紀行文 干支と古社寺探訪 大牟田 宏
  その年の干支に因んで、古社寺探訪を初めて9年になります。

  今年は申年(猿)。古くから、猿は馬の守護者として厩に飼って馬の病を癒し、災いを防ぐという思想があり、その風習が地方の馬産地などに最近まで残っていたようですし、猿を飼育し芸を教え、武家の厩で祈祷をおこなう「猿曳」や、芸をさせて物を乞う「猿舞」など歴史に登場してきますが・・・

 今年は趣を変えて、猿田彦神(サルタヒコノカミ)を祀る椿大神社(ツバキオオカミヤシロ)を伊勢の国・鈴鹿の山麓に訪ねてみました。JR四日市駅から1時間に1本のバスに揺られること55分。乗客数人、とっくに廃線になってもおかしくないのに、律儀に動いている理由が次第に分ってきました。

 神話の中の神々の体系は、天照大神に代表される天神(アマツカミ)と、大国主命に代表される地祇(クニツカミ)に大別されるようですが、猿田彦神はその一方の地祇の祖神といわれています。天神・瓊々杵尊(ニニギノミコト)の降臨を出迎え、日向の国・高千穂峯に先導したという「天孫降臨神話」で、その先導役を果たしたのが猿田彦神であり、目が赤く、鼻が高い威丈夫な容姿に描かれています。その天孫降臨の舞台となった高千穂峯は、私にとって朝な夕な眺め育った「ふるさとの山」だったので、殊のほか関心が深く、今回の探訪の誘因となりました。

 猿田彦神は「地祇の祖神」(クニツカミのオヤガミ)であるところから、そのご神徳は国土・国民の安寧を招き守るほか、「道祖の神」として人の進むべき道を教え諭すとされ、また、「興玉の神」として先達の霊験あらたかといわれ、ウォーキングに携わる者にとっても縁のある存在といえそうです。猿田彦神は倭姫命(ヤマトヒメノミコト)の神託により北伊勢・鈴鹿山麓の現在地に鎮座することになったと伝えていますが、同じく倭姫命が天神・天照大神の鎮まる地を五十鈴川のほとりと定め、ここに伊勢の皇大神宮が営まれたのと比べて、いかに伝承の世界のこととはいえ、神位の高さが偲ばれます。さらに、仁徳天皇の霊夢により「椿」の一字をもらって社名とした椿大神社は伊勢国一ノ宮に列せられています。また、伊勢の皇大神宮が「天神の本宮」であるのに対して、北伊勢の椿大神社は「地祇の本宮」と位置づけられ、全国の猿田彦神を祀る社の総本宮ともなっています。

 ついでながら、天照大神が天岩戸に隠れ、世の中が暗く乱れたとき、岩窟の前で神楽を舞い、その面白さに集まった八百萬の神々が大笑いし、その笑い声に誘われて天照大神がわずかに岩戸を開けて覗いたところを、天手力男命(デジカラオノミコト)が岩戸をこじ開けて天照大神を岩戸から引きずり出すという「天岩戸神話」で、神楽を舞った天宇受売命(アメノウズメノミコト)は猿田彦神の妃神で、椿大神社の境内にある別宮「椿岸神社」に祀られており、神楽、技芸の祖神として崇敬されているようです。天宇受売命は天神・瓊々杵尊降臨の際、瓊々杵尊に随行した五柱の神のうちで、降臨を待ち迎えたと猿田彦神と最初に対面した神とされ、その後、猿田彦神と行動をともにしたといわれています。
  (完)
(管理者・注) 写真は椿大神社(社務所)様の許可を得て掲載しています。  http://www.cjn.or.jp/tsubaki/top.html