紀行

健康ご利益めぐり-14 港区


平野 武宏

23区の健康ご利益めぐりは6つの区が終わりました。これからは各区1章の予定です。都心の港区ですが、健康ご利益は点在してありました。 
 最寄駅は代表例です。寄り道の価格は訪問時のものです。

[港区]

 [病気平癒・虫歯] 松秀寺  日限地蔵  白金2-3-5 
                             

最寄駅 三田線 白金高輪駅


桜田通り(国道1号線)白金一丁目信号の近くのガソリンスタンド隣にありました。
時宗のお寺で門前には一遍上人像と日限地蔵尊の石碑(写真上右)があり、門を入るとすぐに右手に供養塔(写真上左)がありますが、日限地蔵尊の場所はわかりません。
ある年に悪疫が流行、日を限り祈願すると霊感あらたで治癒する者が多かったとのこと。供養塔に並んで虫歯地蔵があり、日を限って歯痛が治るように祈願すれば必ず全治したといいます。祈願が叶った人は楊柳を削って作った歯ブラシをお礼として奉納すると伝えられているようです。

 [美肌・延命・無病息災] 玉鳳寺(ぎょくほうじ) 御化粧延命地蔵尊

             三田4-11-19  最寄駅 三田線 白金高輪駅

魚籃坂方面に行き、魚籃坂下バス停から幽霊坂を上がると、右側にありました。
幽霊坂は西側に寺社が並び、物寂しい坂であったためその名がついたが、有礼坂(森 有礼邸があり)との説もあるとの説明板がありました。


明治39年(1906年)に檀徒総代の高橋是清翁(総理大臣・大蔵大臣で二二六事件で殺害)が寄進した山門(写真上右)の左側に全身真っ白なお地蔵様がおりました。
おしろいを塗って祈願すると塗った部分の傷やあざが消えて美しくなるとのこと。通称「おしろい地蔵」です。
由来はこの寺の住職が京橋八丁堀地蔵橋のほとりで野ざらしの石地蔵を見つけ、修復し、薄化粧を施したら、いつしか住職の顔のあざが消えたとの言い伝えによります。江戸時代から続く、上塗りの白さは女性たちの願いを受け止めたお姿です。

    
 [熱病・夜泣き・皮膚病]幸稲荷神社・瘡護神社 芝公園3-5-27  
                               


後ろには東京タワーが立ち、芝中学・芝高校の隣にありました。近くにはオランダ王国大使館 や水道局 芝給水所があります。(災害時にはここで水を支給との看板あり)
最寄駅 三田線 御成門駅

寺のしおりによると「江戸初期の府内古代十三社に定められている東京で最も古い神社の一つ。鎌倉街道にあたり、往来もあり、にぎわった地とのこと。
初めは「岸之稲荷」と称したが、氏子・信者中に幸事が続出したため、いつの頃か、「幸稲荷神社と尊称されるようになった。
社殿右には慶長年間より伝わる社宝「御祠石(みくらいし)」(写真上右)があり、この石に水を注ぎ、心願すると、いかなる熱病もたちまち癒えるという。また子供の夜泣き等忽ちに止むと言い伝えられています」と記載。
皮膚病にご利益のある疱瘡神社も同居しています。(写真上左)皮膚病の治療に霊験あらたかで、願掛けには土のダンゴを供え、快癒したら米の粉のダンゴを供えるのが習わしとのこと。

 [痔]青松寺 勘助地蔵  愛宕2-4-7 最寄駅 三田線 御成門駅



慈恵医大前にある太田道灌が開祖の曹洞宗の名刹。山門(写真上)には左右に4基の仁王像がありました。中門(写真下左)と本堂(写真下右)本堂の左右に座禅堂、観音堂もあり。
                    




本堂内の脇から入る墓地には「勘助地蔵」こと美作藩松平家の足軽 芦田勘助の墓があるそうだが、残念ながら檀家以外は墓地に入れませんでした。主人越後守の槍は重くて長く、道中のお供先でこの槍を倒して打ち首になる者もいた。義侠心の強い勘助は自ら槍の柄を切り捨てその場で切腹をした。その義侠心が称賛され、のちに地蔵をかたどった墓が作られた。勘助は痔の病に苦しんでいたため、いつの日にか下の病にご利益があるとの評判が立ち、地蔵に祈願すると痔がケロリと治ったとか。

勘助地蔵のお参りを断られ「私は痔主ではないから!」とつぶやき、本堂に手を合わせて帰った寅次郎でした。

[こぼれ話]愛宕山出世の石段  最寄駅 三田線 御成門駅

青松寺先にある愛宕山です。標高26メートルの山頂には火の神様を祀る愛宕神社があります。江戸時代から見晴らしの良い名所としてにぎわった場所だそうです。
寛永11年(1634年)曲垣平九郎正面の86段・40度の急勾配の石段馬で上下して山頂の梅を将軍家光に献上したと伝えられています。

    




上から見た石段
下から見た石段

山頂には曲垣平九郎手折りの梅があります。以来、出世の石段と呼ばれていますが、これは講談の世界での話だという説もあるとか。
なお、出世を望まない方や石段や登り坂が嫌いな方には左側のトンネル入口に無料エレベーターがあります。寅次郎も利用しました。山頂の神社手前には桜田門で井伊直弼を襲撃した烈士の碑があります。神社左側にはNHK放送博物館があり、放送の歴史が学べます。裏の坂を下るとトンネル出口に出る近道あります。

愛宕神社 将軍梅(平九郎手折りの梅樹)

 [眼]興昭寺 こんにゃく閻魔  虎ノ門3-10-8

                    
最寄駅 日比谷線 神谷町駅


青松寺から愛宕神社手前を左折、トンネルを抜け右折するとある浄土宗の寺。ひっそりとしていましたが、眼病を祈願し、快癒するとこんにゃくを供えた風習は今ではないとの説明札がありました。

     

 [眼・ボケ防止]圓通寺  赤坂5-2 最寄り駅 千代田線 赤坂駅

TBS赤坂サカスの三春桜(写真下右)を見て、裏に抜け、円通寺坂を上ると左側にありました。寛永2年(1625年)創建の日蓮宗の寺(写真下左)当時から時報「時の鐘」をついて近隣の地域に親しまれていたそうです。
別名「日朝さん」とも言われる、この寺は落語「景清」で眼病にご利益ありと話されているとのこと。


 [延命長寿]豊川稲荷 元赤坂1-4-7 最寄駅 銀座線 赤坂見附駅

江戸奉行大岡越前の子孫が文政11年(1828年)自領の三河豊川村の鎮守の荼枳尼真天(だきにしんてん)を自邸に勧請したのに創まる曹洞宗妙厳寺の鎮守。インド密教の神で日本では仏教に混入し古くから本体はきつねとされ、稲荷権現と同一視され祀られた。
したがって、豊川稲荷は神の稲荷ではなく鳥居のない珍しい仏教系の稲荷です。大岡家の屋敷は青山通りの反対側にあったが、明治20年(1887年)稲荷は現在地に移されたとのこと。

 [関節痛・頭痛・肩こり ]  豊川稲荷境内 太郎稲荷 


境内には様々な神様・仏様が祀られており、神仏混交の奇妙なムードがありました。
その中に健康ご利益を見つけました。
説明板には「太郎稲荷さまは飛来自在の姿で健康を守り関節の痛み、頭痛、肩こりなどから救っていただけるお稲荷さまです」と記載。
    
 [寄り道]  家元屋 いなりずし


豊川稲荷の東宮御所側出口に3軒のお休み処が並んでいます。
寅次郎は10歳年上の店のおばあちゃんに親切にされたご縁で一番右の家元屋のおいなりさん(500円)が贔屓です。店内で食べられます。味がしみているので持ち帰る時は二重包装が必要です。

     
[咳止め]一本松  元麻布1-2-2   最寄駅 大江戸線 麻布十番駅

大黒坂の長傳寺の前にある一本松です。天慶2年(939年)源経基が装束を着替えた際に、この松に衣をかけたという話や平安の頃、小野篁が植えたとも言われる伝説の松。甘酒を入れた竹筒を奉納すれば、咳が止まるとも言われます。


 [こぼれ話]  きみちゃん像 
 

               
最寄駅 大江戸線 麻布十番駅

麻布十番通りにひっそりと立つ、「きみちゃん像」は童謡「赤い靴」で赤い靴を履いていた女の子のモデルになった「きみちゃん」です。
家庭の事情で米人宣教師の養子になりましたが、歌詞とは異なり、横浜の波止場から船に乗って異人さんのお国に行かず、病気になり、この地の孤児院で9歳の短い命を終え、この街で眠っていました。
 [やけど・健康祈願 ] 十番稲荷神社 かえる石

             麻布十番1-4-6 最寄駅 大江戸線 麻布十番駅

なんと十番稲荷神社は「きみちゃん」が亡くなった孤児院があった場所とのこと。慶長年間(1596〜1615年)創建の末広神社と弘仁13年(822年)に勧請された竹長神社が合併した神社で、宝船の参拝所となっている。港七福神と共に宝船を祀るのは都内の七福神めぐりコースの中でもここだけとのこと。
神社下右に大きなかえる石を見つけました。


説明板によると「昔ある年、古川辺から燃え出した火事の際、がま池のほとりの山崎主税助の屋敷のみ類焼をのがれました。池中にいた大蛙が口から水をふいて猛火を吹き消したとの故事により山崎家から万人に上の字様のお守りが授けられました。その後、末広様(当神社の前の名)を経てわけられました。その故事にちなんだかえるは火防・やけどのお守り、無事帰る、若返る、何でもかえるお守りとして貴ばれています」と記載。

     
 [歯] 日比谷神社(鯖神社)  東新橋2-1-1

                    最寄駅 JR新橋駅烏森口

                      


烏森口から線路沿いに品川方面に歩くと神社(写真上)が見えてきます。
社殿の左手前には稲荷(写真右)があり。

江戸城の日比谷門にあった稲荷を昭和の初期に、ここに移したとのこと。起源は不詳ですが、虫歯・歯痛に悩む人が鯖を断って祈願、成就すると鯖を奉納するのが習わしと伝わっていますが、現在は特に行われていないようです。

  
次回は映画「男はつらいよ」の寅さんのふるさと葛飾区を訪ねます。

平野 寅次郎 拝