ウォークメイト(ふじさわ歩友会) 藤沢市後援
わがまち ふじさわの景観130景をあるく
遠藤・御所見の景観と
宇都母知神社収穫祭
2014年
11月30日日)

天気:晴れ 参加者:96名 距離:10km 
コース: 打越公園(スタート)→メタセコイアの並木(遠藤1)→打戻からみる富士(御所見6)→宇都母知神社(御所見7)→勘兵衛地獄→大黒橋→寶泉寺(遠藤5)→遠藤の果物畑(70景)→秋葉台文化体育館(遠藤8・昼食・ウォーキング教室・解散式)→円行公園(湘南台3)


1kmにおよぶメタセコイアの並木 宇都母知神社収穫祭の賑わい
縄文時代の遺構を横目に 浅間神社へ
勘兵衛地獄 寶泉寺参道
イチョウに負けた大仏さま 長屋門のある家
こんな道が好まれる 遠藤武者盛遠祠付近
石川大山・円行間のイチョウ並木 モミジが見ごろの円行公園

写真:八柳

夜来の雨も上がり、快晴とは行かぬまでもよいお天気のスタート。出発は慶大正門から5分の打越公園。今日のウォークの主目的は宇都母知(うつもち)神社収穫祭にあり、それに合わせて日曜日に開催したというリーダーの話。
10時15分頃スタート。慶大正門前から宇都母知神社入口バス停まで約1kmにわたって続く大通りは、両側メタセコイアの並木道、春は深緑、秋には紅葉と色々の姿を見せてくれる。
バス停神社入口から坂道を上り宇都母知神社に至る少し手前、農道を少し入った所に富士山を眺望できるビューポイント(御所見景観6)があるが、あいにくお冨士さんは恥ずかしがって、おめもじかなわず通過し神社へ直行。

宇都母知神社は打戻地区の鎮守で、創立は不明ながら正応3年(1290)、北条貞時が社殿を改修したとか伝えられる歴史ある神社である。祭神は天照皇大御ながら養蚕・農耕の神である稚産霊神も祀られている。この地域はかつて養蚕地帯であったからであろう。現在は野菜、花卉、植木農家が多く、毎年11月最後の日曜日は収穫祭りと決まっているようで、近隣農家から野菜・花などの即売、それに屋台も出て境内は賑わっていた。さすが荷物になる花や野菜を買う人はいなかったが、お昼用のお団子や大福を買った人が多かったようだ。10時45分出発。

慶大敷地の外周道路を南へと歩く。途中、縄文時代、調理場として使われた半地下式の火焚き場跡や、宝暦4年(1754)の富士山噴火のときの火山灰をかき集めて建てたと言われる浅間神社にちょっと立ち寄った。さらに下って行くと、直径2間ほどのすり鉢状の窪地、勘兵衛地獄と呼ばれる所があった。湿地で陰気陰くさく勘兵衛さんの所有であったのでそう呼ばれたという。

大黒橋から小出川を渡り、高台にある寶泉寺へ。この地区内唯一のお寺で開基は小田原北条氏臣仙波土佐守。室町時代の末、永正年間(1504〜21)と言われる。天正19年(1591)徳川氏から21石賜った朱印地でもあるから格が高い。
山門左側の坂道を上って行くと、高さ10mあまりのやさしいお顔をした青銅の大仏が迎えてくれた。平成8年に開眼した新しい大仏さんだった。本堂は関東大震災に遭い昭和元年に再建されたという。境内にはなで仏や布袋石があった。布袋石は叩けば重くなり、撫でれば軽くなるという案内板があったが、読まずして弁慶石と勘違いして挑戦している人が多かった。

寶泉寺から先は、田畑、柿やナシ、ブドウなどの果樹園が多くある昔からの地域のようで、門構え、生垣、屋敷はその富と旧家の風格を感じさせる一角であった。そんな中、遠藤の地名の由来ともなったといわれる遠藤武者盛遠(文覚上人)がこの地を支配していたと言われ、その祠があるという内田家の前を通った。

12時少し前に秋葉台運動公園に到着、昭和59年、完成したカブトムシと呼ばれる文化体育館のデザインが斬新なので遠藤の景観8に選定されているようだ。
昼食後、12時半から完歩者の表彰式、ウォークメイトの12回参加毎の完歩者9名、100景2名、130景2名の観歩者があった。ウォーキング教室後、ここで1次解散、その後、殆どの人が円行公園経由、湘南台駅まで歩いた。途中、石川大山信号から円行信号までのイチョウ並木、円行公園(湘南台3)のモミジは見事であった。(八柳 修之)