〜寅次郎 ウオークの旅〜
全国各県のウオーキング大会を頻繁に歩き出したところ、妻の友人から「平野寅次郎」と命名されてしまいました。実は私、映画「男はつらいよ」の大フアンです。

前略
佐賀県 吉野ヶ里編

2005年3月19日(土)〜20日(日)日本ウオーキング協会・佐賀県ウオーキング協会主催の「
第11回吉野ヶ里菜の花マーチ」に参加しました。
伊万里秘窯
伊万里秘窯 大川内山入口
前日18日(金)は唐津・伊万里・有田の観光ツアーで11時頃(二日後の地震発生時刻)福岡空港から唐津に向かうバスの中でガイド嬢の「向こうに見えるお椀をかぶせた形の島が玄界島です」との説明が印象に残りました。二日後の福岡県沖地震で大きな被害を受けるとはつゆ知らずに。
二里も松林が続き名づけられた虹の松原・唐津城天守閣からの玄界灘の眺望、鍋島藩御用窯が置かれた秘窯の里 伊万里大川内山の散策・有田陶磁美術館での高価な焼き物は目の保養となりました。橋・家の表札・トイレの表示(殿・姫)まで陶磁器で驚きました。

第一日目 ふるさとロマンコース(40・20・10・5キロ)

佐賀駅からJR長崎本線で8分の神埼駅から大会シャトルバス5分でスタート・ゴールの吉野ヶ里歴史公園へ到着。公園に近づくと吉野ヶ里遺跡のやぐらが見えてくる。
20キロコースを選びスタート。毎秋、国際バルーンフェスタが開かれる見渡す限りの佐賀平野の中を筑後川に注ぐのどかな田手川沿いを歩くと小さい頃に涙して読んだ長編小説「次郎物語」の下村湖人の生家が最初のチェックポイント。大きく真っ赤な佐賀いちごとあめ湯(しょうが湯)の大サービス。関東からの参加者の「次郎物語ならばサルがいれば良いのに」には大笑い(三代目反省ザルの次郎襲名までの物語のTV放映にかけて)下村先生も地下で苦笑されたことでしょう。折り返しからの城原川土手は満開の菜の花の黄色いジュータン(今年は寒くて遅いとのこと)つくしもたくさん出ていて、つくし摘みを始めるウオーカーも・・
ゴール後は吉野ヶ里遺跡を見学。平成元年に発見され、国の特別史跡に指定された二千年前の弥生時代国内最大級の環濠集落跡。その広さは25ヘクタール以上にも及び公開はまだ一部で復元整備中。濠と丸太柵に囲まれた壮大な光景は近代の砦にも似ており、物見やぐらから見渡すと弥生人達の声が聞こえてくる感あり。佐賀に戻り、汗を流してから3月末まで開催の佐賀城下ひなまつりを見学。鍋島家伝来の幅6mの豪華絢爛の雛人形、旧長崎街道沿いに点在する武家屋敷や商家の歴史的な建物が当時の町並みの面影を残していた。総理大臣で早稲田大学創設の大隈重信旧宅もあり。楠(県木・県花)がいたるところに茂り、掘割が走る市内は「はなわ」の歌の佐賀のイメージとはかけ離れていました。
城原川畔にて 吉野ヶ里歴史公園 物見櫓
城原川の菜の花 会場(後は吉野ヶ里遺跡) 物見やぐら


第二日目 せせらぎロマンコース(40・20・10・5キロ)

城原川の上流沿いを上り、農業の神「仁比山神社」脇から清流 水車の里 遊学舘へ。水車の電力で動く県重要無形民俗文化財「からくり人形 御田舞」を見学。山間部の森林レクリエーション「トムソーヤの森」展望台から佐賀平野を見下ろす。山を下り、麦畑の中の道を歩いている頃が震度6の地震発生時刻。でも地震に気付かず、道であった地元の人に地震発生を聞かされる。地震と同じ揺れで歩いていたためか?歩きに集中していたためか?(家族には「鈍感なのよ」と切り捨てられました)山の中を歩いていた人は岩が揺れたとか。舗装道を歩いていた人は後ろからダンプが2台来る音がしたとか。カーブミラーが大きく揺れたとか。ゴール会場の人はテントから飛び出したとか。ウオーキング例会での地震発生時の危機管理の必要性を痛感。JRはストップし、タクシーの相乗りで佐賀のホテルへ戻る。ツアー仲間で40キロコース参加し、ホテルに戻れない人を神埼駅で拾って福岡空港へ。ツアーの為バスは確保済、飛行機の変更もすべてやっていただき大助かり。予定より1時間遅れで羽田到着。電車利用だったらその日の内には帰れなかったはず。
佐賀の自然・歴史・文化に触れ、地震に遭遇のおまけ付きの思い出に残る旅でした。
映画の寅さんは第42作「男はつらいよ・ぼくの伯父さん」で佐賀の宿で家出してきた甥の満男と偶然相部屋に。満男の恋を応援するべく恋人 泉を訪ねるが、泉の叔母にのぼせあがります。又、第14作「男はつらいよ・寅次郎子守唄」では寅さんは唐津・呼子を舞台に活躍しています。
                             平野寅次郎 拝