ウォークメイト(ふじさわ歩友会) 藤沢市後援
わがまち ふじさわの景観130景をあるく
村岡の景観めぐり
1月26日(火)

天気:晴れ 参加者:133人 距離: 10km
コース: 藤沢駅北口サンパール広場(スタート)→藤沢郵便局角交差点(藤沢の景観①)→東橋→村岡公民館→東海道線踏切(川名橋)→川名清水谷戸(村岡の景観②)→東海道線跨線橋→弥勒寺(村岡の景観④)→県道、関谷・藤沢線→途中、藤が岡中学校のトンガリ帽子を展望(村岡の景観⑩)→天嶽院(村岡の景観⑨)=昼食、各種表彰、ウォーキング教室=→慈眼寺(村岡の景観⑧)→日枝神社(村岡の景観⑦)→二伝寺(村岡の景観⑥)→村岡城址(村岡の景観⑤)→高谷大神宮(新70景)→高谷第二公園(解散)→バス停小塚(ゴール)

サンパール広場での受付 サンパール広場での表彰
市役所周辺の桜(藤沢の景観①) 東海道線踏切を渡る
川名清水谷戸(村岡の景観②) 東海道線跨線橋を渡る
弥勒寺(村岡の景観④) トンガリ帽子の藤が岡中学校の展望(村岡の景観⑩)
天嶽院(村岡の景観⑨) 天嶽院広場での表彰
慈眼寺(村岡の景観⑧) 日枝神社(村岡の景観⑦
二伝寺(村岡の景観⑥) 村岡城址公園の石碑(村岡の景観⑤)
高谷大神宮脇の石塔群(まだある70景)

写真提供:大牟田

 南日本の奄美大島や沖縄で初雪を観測するなど、この冬で最大級の寒波に襲われ、冷え込みの厳しい朝だった。
にもかかわらず、2015年一年間の月平均を上回る方々が参加された。出発に先立って藤沢市の街なみ景観課長から2015年の未表彰分についての表彰があり、130景観歩の受賞者を代表して片山さんが賞状を受け取られた。

今年初めてのウォークメイトは「村岡の景観めぐり」で、藤沢駅北口のサンパール広場から始まった。藤沢郵便局角の交差点、国道467号を跨ぐ歩道橋から見る市役所側の桜並木は「市役所周辺の桜」で藤沢の景観①である。
しかし、花のない季節は味気ない。さらに東進して「東橋」を渡ると、ここから先が今日訪ねる村岡地区である。
明治年間に弥勒寺、小塚、宮前、高谷、渡内、川名、柄沢の七か村が合併して村岡町となり、昭和16年になって藤沢市に編入されているところ。この地区の行政の中心、村岡公民館を訪ね、東海道線の踏切を渡り、村岡地区の景観②にあたる「川名清水谷戸の自然とその周辺」を訪ねる。片瀬丘陵の北側に開く谷戸で、藤沢の三大谷戸のひとつといわれている。今日は霜解けのぬかるみを避けるため、何時もとは反対に、谷戸に向かって右側にすすむ。湿地一面、黄土色の枯草が広がっていたが、そこには谷戸の温もりがあった。

反転して、今度は東海道線を跨線橋で越える。その跨線橋を降りた所に村岡の景観④の「弥勒寺」が佇んでいた。鎌倉北条氏の3代執権泰時が父義時の菩提を弔うために建てた寺の流れを汲むという。ここを後に、県道の田谷・藤沢線に沿って北上すると、やがて向かい側の丘の上にトンガリ帽子の塔が見えてきた。村岡の景観⑩「トンガリ帽子の藤が岡中学校」」で、どこから見ても、それと分る尖塔は、すっかり村岡の景観に定着している。ほどなく、村岡の景観⑨の「茅葺きの山門と紅葉の天嶽院」に到着する。こちらは、小田原北条氏の綱成が父早雲の菩提を弔うために建てた寺で、茅葺きの山門は水戸光圀の建立とも伝えられている。境内脇の広場で昼食後、ウォークメイト参加回数の表彰、景観130景の観歩表彰が行われた。いつになく大勢の方が表彰対象となったので、時間がかかった。寒くなってきたので、ウォーキングシューズについてのウォーキング教室は、ほどけない靴ひもの結び方を中心に行われ、そそくさと、午後の探訪に向けて出発した。

午後の最初は村岡の景観⑧の「慈眼寺」。ここの境内にはモチノキ、タブノキ、シイノキが根を互いに密着させ、あたかも一本の木のように見える混生樹があるが、境内には入らず門前を通過。次の村岡の景観⑦の「日枝神社」は関東平氏の祖となった桓武平氏5代平良文が村岡の地に城と館を建てた折、その鎮護として滋賀の日吉大神を勧請した社で、後に平良文も合祀されている由緒ある社。階段下から一礼するだけで、境内には登らない。次の村岡の景観⑥「歴史ある二伝寺の竹林」は小田原北条氏が築いた玉縄城の二伝寺砦跡ともいわれ、一隅には平良文三代の墓と云われる宝篋印塔や五輪塔があるが、裏山へ入ることができず、ここも山門前で一礼。次、村岡の景観⑤の「村岡城址公園と石塔群」は平安時代相模の国司に任じられ東国に下った平良文が城と館を築いた跡。後に北条早雲が玉縄城を築いたときは、高谷砦となったところ。今では公園となって石碑があるだけ。この村岡城址公園のある高台を下ると、「まだある70景」の「高谷大神宮と石塔群」が佇んでいる。ここを最後に、ほどなく解散場所、高谷第二公園に到着。ここから小塚のバス停へ向かって今日のコースは終わり。(大牟田宏)