連載
(2)
― 公園について ―
黒江 輝雄
お勤めに励んでいた頃は、公園とは、日比谷公園とか上野公園などしか連想できませんでした。
ところが、歩き方をはじめてから身の回りになんと公園の数が多いのかと驚かされます。
歩き方組にとって、ひる食(ジキ)をつかったり一服したり、厠(カワヤ)をつかうための場所として公園はかかせない存在です。いつも厠の前には長蛇の列ができます。
昔はこのような光景はなかったでしょう。第一、公園なるものがありませんでした。
その必要がなかったのです。街道筋の周りはいたるところ、山林原野がひろがっていましたから、いわば公園のなかに街道ができ、家が建ち並んでいたようなものですから。
大名やお殿様が鷹狩りとか物見遊山でお出かけになり、途中で催されたときには、にわか造りの厠を用意したそうです。そんな時「殿方」は野の草花の肥やしにしたのでしょう。お女中たちがどうしたかについての説明は、ついぞ物の本で見かけたことはありません。
公園には立派な名前のついたものがほとんどです。公園の大小とは関係ありません。
日頃は駅前のほんの通りすがりにある「ちびっこ広場」でも「日比谷公園」なみの立派な名前がついています。鶴亀松公園、若尾山公園、谷津公園などなどきりがありません。
過日、このような経験をしました・・・私が住んでいる所は、藤沢宿から離れていて、大岡越前守の所領だった茅ケ崎との境目の近くです。
「西羽根沢公園」の近くに所用があって出かけたのですが、さんざん訊ね回りましたがなかなか見つかりません。
あとで判ったのですが、私が探していたのは「にしはねざわ公園」で「西羽根沢公園」ではありませんでした。
他にも「ひがしはねざわ公園」と「東羽根沢公園」があります。いずれも近い所にありますが、所在地は藤沢と茅ケ崎に分かれています。
なぜこのようなまぎらわしいことがあるのかを藤澤宿の「公園みどり課」とかいう役場の窓口へ足を運んで、いろいろとお伺いをたてましたが、差し障りのあることがあるようで、ハッキリとした返事は聞き出せませんでした。地図帳をひろげてみると、なるほど家の真ん中や敷地の中を市境が通っているところが目に付きます。
年貢(市県民税)も多分、茅ケ崎と藤澤の両方に分けて納めることになっているのだろうと勝手に想像しています。
ひとつだけはっきりしたことは、公園の名前はその土地で古来から言い伝えられている呼び名や字名などに因んで、お上がつけているのだそうです。
そのうち、「自由民主ガ丘公園」とか「民主の森公園」や「公明が原公園」などといった公園ができないともかぎりません。― つづく ―