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茂呂 日和子 |
初めての富士登山は56歳のときでした。高山病に罹りながら、それでもお鉢廻り、スリ鉢の中迄、縦走出来たのに年月は待ったなし。頂上に立つのが目的で日本一、日本一と繰り返しながら牛歩の如く登りました。
今一度頂上をとの挑戦、今年は台風が多く、3週間待っての登山でした。 三島口―新五合目口から、昼食後12人のパーティで出発、九合目迄何とか少しづつ日暮れを考えて、夕18時、小屋に着いた。疲れすぎて食欲なし、水分の補給、お茶が一番美味しかった。
途中、外国人に声をかけられた。2人連れ。よほど私が辛そうな形態だったのか、よく言えば富士山にこんなばあちゃんが登っている姿を家族に見せたいのか。写真を撮らさせてください、と私の小さな身体、肩を抱えるように手をかけてくれました。また連れの方も、僕も記念にと同じようなポーズで、苦しい登山だけど、此処で国際交流がとれればと思い笑い顔をつくりました。
この情景は下山のときにも同じように声をかけられ、大男の外人2人と国際交流だと思って笑い顔で応えた。外人さんは、フジヤマ、フジヤマと呼びます。一人の方は留学生で卒業したら日本で就職すると云う。フジヤマに毎年登りたいからと日本一の山。見る姿もよいが、登る山でもある。
家から大分雪を被った山が見えるけど、やっぱり登った人でないと見方が違ってくる。夜中2時30分、小屋を出、御来光仰ぎたさの一念で歩を運ぶ。空はきれいに澄んでるのか、星がきれいでした。流星も見られ、この頃は流星群のときだった。疲れもこれで少し癒されて頂上へ、御来光に間に合った。
どっと刻の声、バンザイ、バンザイと叫ぶ。まわりが少しずつ明るくなって、苦しんだ分だけ喜びも何十倍。 下山はもっと、もっと苦しかったけれど、今年の目標は達しました。
完
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竹中さん、後藤さんとともに |
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元気にコーラス(H16年11月八ヶ岳体験教室で) |