池 内 淑 皓
 9月15日230人程が、ヒンヤリと秋風が頬をよぎる藤沢宿の歴史探訪を楽しんだ。
 江戸方見付から上方見付に至る宿内の名所、旧跡、社寺仏閣をくまなく案内してくれると言う企画で、歴史好きな面々には垂涎の企画であった。
 藤沢宿は、江戸から12里で、1日で歩くには少し距離が長い。江戸を七つ(午前4時)に出発すると、高輪(品川)で夜明けとなる。高輪の大木戸は開け六つ(午前6時)に開くから西に道を取る。
 川崎で昼を食べると、日が西に傾く頃権太坂を登る。日が落ちてやっと戸塚宿に着く。丁度10里である。ここから小田原まで10里であるから区切りの良い宿場であった。
老人と女性と子供は程ヶ谷泊まり。目的を持った元気な若者は藤沢宿に急いだ。
 この宿は江ノ島詣の道と、田村通り大山道が通じていたため、宿はたいそう賑わった。当然過剰な飯盛女がいたのである。
江戸庶民は行きに矢倉沢往還大山道(青山通り大山道)や柏尾通り大山道(戸塚)で大山石尊権現に納めの木太刀を奉納して、帰路に田村通り大山道で藤沢に至り、精進落しをする。
さらに、江ノ島道を通って江ノ島弁天にもお参りして、金沢の六浦湊から船で江戸に帰った。ちなみに石尊権現は男の神様で江ノ島弁財天は女の神様である。
 今、私たちは永勝寺で、かつての旅籠「小松屋」で他界した飯盛女の墓石をただながめて残念がるだけである。(写真:永勝寺の飯盛女の墓)

 江戸古川柳に 藤沢で抜き身の者は右に折れ 分かるかな。 完