オランダ国際ウオーキング大会 体験記
平野武宏

7月18日〜21日オランダ ナイメーヘン市にて開催の「第90回記念大会 国際フォーデーズマーチ」にFWA有志9名(役員7名・会員2名)で参加しました。この大会は世界40カ国約5万人のウオーカーとともに20万人の大観衆の中を歩く、地球最大の歩く祭典で「歩くオリンピック」とも呼ばれています。ウオーキングを始めた時からいつかは行ってみたい夢でした。今年は記念大会なので日本人参加枠が約200名の限定でした。
ナイメーヘン市内のホテルが取れず、ドイツ クレーベ市のホテルから国境を越えて、車で約30分かけ会場に向かいました。
JWA斡旋の日の丸とオランダ国旗のついたオレンジ色の帽子とベストを着て、第一日目30キロコースをFWAの旗を掲げて、皆でスターとしましたが、すぐに外国人の人並みにのみ込まれ、離れてしまいました。
国際フォーデーズマーチ(1日目)の
ウォーク風景
町の中を歩くと家々の前には椅子を持ち出して家族で声援、大きな音楽や楽隊で歓迎し、日本人と見れば「こんにちは!」と声がかかりました。「ニーハオ!」と声をかけられた人も・・・湿度は低いのですが、日差しは強く午後には気温35度を越えたそうで、家々からは水道のホースで水を差し出したり、シャワーを浴びせてくれました。太陽が恋しいヨーロッパの人は帽子をかぶらず、肌丸出しの格好で歩いているのには驚きました。
40キロ・50キロコースと合流すると道は人であふれ、40キロを歩く各国から参加の軍隊のグループが重装備で歌を歌いながら団体歩行していました。
FWAの旗は関心を持たれ、多くの人が「何の旗?」と質問、「日本の有名なウオーキング協会の旗だ」と答えると、「何人くらいいるのか?」ときたので「500名!」と答えると「それは大きな協会だ」と納得していました。
ゴール近くからは川べりで日陰がなく足も重くなりましたが、三人娘の後について元気をもらい完歩出来ました。全員完歩です。ゴール近くでは救急車が多く出入りしていましたが、あまり気にせずホテルに帰りました。

第二日目、朝会場に着くと閑散としていていました。すぐに関係者がメモを持って来て、昨日の暑さで2名の死者が出て多くの人が病気になったので大会は中止となったと説明がありました。報道陣が寄ってきて「大会中止をどう思うか」とインタビューも受けました。
「残念ですが、しかたがない」と答えました。多分この暑さで4日間歩いたら、我々もかなりばてたと思います。地元新聞には大きく報道されていて、どうやら軍隊関係者も死亡したらしい写真や倒れた地点が三ヶ所あるコースマップが出ていて死者は3名に増えた様子でした。オランダ語なので本文は読めず・・スケジュールの空白3日間は第二日目ナイメーヘン 市内ゆっくりウオーク、第三日目アムステルダム観光ウオーク、ユトレヘト ダム教会タワー上りウオーク(465段)、第四日目デュッセルドルフ ダウンタウン ウオークに切り替えました。
FWAから参加のみなさん(右側筆者)

デュッセルドルフでは帰りは地下鉄で帰ろうとしましたが迷い、日本人妻に助けられ地下鉄・路面電車を乗り継ぎ、何とかホテルまでたどり着きました。やはりたよりになるのは自分の足が一番だとわかりました。
第四日目の大観衆の前でのパレードが出来なく残念でしたが、多くのことを体験し、その後のドイツ・スイスの旅を終えて全員無事に帰国しました。不在中にはFWA例会が2回あり、残った役員の方にお願いしました。感謝いたします。
なお、帰国後のJWA情報では死者は最終的に7名、320名以上が病院に搬送されたとのことです。暑さ対策の重要さを改めて知らされた出来事でした。