村岡の七福神
2015年
01月29日木)

天気:晴れ 参加者:384人 距離:10km 14km
コース: 奥田公園→川名御霊神社→宮前御霊神社→ミズノフットサルプラザ(休憩)→高谷大神宮→ 日枝神社→柄沢神社(10qコースはここでゴール)→柄沢公園(昼食)→荒神神社→弥勒寺→若尾山公園(14qコースのゴール)


奥田公園(スタート前のストレッチ) 川名御霊神社(福禄寿)
宮前御霊神社(寿老人) 相州村岡七福神の掲示(宮前御霊神社の境内)
高谷大神宮(大黒天) 日枝神社(弁財天)
慈眼寺横の坂道、 富士の遠望(渡内・柄沢間の歩道橋上から)
柄沢神社(恵比寿神) 柄沢公園(昼食)
荒神神社(布袋尊)、 弥勒寺(毘沙門天)
若尾山公園(14qコースのゴール)

写真:大牟田

二十四節気・大寒らしく、冷たい朝だった。にもかかわらず、七福神めぐりに400人近い善男善女が集まった。
正月の七福神めぐりは、全国津々浦々に数える暇がないほど沢山ある。かつて某新聞社の読者が決める日本一の七福神は「京都七福神」だという記事を見たことがあるが、いずれも七福神には変わりがなく、ただ、宿る場所の違いにすぎない。したがって、村岡の七福神には村岡のよさがある。
その村岡は900年代に桓武平氏5代・村岡五郎平良文が東征で拠った所であり、鎌倉時代には鎌倉への道筋にあって人の往来が多く、江戸時代には藤沢宿を支える助郷となるなど、早くから人の息吹が残る地域だったようである。
この村岡郷は境川の東側に位置しているため、かつては鎌倉郡に属し、高座郡の郡役所が置かれていた藤沢とは郡を異にしていた。1889年(明治22年)に村岡地区では、弥勒寺、小塚、宮前、高谷、渡内、川名、柄沢の7か村が合併して村岡村となり、藤沢に併合されたのは、1941年(昭和16年)、かなり最近のことだった。

今日は、奥田公園を9時46分に出発して、旧川名村の川名御霊神社の福禄寿から始まって、旧宮前村の宮前御霊神社の寿老人、旧高谷村の高谷大神宮の大黒天、旧渡内村の日枝神社の弁財天、旧柄沢村の柄沢神社の恵比寿神を巡拝したところで、10qコース組はここで解散してバス停へ向かい、残り14qコース組は柄沢公園で昼食を摂り、さらに、旧小塚村の荒神神社の布袋尊、最後に旧弥勒寺村の弥勒寺で毘沙門天を巡拝して、若尾山公園に14時頃のゴールとなった。ふりかえってみると、村岡の旧7か村すべてを、めぐり歩いたことになった。
その中で、川名御霊神社、宮前御霊神社、高谷大神宮には長い階段があり、足腰に支障がある人にとっては難所だった。石段下で失礼する参拝者も数多く見かけたが、神々は咎めることなく暖かく見守ってくれたものと思われる。その社だけでなく、村岡は全般的に坂の多いという印象が残った。日中、日射しがあったので、気温が低かった割には、歩き易い一日だった。(大牟田 宏)