紀行

インドネシアを歩く(2)

 平成26年5月8日 池内淑皓

 2005年(H17)3月2日(水)インドネシア滞在二日目、今日はジャカルタ市内を探検してみよう。
朝起きてすぐ今日から泊まる安ホテルを探しに行く、ガイドブックで目星をつけておいた日航ホテルから、歩いて10分程の「プミジョハルH」を三泊予約する、朝食付で一泊3,800円だと言う、妥当な金額であるから早速荷物をまとめて歩いてプミジョハルに向かい、そこで朝食とした。 



「プミジョハルH」 ミニホテルであるが、ホテル内に日本食レストランが入っている 、大通りからすぐ


「ガンビル駅」 インドネシアの東京駅に該当する、この国で一番大きな駅(独立記念塔から撮影)

今日第二の仕事は、スラバヤからバリ島までの航空券を購入する事と、ジャカルタから次の滞在先であるジョグジャカルタまでの特急列車の乗車券と座席指定券を入手する事だ。
航空券は日航ホテル内の旅行会社で購入出来た。列車の切符はガンビル駅まで買いに行く。


「ガンビル駅構内」日本の東京駅に相当する、 正面奥は当日切符売り場、前売り券は建物の裏側にあり、乗車日と列車名と希望乗車等級を紙に書いて渡したらすぐ購入できた。

 3月5日 08:15発--15:35ジョグジャカルタ着 特急 Taksaka1号 一等車 (2450円)これでジャカルタでの懸案事項は全部解決、安心してジャカルタの町を散策してみる。


「独立記念塔」 (頂には35kgの純金の燃える炎が輝く)

1619年から続いた外国支配、1945年8月17日ついに永い間イギリス、オランダからの植民地を脱し、日本の敗戦(3年間支配した)で独立を勝ち取った。スカルノはこの広場で高々と独立を宣言する。
初代スカルノ大統領が建立した祈念すべき独立記念塔と「ムルデカ広場」(ガンビル駅の隣にある)


 「ジャカルタの町」この地はかつて”スンダクラバ”と呼ばれる小さな港町であった、14世紀に入るとイスラム勢力が進攻して来てこの港を手に入れ「ジャヤカルタ」(偉大な勝利)と名を変えた。
  一時期イギリスが支配したものの、17世紀に入り今度はオランダが植民地としてこの地を統治し始めると「バダビア」と名を変える、更に第二次世界大戦で旧日本軍が進駐すると「ジャカルタ」 と呼称を代え、今に至っている。


「国立中央博物館」インドネシア随一の博物館、国の歴史と文化が一杯詰まった貴重な展示品が数多く収まる、特に歴代の王達の宝物に目を奪われる。


「ヒンズー教の彫刻」  象の鼻の彫像は「ガネーシャ」で商売の神様、シバとパールバティーの息子。

入浴中の母に誰も近寄らせないよういいつけられたガネーシャは、父まで近寄らせなかったので父は怒って息子の首を刎ねてしまう。我に返ったシバがあわててくっつけたのが通りすがりの象の鼻であった。ヒンズーの神で最もユニークな神の一人。他にヒンズーの神で有名なのは、「ガルーダ」、「ビシュヌ」、「ブラフマー」等がある。



「博物館中庭にて」ギリシャ、ローマ建築を思わせる回廊に博物が並び、中庭の緑が建物にぴったり似合う。


博物館学芸員の方と、館内の博物を時間をかけて説明してくれた

                  

「コタ地区、コタ駅」 ジャカルタ湾に面した港町。スタシィウム(駅) ジャカルタコタと読む
 ヨーロッパの列強が東南アジアに進出してきたのは15世紀の事。
1511年ポルトガルがマラッカを占領1602年オランダは東インド会社を設立してジャワを占領しバダビアと呼称する、ここコタ地区に拠点を置いてアジア貿易の中心に据えた、今でもここには東インド会社の建物が多く残っている。

ヨーロッパの列強が東南アジアに進出してきたのは15世紀の事。
1511年ポルトガルがマラッカを占領1602年オランダは東インド会社を設立してジャワを占領しバダビアと呼称する、ここコタ地区に拠点を置いてアジア貿易の中心に据えた、今でもここには東インド会社の建物が多く残っている。

    


「金徳院 中国のお寺」 オランダが東インド会社をコタ地区に置くと、彼らの料理人や召使、クーリー(荷物運搬人)として中国人を使い、彼らの住まいとして中国人街が生まれた、金徳院は中国人の心のよりどころとなっている場所なのだ


「ジャヤカルタ歴史博物館」(コタ地区)1627年オランダが市庁舎として建てた歴史的建造物陳列品にはオランダ東インド会社時代のコレクションが多い。


博物館員の人と、彼も人懐っこく丁寧に文物を説明してくれた  「ヤワン(影絵)博物館」 インドネシア伝統文化の代表、棒で支え操る影絵人形で、独特な衣装をつけて操る



「ヤワンの型絵を彫る」 固いファイバーに型絵を彫りつけているところ、細かい模様を丁寧に彫る

  

 「パダン料理を食べる」 スマトラ島が発祥のパダン料理。
スパイシーな肉や魚料理が野菜と共に多くの小皿に盛られて出される(ここでは10皿)、好きなものだけに手を付ければよい。手を付けなければカウントされない。
(主要なものを食べて 23,500R=300円)

インドネシアを歩く(3)に続く