旧東海道を歩く
神奈川宿〜保土ヶ谷宿 探訪 
2015
5月15日(金)

天気:晴れ 参加者:248名 距離:10km 16km

コース: 神奈川通東公園→神奈川本陣跡→神奈川台場跡→本覚寺→神奈川台関門の碑
→沢度中央公園(昼食)→松原商店街(旧東海道)→天王町(旧帷子橋跡)(@ゴール)
→保土ヶ谷駅→金沢横町道標→権太坂→境木立場跡→境木地蔵尊→JR東戸塚駅(Aゴール)

神奈川通東公園でストレッチ 高札場
成仏寺 青木橋を渡る
本覚寺 田中家
案内表示板 沢渡公園
Sコース 天王町で解散 今井川沿いを歩く
本陣跡標識 権太坂を上る
国境標杭

写真提供 川澄、露木

FWAが神奈川宿・保土ヶ谷宿を歩くのは7,8年ぶりらしい。朝から強い日ざしがあったが、京急 神奈川新町駅近くの神奈川通東公園に248人のウォーカーが参加してくれた。コースはSコースが神奈川宿を10q、Lコースは保土ヶ谷宿まで進み16kmである。出発式のあと3班に分かれて出発した

 神奈川宿は東海道五十三次で 品川−川崎に続き3つ目の宿場である。現在でも神奈川宿には横浜開港当時の歴史遺産が多く残っているが主なものは寺である。横浜開港は1859年で、列強各国の公使館、領事館がすぐにおかれたが、幕命によって既存の寺が各国に供与された。異人に占拠されて、先祖供養を旨とする寺や檀家の人々の思いは想像にあまりある。

 神奈川地区センター前で「高札場」(復元)を見て成仏寺へ。成仏寺は幕末に医療伝道師として来日したJCヘボンの居住場所である。ヘボンはヘボン式ローマ字で我々に身近だが、30年あまり滞在し日本近代医学に貢献した。また明治学院大学の創設者でもある。神奈川台場跡、甚行寺(フランス公使館跡)を見て青木橋を渡る。橋下を東海道線や京急の電車がひっきりなしに通過する。
 
 本覚寺の山門をくぐる。1859年アメリカの領事館がここに開設された。この高台から東海道と、間近にある海を一望できたはずである。館員が建物に初めてペンキが塗ったということで、境内に「全国塗装業者合同慰霊碑」があるのがおかしい。なお米国公使館は同時期に元麻布の善福寺に開設され、ハリスが下田から移っている。
 
 本覚寺の急坂を下りて台町へ。ここに料亭田中家があり、坂本竜馬の妻・おりょうが働いていたという。30代半ば、気丈な京女はどんな思いでいたのだろう。北側の高台、高島台に高島易断で名高い高島嘉右衛門の屋敷があった。高島嘉右衛門は実業家でもあり横浜築港、ガス灯など横浜の基礎づくりに大きな貢献をしている。

 横浜市神奈川区が神奈川宿コースを良く整備している。歴史遺産の前の表示板「神奈川宿歴史の道」は、図解つきで分かりやすく、作りも堅牢なことに驚く。街づくりへの人々の熱意が伝わって来る。

 11:30 沢渡中央公園に着き昼食となった。午後は保土ヶ谷宿に向かう。12:10 SLコースに分けて出発した。Sコースは相鉄天王町駅まで3km程、途中に八王子道(絹の道)の追分があり、活気ある松原商店街を通った。天王町駅で解散、IVVを渡した。(川澄)

ロングコースは天王町駅を通過し、天王町駅前公園を通り抜けた。そこはかっての帷子橋があった跡地で「旧帷子橋跡」の標識版があった。この先今井川の「南北橋」を渡り、「西久保町公園」で列詰め休憩となった。
 
 スタート後は今井川に沿って、逗子橋、大門橋、田町橋を過ぎ、今井橋を渡ると、JRの踏切手前の交差点角に「金沢横町の道標」(東海道と分岐し、三浦半島の金沢方面への道「金沢・鎌倉道」)があった。踏切を超え交差点を渡って右折すると、その角に「保土ヶ谷宿本陣跡」の標識があり、本陣の門だけが残っていた。
この先、歩道橋の手前に「一里塚跡・上方見附跡」の標識版があり、この一里塚は日本橋から8番目で、また、見附は見張り所だと説明文に記されている。
 
 歩道橋を渡り、旧国道を暫く行くと、いよいよその名も高い「権太坂」に出た。かなりきつい上り坂が続く。道路わきに「権太坂」の標識があったが、名前の由来はいくつかあるようだ。

光陵高校、権太坂小学校横を通過し、「境木地蔵尊」前に出た。ここは武蔵、相模の国境である地蔵堂が祀られており、国境の印である標杭が復元されていた。ロングコースはこの先、ゴールの東戸塚駅に向い、午後3時前に無事到着した。暑い日であったが、歴史をたどるウォークであった。(露木)