旧東海道 戸塚宿探訪 | 2015 11月05日(木) |
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天気:晴れ 参加者:263名 距離:10km 14km |
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コース: | オーロラシティ(東戸塚)ー→境木地蔵尊→品濃一里塚→王子神社 →伝護良親王首洗い井戸→江戸方見付の碑→戸塚駅@ゴール、Aフォーラムで昼食 →清源院→澤邉本陣跡→冨塚八幡宮→上方見付跡→柏尾川→戸塚駅 |
オーロラシテイ広場(東戸塚) | タワーマンションの前を出発 |
住宅地の広い歩道 | 境木地蔵尊 |
焼餅坂を下る | 品濃一里塚公園 |
王子神社 | 護良親王首洗い井戸跡 |
鎌倉ハム倉庫(大正7年建造) | 江戸方見附跡 |
フォーラムで昼食 | 清源院 |
澤邉本陣跡 | 冨塚八幡宮 |
上方見附跡 | 柏尾川で解散 |
写真提供 石井
旧東海道のウオークは、東戸塚から戸塚宿の史跡を訪ねる。 今日は晴れて暖かく風もなく暑いくらいの陽気となった。東戸塚駅前のオーロシテイの商業施設の4階広場に集まった。 9時50分ごろ、タワーマンションが立ち並び都会を思わせるなか出発、周りには集合住宅がだらけで、短期間開発が進み大変貌したと思われる。広い歩道を行き緩やかな坂を上がると、境木地蔵尊がある。この場所は、武蔵の国と相模の国の境目示す樹があったことからこの名前が付いたといわれる。 今日の旧東海道歩きはここからスタートで焼餅坂を下るが、当時はもっと急坂で旅人にとってはつらい坂であったようだ。茶店があり焼餅を売っていたことから名前が付けられた。焼餅を食べて英気を養い上った思われる。下りきると江戸からの9番目の品濃一里塚があり、こんもりとした森となって公園になって残っていた。住宅地の通る旧東海道をさらに下り、環状2号線を陸橋で渡り川上川沿いを行き、国道一号線を信号で横断して旧東海道を歩き、やがて国道一号線に合流して交通量の多い歩道を行く。 王子神社前の信号で左折して王子神社による。御醍醐天皇の皇子護良親王の御首をここに埋めたといわれ、ゆかりの場所となっている。次に不動坂交差点から旧東海道をゆるやかに下ると、史跡への小径の道標があり寄り道して、護良親王の御首を洗ったといわれる井戸跡を見る。井戸は整備され鉄の格子でふたをされ歴史を感じる雰囲気はない。小径は王子神社まで続いているようだ。 再び旧東海道に出ると、いかにも古いレンガ造りの建物が目に入る。鎌倉ハム倉庫(冷蔵に使用)で日本人によるハム製造発祥の地である。この倉庫は今でも持主が貯蔵庫として使用しているらしい。 ダイエーそばのファミレスの前に江戸方見附跡の碑がある。見附とは宿場町の出入り口で、戸塚宿の入口を示している。吉田橋の手前には江戸から10里(約40km)の一里塚あり、江戸を朝早く立ち10時間かけた旅人は、ここに宿をとり宿場町として大いに繁盛した。旅人はみな健脚だった。 10km組はここがゴールで直接戸塚駅へ、14km組は駅近くのフォーラムの広場で12時ころに昼食をとる。 午後からはトツカ―ナ(商業施設)を抜けて駅近くの清源院行く、徳川家康の側室の於萬(清源院殿)のゆかりの場所である。今は開発が進みビルに囲まれ、以前の風情がない。国道一号線沿いには、内田本陣碑と澤邊本陣跡があり大名らが宿泊し宿場の中心であった。カーブ際に冨塚八幡宮があり、裏山には古墳が見つかり富塚(とみつか)と呼ばれ戸塚の地名の由来となったいわれる。すぐ先に江戸方見附跡(楓)があり戸塚宿の出口になる。反対側には上方見附跡があり、京方面から来るとここが入口となり、松が植えてある。今日の旧東海道のウオークはここで終わり、柏尾川沿いで解散となり最寄りの戸塚駅に向かう。 戸塚宿の史跡を訪ねてのウオークで、地図の裏側には詳しすぎるほど解説してあり、多いに参考となり江戸時代に思いを馳せたことでしょう。(石井邦敏) |