追悼文
さようなら 和澤さん
谷村 彪 

 2007年5月7日、和澤潔さんが亡くなられた。享年76歳。昨年秋口から体調を崩され、病魔と闘い続けてこられた。それに打ち勝つこと叶わず不帰の人となってしまった。
 和澤さんは当協会で長年理事を勤められ、常にウォ−キングに関する蘊蓄を披露するとともに、知恵袋としても当会の発展に大きく寄与された。ホ−ムペ−ジの立ち上げやその運営、例会でデジカメを持って走りまわった後の原稿作成、そしてコ−スマップ作成に新機軸を出すなどされたが、最も顕著なのは、ゆっくりウォ−クの旗であったろう。

 皆さまお馴染みの“かたつむり”の旗である。この旗はゆっくりウォ−クが始まった2年後の平成16年5月、和澤さんの発案で作られた。これは禮夫人との共同作品であるが、当時和澤さんは旗製作の苦労話の中で「女房はウォ−クの旗としてダイナミック感を出すため、かたつむりの目のデザインに苦労したという。出来上がった旗を見て、女房は思ったよりよく出来た、と喜んでいる。どうか、この旗の下、ゆっくりウォ−クが皆さまに可愛がられるウォ−クに発展して行く事を願うものである」と語っている。そのゆっくりウォ−クも今年末で50回目を迎える。“かたつむり”の旗は不死鳥、未来永劫にゆっくりウォ−クを支えていくだろう。ありがとう、和澤さん 

 和澤さんは国内、海外を問わず数々のウォ−キングに参加したが、国内での近年のお気に入りは八ヶ岳であった。当協会と関係の深い八ヶ岳協会の企画には当会の特別ウォ−ク以外にも個人的に何度も足を運んでいる。現地でも顔なじみも多くなり、これから・・・という時に亡くなられたのは、八ヶ岳協会の人達にとっても残念なことだと思う。昨年参加した“ブル−ベリ−とオオムラサキW”の完歩賞(写真入り)は和澤さんにとってはお気に入りの一枚で、現在でも常に居間に飾っている。
 海外のウォ−クは結果的に昨夏のオランダが最後となった。この後体調を崩され不帰の人となったのは、如何に運命とはいえ悔やまれる。

 和澤さんは若い頃から山好きで、学生時代を金沢で過ごしたことから土地柄“剣”など立山にたびたび入山したそうだ。宴席などで山の話になると目が生き生きとし、武勇伝や失敗談などで弁舌爽やかになるのが常であった。禮夫人との馴初めも山がご縁だとか。数年前、後立山の五竜岳〜唐松岳縦走をご一緒したのが山行の最後であったが、苦しい(大変)のに、弱音を吐かず頑張られたのが印象深い。

 頑張るといえば、その典型的なのが弁理士資格取得受験への執念。60代後半から挑戦し6~7年は続けたと思う。「駄目だ、駄目だろう」と言いながらも、いつも赤いアンダ−ラインの目立つ厚い参考書を手から離さない向上心の強さ。恐らく合格は無理だろうと思いつつも「教室の生徒は甥と同じぐらいの若い奴らでね・・・もしも僕が受かったらギネスブックものだね…」と冗談を言いながら頑張っていた姿を思い出す。
 和澤さんは曲がった事の嫌いな人であった。筋の通らない事は顔を真っ赤にし、目を剥いて反論する。そして納得のいくまで説明を求める、そういう場面が幾つかあった。

 
真正直な人、和澤さん。志半ばにして逝ってしまった(かもしれない)和澤さん
 貴方のあの“人懐っこい、優しい目”は一生涯忘れることは出来ません。
 さようなら 和澤さん 安らかに ゆっくり おやすみ下さい。