寄り道・道草70
砂山観音 鳴呼九月一日
八柳 修之
遊行寺への道すがら藤沢橋交差点南側の角に小高い丘があり、砂山観音という御堂があることは知ってはいたが、どうせ、たしたことはないと思って、立ち寄ったことはなかった。だが今日は気が向いたのか立ち寄ってみた。   

石段を上ると観音堂があり左に鼻黒稲荷という面白い名、由来は不明である。
観音堂の山号は金砂山、本尊正観音菩薩、通称「帯解(おびとけ)観音といい、懐妊守護・安産と丈夫な子を授ける観音様である。            
 何も見るべきものはないと思ったが、「鳴呼九月一日」という大きな石碑が建っていた。これは大正12年9月1日の関東大震災の犠牲者を供養した石碑であった。遊行六十五世尊光上人の書、裏には犠牲者の名が刻まれていた。  

 その右側にもう一つ碑が建っていた。「県下名勝四十五佳選当選記念」横濱貿易新報社 昭和十五年建立」とある。横濱貿易新報社は神奈川新聞の前身である。現在は辺りを見渡しても遊行寺の甍が見えるだけで、今では何これ名勝である。戦後、毎日新聞社が日本観光地百選を公募したことがあった。全国各地で町や村を挙げての組織票があったことで百選の価値が問われることにな
った。この砂山観音からの景観もその類であろう。            

 藤沢市文書館で「ふじさわの関東大震災展」が開催されているというので帰途、立ち寄って見た。鳴呼(めいこ)とは「鳴き叫ぶ」と言う意味だった。 
 関東大震災による藤沢町(当時)の震災被害は、総戸数2,806戸中、全壊1,505戸(54%)半壊1,177戸(42%)全壊半壊を合わせると96%が被害を受け、死者は12名、負傷者114名となっていた。                
 
砂山観音からみえる遊行寺の甍
広重 東海道藤沢宿  保栄堂版
さて、件の名勝砂山観音、ここから遊行寺を見る風景は、多分にデフォルメされているが、初代歌川広重の保栄堂版の版画とよく酷似している。     
浮世絵に大きく描かれている大鋸橋(赤橋)の際にある鳥居、これが江ノ島道一の鳥居で、ここが藤沢宿と江ノ島道との分岐点であった。この鳥居の袴石は、現在、遊行寺の宝物館の入り口に置かれている。版画をよく見ると目の悪い人が江ノ島詣でに出かける様子が描かれている。杉山検校が江ノ島道道標を建てたことで知られるように当時から目の悪い人でも江ノ島詣に出かけていたことが分かる。                              
また大震災供養石碑は、「大藤澤復興市街図」によれば、赤橋の脇、現在の環境測定局の建物の場所に建立されていた。環境汚染測定局がある所に高札場(幕府の法令など掲示する場所、屋根付きで高さ約3.6m、横幅5.4m)があった。

参考資料:「藤沢史跡めぐり」藤沢文庫刊行会編 名著出版