〜寅次郎 ウオークの旅〜
全国各県のウオーキング大会を頻繁に歩き出したところ、妻の友人から「平野寅次郎」と命名されてしまいました。実は私、映画「男はつらいよ」の大フアンです。6年前からJWAオールジャパン ウオーキングカップに挑戦中の寅次郎、残った四国3県のうち高知県・徳島県の認定大会を完歩してきました。残るはあと香川県のみです。
前略

高知県南国土佐編

高知は坂本龍馬のふるさと、四国八十八カ所の各寺を開いた弘法大師 空海や日記文学の先駆者として「土佐日記」を著した紀貫之が歩き、その足跡が残る地。最近ではNHK大河ドラマ「功名が辻」の高知城主山内一豊と妻千代で話題となっています。坂本龍馬は誕生日と暗殺された日が同じ日でその日は平野寅次郎の誕生日という因縁で、他人とは思えない間柄です。もしや生まれかわりではと思った頃もありました。飛行機だと羽田から70分で高知龍馬空港に到着という便利な地とも知りました。でも飛行機が遅れ、安芸(高知と室戸の中間)行きバスは出てしまい、タクシーで6,300円と大散財(ウオーク仲間がいて相乗りで対応)安芸は阪神タイガースのキャンプ地で、宿は二軍が前日まで使用したとか。宿ではウオークで知り合った愛知や埼玉の仲間と再会。一人旅でも同好の友達が全国にいるのは心強いかぎり。


2006年3月4日(土)〜5日(日)土佐よさこいツーデーウオーク実行委員会主催の「第2回土佐よさこいツーデーウオーク黒潮大会」に参加しました。この大会は日本ウオーキング協会認定大会でオールジャパン ウオーキングカップ高知県認定大会です。
第一日目 20キロコース(5・10キロコースもあり)

琴ヶ浜
竜馬を育てた「琴ヶ浜」の眺望
スタートは3月1日に誕生した香南市夜須町のヤ・シィパーク(夜須とやしの木をもじって命名とか)から里山地帯・ハウス園芸地帯の丘から太平洋を眺めて歩き、琴ケ浜がゴール。夏のような白い雲の出た青い空のもと坂本龍馬が「心はいつも太平洋ぜよ」と言った碧い大海原を眼下に春風の中を歩く、まさにウオーキングの醍醐味。民家より多く園芸ハウスが点在する。太陽がふり注ぐハウス内はトマトなどの野菜と花。ナスの生産は日本一だそうだ。歩いているとハウスの脇で「ピーマン持っていきんしゃい!」の声。青々とした採れたてピーマンをいただく。ゴール会場の琴ケ浜では太平洋をバックに昼食の「夜須まるごとバイキング」はグッドアイディアだ。地元採れたての魚とフレッシュ野菜で「ヤ・シィもてなし隊」のお母さん達のおもてなし。8種類の料理が並び、もちろんお代わり自由。手作りメニューも用意してあり。特にナスのたたき、シーラのじゃんじゃん焼き、夜須ぐる煮、フルーツきんとんが美味しかった。
会場では若者達の「よさこい踊り」や太鼓打ちの歓迎もあり。龍馬の妻お龍と妹君枝の姉妹像もあり(お龍は龍馬暗殺後に妹君枝の夫の出身地の和食(わじき)で1年間過ごしたそうだ。近くの和食駅から土佐くろしお鉄道で安芸まで戻る。1両のワンマンカーでジーゼル車。整理券は「和食」と印刷、食堂整理券と同じだと大笑い。宿の夕食に分厚い「かつおのたたき」が出たのはいうまでもない。
第二日目 20キロコース(5・10キロコースもあり)

朝の気温は3度、昼は18度位との予報。スタートは昨日と同じヤ・シィパークで海岸線のサイクリングロードを安芸まで歩き、童謡の里(童謡作曲家弘田龍太郎の出身地)や「功名が辻」で武田鉄也が演じる山内一豊の家老「五藤吉兵衛」のゆかりの地をまわり、安芸駅がゴール。スタートしてすぐに今なお現役の日本最古の手掘石積港湾の手結歴史港湾や船舶通過時用の可動橋を見て天然松林群の中を歩く。遍路みちにもなっていて白装束のお遍路さんに擦違う。散歩中の犬も多い。犬が苦手の寅次郎、仲良くなろうと「土佐犬?」と声をかけるが「違います!」の返事。「高知の犬なのに・・・」とつぶやく。昨日のゴールの琴ケ浜を上から眺める。風景が琴のようで、打ち返す波音も琴の音のようで名づけられたとか。

じゃこをすくう じゃこ丼
「じゃこ」をすくう 安芸名物「朝どれじゃこ丼」
野良時計
歴史を物語る野良時計 竜馬の前で寅次郎も緊張ぎみ
オランダ製カラクリ時計のカリヨン時計の童謡(弘田龍太郎作曲の「靴が鳴る」「雀の学校」の時報メロディーを聞き、昼食ポイントへ。昼食は安芸「朝どれじゃこ丼」。板の上に干してあるじゃこをスプーンですくい、ご飯の上に乗せ、大根おろし・のり・ゆずポンズをかけ、豪快に食べる。苺のようなフルーツトマトも美味しかった。満腹で残り5キロの武家屋敷の面影の残るふるさと地区を歩く。約110年前に米国アンソニアン製の八角柱の構造を独習し製作された白亜の櫓時計で野良仕事の村人に正確な時を知らせた野良時計を見る。ちょうど正午だったが、時報は空襲警報のような別なサイレンが鳴り渡っていた。近くには三菱グループの創始者岩崎弥太郎の生家もあり。ゴール後は土佐くろしお鉄道で高知に出て「功名が辻」で賑わう高知城には目もくれず。坂本龍馬の生誕地を訪ねる。生まれたまち記念館で龍馬の土佐弁で「まっことよう来たねえ!」と迎えられ大満足。ウオーク大会のお弁当は事前申し込みの有料(800円)だが、美味しさとユニークさあり。大食漢の寅次郎にとっては割安感あり。まだ地元からの参加のウオーカーは少なかったが、町・村・地域を上げての大会運営には大いに感謝。もっと高知のことを知りたいという気持ちで南国土佐を後にした寅次郎でした。
映画の寅次郎は意外にも高知県を訪れていません。四国の他の3県まで来ていたのに。

徳島県阿波鳴門編

2006年3月18日(土)〜19日(日)徳島ウオーキング協会・日本ウオーキング協会主催、鳴門市共催、徳島県後援の「第5回阿波えらいやっちゃツーデーウオーク」に参加しました。この大会はオールジャパン ウオーキングカップ徳島県認定大会です。
バスツアーに参加し、大鳴門橋を望む淡路島の南あわじ市の民宿を宿としました。連日、大きな桜鯛(活造り、ほうらく焼き)、海老、サザエ、たこ、牡蠣などのご馳走と地下1000m約8千万年前の地層から湧出する中性ナトリウム・炭酸水素塩泉のうずしお温泉を楽しみました。
第一日目 30キロコース(5・10・20キロコースもあり)

近代的なドイツ館
ドイツ交流のシンボル「ドイツ館」
宿から大渦が眼下に見える大鳴門橋をバスで渡り、30分で徳島県鳴門市撫養川親水公園のスタート・ゴール会場へ。30キロコース名は「BANDOロケ村・歓喜の郷(バルトの楽園)を訪ねるみち」
第一次大戦時、鳴門市坂東は中国から送還されたドイツ兵の俘虜収容所となり、地元民と捕虜の国境を越えた感動の交流があり、解放時に感謝の気持ちを奉げたドイツ兵によるベートーベン作曲「交響曲第九番 歓喜の歌」が日本で初めて演奏された地。この物語は映画化され「バルトの楽園」として6月ロードショー予定。ロケで使われたオープンセットがロケ村として工事中で3月21日のオープン前であったが一般公開されコースに組み込まれていた。阿波踊りのストレッチ体操の後は大会受付で再会した全国大会で知り合った女性役員から30キロ出発式の檄のご指名を受け、全国のウオーカー達の前で檄を飛ばす初体験。

スタートし1時間も歩くと予報どおり雨が降り出した。四国遍路みちは徳島から始まる、その2番札所「極楽寺」で白装束のお遍路さん達に出会う。皆、バスで移動で若い女性が多いのに驚く。お遍路は懺悔や安らぎ・癒しを求める「わけありの人達」と思っていた寅次郎、若い女性に動機を尋ねると「どんな所か来て見たかったの〜」八重歯の笑い顔が印象的だった。ドイツ村・近代的なドイツ館・大正時代のロケ村と訪ね、ドイツとの交流の深さを知る。雨があがったドイツ館前では自転車でお遍路の女性に懲りずに又動機の質問。「卒業なのでけじめにしたいの〜」に「やっぱりか」とつぶやく寅次郎でした。大勢の人とお線香の煙一杯の1番札所「霊山寺」を経由してゴール。ゴール後はバスで渦潮観潮へ。春の大潮の時間で船から間近に見る渦潮はスリルと迫力十分で皆、歓声をあげる。大橋下では瀬戸内海と太平洋が潮待ちで出来る段差を初めて見る。
若いお遍路で賑やかな極楽寺 スリル、迫力満点の渦潮
2番札所「極楽寺」 スリルと迫力満点の「渦潮」

第二日目 20キロコース(5・10・30キロコースもあり)

大鳴門橋
雄大な眺めの「大鳴門橋」
晴れているが風が強く30キロから20キロコースに変更。20キロコース名は「鳴門海峡と鳴門ウチノ海を巡るみち」最初の小鳴門大橋の上では強風で飛ばされそうになるほど。ウチノ海は凪いでいて、浜で鳴門わかめの採り入れ・加工作業を立ち止まって眺める。大鳴門橋のある鳴門公園千畳敷広場で雄大の眺めを見ながら昼食。また風に悩まされながら坂道を下り、最後の土佐泊から岡崎までは3分の渡船。島を歩いていたのを再認識してゴール。雨と風に悩まされた本当に「えらいやっちゃウオーク」でした。大会記念品は鳴門糸わかめとバッチ。バスで淡路島のクアハウスのうずしお温泉に行き、汗を流し、淡路島を縦断、神戸元町中華街で夕食と神戸市役所展望台から大震災から立ち直った100万ドルの夜景を楽しみ、朝帰りの寅次郎でした。

映画の寅次郎は第26作「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」のロケで徳島を訪れています。

                                平野寅次郎 拝