでき楽しいですよ」と勧められ、藤沢市歩け歩け協会のことを知りました。しかし、なかなか参加する決心がつかぬまま、一年ほど経ってしまいました。
 意を決したのは昨年5月の引地川ウォークでした。果たしてみなさんについて歩けるか不安もありました。例会当日、藤沢で乗った車中にウォーキング姿をしたお二人をお見かけし、お声をかけました。そのお二人が、そのとき以来お友達となることができた沼田良子さん(昨年3月入会)と吉田 明さん(ウォーキング歴3年)でした。
 完歩する自信はありませんでしたが、途中でリタイアしてもよいとのことでしたので、せいぜい5Kmも歩けばよいと思って歩きました。途中で痛みだした腕の付け根に何度か弱音をはきましたが、お二人に励まされてなんとか円行公園まで12kmを完歩しました。そのときの喜びといったら今でもよく覚えております。それ以来、ウォーキングの楽しさを知り、またお二人とはお友達となることもできFWA主催のウォークのほか、KWA7協会のウォークに積極的に参加するようになりました。
 ウォーキングの楽しさは、お仲間と歩きながら心おきなくお話することにあります。それに四季折々の草花など自然に接することができ、こんな所に野仏とかお地蔵さんがあったなんて発見したときの喜び、それが私のストレス解消になっているんだなぁと思います。
 最初は歩くスピードについて行くのが大変なときもありましたが、リズムの心地よさを少しずつ分ってきたような気がするんですよ。先日、ある団体のウォークに参加しましたが、ゆっくり過ぎて物足りなさを感じましたね。
 ウォーキングでスリムになりましかって。目標はマイナス10キロですが、まだ効果はありません。ウォーキングしますと益々お食事が美味しいんですよね。と笑って答えてくれた山口さん、沼田さんと楽しそうに、次なるウォーキングの再会を約束しておられました。 
ご夫婦でダブル・スパーマスター・ウォーカーを目指す
池上 誠志美保子 さんご夫婦  (大庭在住)
ダブル・スパーマスターとはなにか。JML(日本マーチング・リーグ)の14大会を完歩した人に与えられるスパーマスター・ウォーカー。それを2度達成した人にだけ与えられる栄誉です。今回はすでにご夫婦でスパーマスター・ウォーカーを取得し、さらに金メダル、ダブル・スパーマスター・ウォーカーに挑戦されている池上誠志さん 美保子さんご夫婦にお話を伺ってみました。
 この輝かしい記録に挑戦している池上さんご夫婦にウォーキング歴を伺うとウォーキングを始めたのはごく最近のこと、運動不足を感じ始めた98年5月、朝日の万歩クラブの記事を見てからのことであったという。お二人とも温泉と蕎麦を食べるのがお好きだったので、ウォーキング事始は北信濃のアートウォークでした。その後友人が横浜歩協に入っていたこともあって、2〜3度例会に参加、FWAには10月に入会されたという。
日本マーチング・リーグへの参加は99年2月、南房総千倉の大会が最初、ジャストスタートであった。その後は各地の大会にもれなく参加し、12月の沖縄大会でマスター・ウォーカー、2000年6月には待望のスパーマスター・ウォーカーを取得した。
 このように短期間に達成し得たのはご夫婦とも共通の趣味を持ち、揃って健康であったことが挙げられる。当会の歩友、福井、平野両氏は、お二人のおしどり姿を羨むばかりでなく、お二人とも車を運転されるので、その機動力の差も羨んでいるようである。
 「14大会を振り返り、最も良かったのは、9月の山形鳥海山ウォーク。景色とコースが良かったのに加え、お水が美味しく地元のサービスも印象的でした」「それになんと言っても全国各地を歩いていると、色々なウォーカーとお知り合いになれたことです。6月のオホーツク大会でスパーマスター授賞式の様子を、千葉の方が写真に撮ってくれていて、10月の高崎の大会でその写真を頂いたり、エピソ−ド、思い出は数え切れません」「11月の加古川大会では各会場でよくお見かけする大阪の方が、お孫さんと一緒に歩いている姿を見て、早く私達も孫と歩きたいなぁ、と二人で話したものでした」とこれまでご主人の話に頷いていた奥さんが初めて口を開いた。「その望みは、今年オールジャパン認定の宇都宮大会で3年生になる孫と、ふれあいコース12キロを一緒に歩くことで叶いました」と嬉しそうに語ってくれたお二人でした。
 今後の予定を伺うと、2001年5月の東京国際で金メダル獲得、6月のオホーツク大会でダブル・スパーマスター・ウォーカーの獲得、もとろん、その中にはお孫さんと一緒の大会参加も入っていることでしょう。
 (池上さんご夫妻はその後、予定どおり金メダル、ダブル・スパーマスター・ウォーカーを獲得されました)
ウォーキングにもちょっとオシャレゴコロで楽しく
草刈 サチ さん (横須賀市浦賀在住)
 デザイナーのお仕事をされているという草刈さんは、いつも帽子から靴先までトータルでバッチリ決めて歩いておられます。服装に少し気を使うことで心も弾みウォーキングも楽しくなることでしょう。その草刈さん、昨年11月当会の蜜柑狩りウォークに参加して以来、今回の蜜柑狩りウォークで丁度1年になるということでお話を伺いました。
 草刈さんはゴルフ暦18年の持ち主でしたが、ウォーキング始めた動機は2年前にご自身の健康を考えてのことでした。標準体重を8キロもオーバーし、お医者に肥満解消のためにウォーキングを勧められました。そこで自分なりにウォーキングの本を求め、一日1万歩というノルマとJWA主催のウォーク、年間2,000キロ達成を目標としました。
  当会の他KWAなどの例会には積極的に参加し、なんと驚くなかれ2年間で目標を上回る4,200キロも歩かれたのです。本年は東松山の日本スリーデーマーチに初めてお泊りで参加し、外国からの参加者との交流も行うことができたと喜んでおられました。もっとも初めて6日連続のウォークをやり、2年振りで熱を出していまいましたが、と笑って答えてくれた草刈さん。勿論、減量8キロもクリアです。 
 皆さんこれだけで驚いてはいけません。例会のない日はお買い物などは3つ先の駅まで、ときには5つ先の横須賀中央駅まで歩いたり、雨の日は家の廻りや自宅の階段の上り下りをして、とにかく一日1万歩のノルマを達成しているのです。またカロリー計算をして一日の献立を決めているとか。今日のお弁当だって、歩く距離を考えてどんなおかずにするかを決めるんですよ。ゴルフは1ランド500カロリーしか消費しませんが、ウォ−キングでは800〜1000カロリーも消費するんです。こんなことをさらっと言いのけてしまう草刈さんには生き生きと自らを楽しんでいるというご様子であった。
 こんなスーパーウーマンの草刈さん、ご主人のことが気になった私ですが、ご主人は「我が家の太陽であるお母さんが楽しく過ごして輝いてくれればいい」と言っておられるとか。超ご理解のあるご主人には只々脱帽である。脱帽どころか脱毛となった私でした。
驚きの新人とそのウォーキング哲学
広瀬 敏明 さん (長後在住)
 ウォーキングを始めて、まだ1年余というのに、すでにIVV 3,500kmも歩いたという兵がいると聞いて早速取材することにした。長後在住の広瀬敏明さんがその人である。広瀬さんは「いや、私なんか始めたばかりの新人なんですから、先輩の方々に聞いて下さい」なんて固辞される謙虚なお人であるが、ここで引き下がっては会報に穴が空いてしまう。
 広瀬さんがウォーキングを始めたのは一昨年3月、当会への入会は7月の花火ウォークであった。以来、当会の例会をはじめ他協会の例会には、月平均13回参加されているという。「なぜ、13回ですかって、それはIVVカード1頁が13行あるからなんです。4か月で一冊上げるのを目標としているんですよ」という。
だが実際はこの倍以上も歩いているんです。「ちまちま集団で歩くのは私にとっては準備運動のようなもの、解散場所から自宅までマイペースで歩いて帰ることが多い。大体、毎回25〜30km位は歩いているんじゃないかな」とは驚きである。
 もっとも、広瀬さんは「若い頃、山登りをしていました。退職後も再度山登りを行っていましたが、心臓に懸念もあり途中で倒れたら、どうしようなんて思うようになってから平地に変えたんです」というから、すでに素地が十分あってのことである。
 「うーん、それからウォーキングには金をかけない主義、大きな大会は精々横浜、小田原ツーデーに参加したくらいで、県外には殆ど出ませんし、ウォークのための衣服もあまり購入しません。この帽子は娘の、このジャンパーは息子のお上がりなんですよ」 道理で広瀬さんは洒落た出立ちなんだ。
「あちこち歩いておられるのでお友達も多いでしょう」とお尋ねすると「いや、色々な方とお話しますが、特定の友達は作らないことにしています。次回のウォークの約束なんかするようになると、なにかの都合で参加できない場合、相手に迷惑をかけるでしょう。参加する自由、参加しない自由、一人でできるのがウォーキングの好きなとこなんです」
 人には様々なウォーキングに楽しみ方があることを改めて知った私であった。「あとの17日はどうしているかって、女房が働いているから料理を除く家事全般ですよ。料理は本を見ながらになるから、色々な食材や調味料など調達することになり、量も多く作ってしまい無駄が多いから、女房にあまりいい顔をされないんです」 料理をマスターすれば完璧なご亭主なのだが、一つくらいは奥さんのためにとっておくというのであろうか。
FWAホームページ制作に取組む
伊藤 清紀 さん(辻堂在住)
 「3年前に会社を定年退職、ぽっかりと穴が空いた私でした」と語る伊藤さん。友人に「社会福祉のことを考えて見ないか」と言われ、挑戦してみる気持ちになりました。長年、エレクトロニクスの技術者としての仕事一筋の伊藤さんにとって、社会福祉は全くの異分野でした。2年間通信制で学び、本年1月「社会福祉士」の資格を取得することができました。「元気な熟年の方々を相手に何かお役に立ちたい」というのが、私の思いです。これまでの経験を生かしてパソコンを教えることにしました。現在、(社)日本コミュニティネットワークの湘南支部に所属し、午後はパソコンを教える毎日です。
 ウォーキングとの出会いは、6〜7年前、JRの広告を見て「出羽三山の旅」に参加したのがきっかけです。そこで初めてこんな楽しみ方もあることを知ったのでした。その後、鎌倉歩け歩け協会の春秋の例会に参加したことはありましたが、当協会には本年1月の七福神巡りに初めて参加し入会しました。とのこと。
 話は変わりますが、かねがね当協会はホームページの開設を企画中でしたが、人材難のところ、やっと事務局長の目にとまり、強力な助っ人として広報活動のお手伝いいただくことになりました。伊藤さんからは「これも私の生き甲斐です」と心強いお話をいただいております。
 会報も6月号から、「湘南ウォーカー」と改題し毎月発行となり、6月初旬から、会報は当協会のホームページでもご覧いただけるよう現在鋭意制作中です。改めてご案内しますが、パソコンを触ったことのない方、是非、子供さん、お孫さんのパソコンで、ご一緒にご覧になって下さい。みなさん、きっと「もう一つの楽しい世界が拓ける」ことでしょう。
72歳にして年間3,000キロを歩く
小林 茂雄 さん(西富在住)
 伊能忠敬は50歳で隠居、その後天文学を修め14年間にわたり日本沿岸を歩き測量、日本地図を完成したのは有名な話である。超人ばかりを紹介するのは、本意ではないが、当協会にも驚くべき人がいると聞いてお会いしてみることにした。その人の名は小林茂雄さん、72歳です。小林さんは、昨年1月に入会、ウォーキングを始めて、まだ1年半というのにすでにIVV3,000キロを踏破しているというから、当会の練達の士も舌を巻くのも「むべなるかな」である。
 その小林さん、68歳までフルタイムで会社勤めの後、一昨年11〜12月、市の市民健康課の「健康づくり指導員養成講座」を受講、現在は市の医療センター、公民館で行われるウォーキング教室、筋トレ教室等の補助員として活動、引き続き「健康ふじさわ普及員養成講座」を受講している。ウォーキングは神奈川県、関東を中心に月15〜16回、約250キロも歩き、年間平均3,000キロを目標として歩いているという。「歩く姿が綺麗なんですよ。切れ味が良いとでも言うのでしょうか」とは歩友の猪股さんの小林さん評である。
 小林さん自身、どうしてこんな健康づくりができたのだろうか。「学生時代は器械体操、30代からはサイクリング、そして15年前からは毎朝、テレビ体操、ダンベル、腕立て伏せ100回も実行している」とのことで納得です。
 「ウォーキングして友達ができたのが一番、84歳位まで現役で歩きたいなぁ。そして地域の人々に健康づくりにウォーキングの普及に努力していきたい」と熱っぽく語る小林さん。いつもは歩速7キロで歩くという小林さんですが、総会ウォークでは奥さんとゆっくりウォークでした。
「歩」が「金」となっています
米長  さん (辻堂在住)
  米長さんが当会に入会してウォーキングを始めたのは、99年暮れの鎌倉歴史探訪「朝比奈の切り通し」、ウォーキングをしている知人の勧めによるものでした。
3年前、60歳で定年になった米長さんは、「毎日勤務の家族を支えるために働く人生は終わったんだ、これからは楽しむための人生にしよう」と考えを切り替えました。「月に10日働いて20日はエンジョイしよう。20日のうち10日はウォーキング、10日は好きな落語を聞こうと決めました」
 「これを見て下さい」と言って、米長さんは手帳を取り出しました。拝見すると、カレンダーがぎっしり埋まっていて、前月の毎日の行動が三色に色付けされているのです。月末に当月の結果が集計されています。「えーと、5月は顧問として出社した日10日、ウォーキング12日、落語9日です」
 「ウォーキングは楽しいから歩くのです。私は何キロ歩いたとか、判子を貰うとか、わき目もふらず一心不乱に歩くのではなく、名所旧跡、周囲の景色、木々や山野草の変化を楽しみながら歩くのが好きなのです。当会を含めて4つの会に所属していますが、それぞれ特徴があって面白いですね。サラリーマン時代と違って、いろいろな人達と知り合うことができます。特に当会は魅力的な女性が多いので、そのパワーを頂いて若返りました。70歳を超す人が元気にウォーキングしているのを見ると、10年先の自分が見えるんです。死ぬまでに有り金を全部を使ってしまうことが理想ですが、生きているうちになくなりそうなのが悩みです」
 米長さんは面白い人だと思ったら、将棋プロの米長邦雄永世棋聖のお兄様でした。「私が弟に将棋の手ほどきをしたんです」という米長さんでも、先は読めないようですが、米長さんにとって「歩」はすでに「金」になっているようでした。お後がよろしいようで。 
世界を股に歩く
鹿野 昭俊 さん (瀬谷区在住)
  鹿野さんがウォーキングを始めたのは、1990年1月、県央主催の瀬谷八福神巡り、59才のときでした。以来、今日まで12年余、日本マーチング・リーグ(JML)のスーパーマスター、金メダルを取得したにとどまらず、海外にまで足をのばし、インターナショナル・マーチング・リーグ(IML)・ヨーロッパマーチング・リーグの両マスターを取得されました。来年、オーストラリア、ニュージーランド参加を以って環太平洋マーチング・リーグのマスターを取得、鹿野さんは念願の世界制覇を果たすことになる。
 「最初の海外遠征は94年の台湾でした。きっかけは、93年、瀬谷区のフライングディスク・ゴルフ協会が台湾との親善試合のとき、予定していた人が行かれずピンチヒッターとして台湾へ行った際、当時の江橋慎四郎JWA会長にIMLの話を聞いたからのことでした」「ヨーロッパへは95年のベルギー、スイス大会が初見参、97年のオランダ80回記念大会では、65才を超えていたので、ノルマでは30Km×4日間のところ、申し込みの手違いにより50Km×4日間を完歩してしまいました。今ではよい思い出となりました」と鹿野さんの回顧談は尽きない。
 鹿野さんはまた写真の趣味をお持ちで、海外ではウォーキングの際、沿道の風景や草花などを撮影しておられます。「海外ウォークの際はフイルムを一日一本の割で撮っていますが、よいと思う写真は一本一枚程度です。スイスの山々を撮ったものは大きく引き伸ばし、友人に送り喜ばれました。カナダでは黄色の水芭蕉、桜の町並木等、思い出になるものも数多くなりました」と鹿野さんはもう一つの趣味の楽しさを語ってくれました。
 「欧米を歩いて感じたことは?」「一言で言えば成熟した市民社会、ウォーキングについていえば、マナーがよい、がつがつしていない、休憩所では必ず休みウォーキングを楽しんでいる、特に女性の歩くスタイルは格好いいね」「鹿野さんだって、いつも短パンが似合い格好いいですよ」と傍で聞いていた長津さんが口を挟む。「環太平洋マスター取得後は?」「その後は慎む予定です」「慎めないねぇ」と長津さんと私は思わず顔を見合した。 
夫唱婦随のウォーキング
 敏昭 さん (遠藤在住)
  濱さんは定年少し前まではジョギングをしていましたが、膝を痛めてからはウォーキングに転向しました。現在、週2回、東京に勤めに通う以外、少なくとも週3日は毎朝7時頃から約40分、大庭公園3周(約3キロ)のウォーキングと鉄棒などのアスレッチックで身体を鍛えるのが習慣となっています。当協会への入会のきっかけとなったのは、正田春雄さん(副会長)との出会いでした。いつもスタートする時間にウォーキングを終えて帰る人がいました。正田さんでした。何時とはなしにお互い声を掛けるようになり、正田さんの勧めで4年前入会しました。
 「私は朝型ですが、女房は昼型、つきあってお昼も歩くときもあります」「なにか身体によいことありましたか」と江尻会長が訊ねた。「体重は変わりませんが、少し細身になったようです。お酒が美味しくなりました」「ウォーキングをしてよかったことありますか」「ウォーキングを通じて、友達が出来たことです。正田さんを介して、高塚さんご夫婦ともお知り合いになることができました。また例会では色々な方から、健康に関する情報が得られるのは素晴らしいことです。私たち夫婦は旅行が好きなんです。75才まで海外旅行をするのが目標です。そのため、足腰を鍛えているんです。(注:濱さんはこれまで海外旅行を58回もされている)。
 「今まで行った所でよかったと思う所は」「中国四川省の九寨溝(きゅうさいこう)、尾瀬をすごく大きくしたような所でした。機会があればお薦めします」お酒が入って濱さんは雄弁になる。「なにか例会に関する要望ありませんか。辛口もほしいんです」「景色を見たいなぁと思うとき、一寸止まる余裕がほしいですね。そして出来れば説明があればもっといいのですね」
 「ウォーキングを通しての自然とのふれあい。景色を楽しみたいですね」と奥様も同意見、夫唱婦随、あまり仲がよろしいので、会長共々退散しました。濱さんご夫婦が共に歩む道は果てしなく続く。
サッカーとウォーキングとの出合い
新スタッフ 朱雀 忠士 さん (大庭在住)
  スザクさんとお呼びします。そのお名前が示すとおり京都の出身です。本年4月からスタッフに加わりました。どうぞよろしくお願いします。
 朱雀さんは少年時代からサッカー(以前は蹴球と言っていました)をやられ、第一線から退いた後、指導者として1985年〜2000年までの15年間、実業団サッカーチーム(現在Jリーグで活躍中)の監督をされていました。現在もボランティアで某大学のサッカー部技術指導(コーチ)をしておられます。こんな経歴をお持ちのスポーツマンが、なぜウォーキングを始めたのか、動機をお聞きしたくなりました。
 「動機は二つあります。一つは監督3年目、リーグ戦早々主力メンバーの故障者続出で2勝8敗1引分最下位、精神的に落ち込んでいたとき、先輩(上司)から『おい、監督、元気がないなぁ。身体でも悪いのか? 悩み事でもあるのか・・・』と言われ、つい「そうです」と答えると、先輩は何も言わず・・・「うーん」と・・・急に『どうだ2〜3日休んで気分転換に箱根の温泉と森林浴に行こう』と誘われ、保養所へ行きました。箱根の大自然にふれて見て、歩いて、一杯汗をかき、たっぷり森林浴を受け温泉につかっているうちに沈んでいた気持ちが次第に解放的になり、前向きに物事を考える余裕もでてきました。そして心と体を癒し(リフレッシュ)してくれるウォーキングにはまってしまいました。
 二つ目はある時期、不規則な生活をしていたとき、健康診断で医者にこのままでは成人病になる惧れがと言われ、生活習慣病であるからよしウォーキングをと思い本格的に開始しました。効果はてき面、半年ほどで正常値に戻りました。
 ウォーキングにはサッカーとはまた違った楽しみ方があります。これからも人生に定年はないのだから自然と共生しながら、みなさまと一緒に今日もウォーキングにでかけましょう」と語る朱雀さんでした。
4万キロを歩いた人 
横尾 弘道 さん (鵠沼橘在住)
 伊能忠敬は50歳で隠居、天文学を修めその後14年間にわたり日本沿岸を歩き測量し日本地図を完成、歩いた距離は地球を一周する4万キロ以上にも達した話はよく知られている。
 当協会にも4万キロを歩いた人がおられます。横尾弘道さん(68)である。横尾さんのウォークキング事始は、会社のウォークキング同好会に入会した平成2年4月、56歳のときでした。以来毎日、こつこつと歩き14年1月、ついに4万キロを達成しました。この間12年と9か月、平均すると一年間に3,140キロ、一日8.6キロ歩いた計算になる。とても例会やマーチングリーグに熱心に参加したとしても達成できる記録ではない。そのことについて横尾さんに伺ってみました。
 「長年勤めていた某大手メーカーを退職した後、その能力を買われて特許庁の先行技術・判例の調査・審査をする会社に65歳まで勤務しました。会社のウォーキング同好会はJWAの団体組織会員でした。月1回同好会の例会がありましたが、毎日歩いた距離を記録、幹事に定期的に報告しパソコンで管理するというシステムが出来ていました。このシステムがなかったら、おそらく自分で申請したりする気にはなれなかったかもしれません。距離を意識し始めたのは、5,000キロの認定を受け認定ワッペンを貰ったときでしょうか。また、よい仲間が沢山いたことも大きいですね。同じ職場の仲間で当協会会員には、4万キロ達成の第1号の中村隆一さん、第3号の中村英雄さんがおられます。私は第2番目ということになるのですが、中村隆一さんは14年の11月に当協会に入会された直後、不治の病に罹り一度も例会に参加されることなく翌年2月にお亡くなりました。JWAのベストドレッサー賞を受賞されたオシャレな人でかけがえのない人を失いました。無念です。当協会には、中村さんの遺志をつぎ平成15年5月入会、遠方の例会やマーチングリーグへ出掛けることまでありませんが、毎日、5時半に起床し1時間半、7〜7.5`歩くことを日課としています」
 4万キロへの道は、こつこつ毎日決まった距離を歩くことの積み重ねであることを教えてくれた横尾さんでした。千里の道も一歩からですね。
6年半で4万キロ歩いた
久木園 大作 さん (横浜市港南区在住)
 またまた、地球一周4万キロ達成者が出ました。8月号で紹介の横尾弘道さんに続き、当協会4人目、久木園 大作さん(70才代)が6月30日、6年半にして金字塔をうち立てました。8月30日の例会に参加された久木園さんに大庭城址公園で休憩の際、お話を伺いました。
 「私が『歩き』を知ったのは96年9月15日の朝日新聞朝刊で見た第19回日本スリーデーマーチの広告記事でした。早速、参加、ぶっつけ本番30キロ×3日間、足に大きな肉刺をつくり、指の爪が剥がれてしまったという苦い経験から4万キロを目指して、記録をつけ始めたのは97年1月1日、港南区野庭の自宅から鎌倉の銭洗弁天まで歩いた往復20キロ、66才のスタートでした。三日坊主にならなきゃいいなあと思ったのですが、ともあれ97年は約3,700キロ歩きました。でもこんなことでは10年以上もかかると思いました。2年目は身体も慣れたのでしょうか5,000キロ程度歩いたでしょうか。以来、私は毎朝4時に起床し、4時半にスタートし7時半まで3時間15キロ、昼間5キロ、一日20キロ以上歩くことを実行しています。1か月600キロ、年間7,200キロ、6年で4万キロをクリアできるということになります。このほか全国各地で開催されるJML大会にも参加しています。特に印象深いウォークは、佐世保・島原105キロウォーク、脚を鍛えるための外秩父の七峰ウォーク(42.195キロ)、登山のような宝塚六甲ウォーク(56キロ)などでしょうか。
 5月の佐世保の105キロウォークでは、完歩直前の92.6キロでリタイアしたことは不本意でした。鍛錬して来年、再び挑戦したいと思っています。私はよこはま(YWA)にも所属していますが、神奈川の有志達と「ウォーキング105会」をつくって全国の歩友達の脚力を競ってみては?と夢をみているところです。こんなことを言うとウォーキングは競うものではありません、楽しむものです、と識者達から注意されそう。アッハアッハ・・」
 歩友の当会スタッフ遠藤さんは「全国各地のJML大会でよくお会いします。旅を楽しみウォーキングを楽しんでおられる明るい方です。70代で歩速が6.3〜6.5キロとは驚きです。30キロ位まではとてもかないません」と。スタッフの福井さんも「朗らかな方で、いろいろ教えていただき学ぶことが多いんです」とのことでした。
 最後に久木園さんは「ウォーキングは、よく寝られ、よく食べられ、規則正しいお通じ、それが健康の秘訣です」と。これだけはみなさん、真似ができます。
私達の楽しいウォーキング
 高瀬 光子 さん、岡田 悦子 さん、横川 政子 さん
 私たち横川、岡田、高瀬の三人は、お互い知り合いになり楽しくウォーキングが出来るようになりました。私(横川)が湘南ふじさわに入会したきっかけは、山口照子さん、沼田良子さん、吉田明さん達と知り合いになったことでした。14年1月の七福神めぐりをご一緒させていただいたとき、バス旅行があることを知り「忍野八海」に誘っていただきました。あの「富士山」を見ながらのドライブの一日は素晴らしかったです。
 岡田悦子さんと知り合いになったのは、住まいが同じ川崎で、岡田さんの気さくで無理、愚痴を言わない性格に意気投合したからでした。岡田さんも即会員になりました。その後、岡田さんとご一緒に歩き八ヶ岳ウォークにも一緒に参加しました。役員の方々の案内で下りの険しい道を下ることが出来、「紅葉」の素晴らしい感激の旅が出来ました。
 高瀬光子さんとは他協会で知り合いました。高瀬さんはウォーキングの先輩で、色々参考になるお話やアドバイスをいただき、私ども二人は彼女をウォーキングの目標にしています。
 という訳で、高瀬光子、岡田悦子、横川政子の三人は「馬が合う仲間」、お互いに楽しいウォークを続けています。三人娘のつもりで居りますが.....三婆と云われるかもね????。良き仲間が居ると楽しいウォーキングが出来るので、付かず離れずに相手の良き所を見習い、学び、押しつけがましい事をせずに、相手を思いやる心を持って長続きさせていきたいです。
 湘南ふじさわの会長さんが参加のとき、必ずお話する事をいつも守るように心掛け参加していますが、大勢になると乱れてしまう方々がおり心痛むときがあり残念です。自分達だけでも守る事に心掛けようと話しています。ふじさわのウォークに参加するときは、役員の方々一人一人が笑顔で迎えてくださるのが....とても嬉しいです。気持ちの良い楽しいウォークが出来るのも会員方々との「心の宝物」だと思います。健康で元気良くいつまでも参加出来るように、長く長く続く事を心掛けて頑張りたいと????。
 7月には尾瀬の旅に参加出来「ニッコウキスゲ」が満開で迎えてくれて.....緑に囲まれて静かな心和む一日を過ごすことが出来ました。大勢で感激出来た事、気の合う仲間と旅を出来ることにとても幸せを感じます。今年の10月に三人揃って八ヶ岳ウォークに参加出来ることになり.....モミジはどうか? 山はどんな景色で迎えてくれるのかしらと、9月の末にこの文章を作成しておりますので????。気持ちは八ヶ岳に飛んでいます。お天気を祈りながら....「役員の方々」これからも良きコースを楽しみにしています。
五感で自然を感じながら歩く
平田 伊代 さんご夫妻(平塚市在住)
 毎回、ご夫婦で例会に参加されている平田さんご夫妻はいつもにこやかで、おしどり夫婦として人も羨むほどの仲です。ご夫妻は99年10月に入会以来、ほとんど例会は皆勤、毎年FWA完歩賞を受賞しておられる方々ですからご存知の方も多いかと思います。
 平田さんご夫妻がウォーキングを始めた動機は、潔さんが定年後、ウォーキングは体のためによいと聞いて始めたことでした。そして「お前も一緒にやらないか」というご主人の一言に奥様も一つ返事でOKでした。「だって、私、方向音痴なもんですから主人と一緒でないと駄目ですから」と奥様が脇から恥かしそうに補足されました。以来、平田さんご夫婦はウォーキングに病みつきとなり、当協会例会のほか各地の例大会に参加するようになりましたとのことです。
 お二人で初めて長い距離を歩いたのは、旅行会社の「多摩川の河口から源流の笠取山の山頂までの138km(99年12月〜00年6月まで8回に分けて)でした。そのとき、自然案内人の方が、「目と耳だけでなく五感で自然を感じながら歩くと一層楽しくなる」といわれたのが印象的でした。
 潔さんは2000年の第1回大会完歩に続き2度目の完歩でしたが、03年10月、富士山一周ビックウォーク(主催:日本富士山協会、10月9日〜13日、5日間連続137.5Km)を完歩されました。コースは富士宮市〜30K〜朝霧高原〜32K〜河口湖〜31.5K〜須走・富士浅間神社〜24K〜十里木〜20K〜富士宮というもので95人が完歩しました。「5日間とも富士山が見られ、自由歩行でしたので写真を撮りながらのマイペースウォーク、富士山をいろいろな角度から眺め堪能しました。富士山は円錐で何処から見ても同じだと思うでしょうが、山の形、そして時間によって色彩が変化するんです」と熱っぽく語ってくれた潔さん、傍らでわが事のようににこやかに見守る伊予さんでした。
 潔さんはこのほか若い頃は全然やっていなかった山登りも始め、剣岳、甲斐駒などの登山もしているそうです。そのうちウォーキングで鍛えた奥様もご一緒されることでしょうか。「茅ヶ崎の芹沢スポーツ公園での昼食の際、柳沼さんとお弁当ご一緒にしたのがきっかけで、柳沼さんを通じていろいろな方とお友達になれました。毎回例会に参加されているのはお友達に会いお話するのも楽しみにしています」とのことでした。