紀行

健康ご利益めぐり-15 葛飾区


平野 武宏

映画「男はつらいよ」の寅さんのふるさと葛飾区の健康ご利益です。
健康ご利益は広い区内に点在しています。まずは京成押上線 四ツ木駅からスタートです。最寄駅は代表例です。寄り道の価格は訪問時のものです。

[葛飾区]

病気平癒]木下川薬師(きねがわ やくし)(浄光寺) 
            東四ツ木1-5-9 最寄駅 京成押上線 四ツ木駅

荒川と並行して流れる綾瀬川沿いに歩くと左側にある天台宗の名刹。
平安時代初期の創建と伝えられ、江戸時代には徳川将軍家の祈願所ともなり大いに栄えたとのこと。
病気平癒に霊感があると伝わる。

[花柳病]渋江白髭神社(客人大権現)  東四ツ木4-36-18  
                 最寄駅 京成押上線 四ツ木駅


住所を頼りに探しました。
江戸時代には「客人(まろうど)大権現」と呼ばれ、吉原をはじめとする花柳界の信仰が篤かった。
ご神体のひとつに陽石(男根形の石像)を祀り、子授かりと花柳病(性病)にご利益があるとされたとのこと。六代将軍徳川家宣の側室がこの社を信仰し、七代将軍家継を授かったと言われ女性の人気が上がったと天保年間の随筆に残っているとのこと。


[イボ取り・皮膚病]極楽寺 イボ取り地蔵 堀切2-25-21 
                   最寄駅 京成線 堀切菖蒲園駅

渋江白髭神社から平和橋通りに出て、バスで渋江公園から堀切二丁目まで行きました。宝徳元年(1449年)創立の真言宗豊山派の極楽寺の門前にお地蔵様がありました。門前は奥州街道とのこと。


願掛けの際に塩をお供えし、願いが叶えば再びお礼の塩を献じたことから塩地蔵とも呼ばれるとのこと。村の長助という美男子が顔一面のイボ取り祈願し、全快したと伝わる。自分の体の悪い所と同じ部分に塩をすり込むようにするのが、お参りの方法でお地蔵様の体のあちこちに塩が供えられていました。
近くには堀切菖蒲園(入場無料)があります。

[寄り道] 高木屋老舗 草だんご  最寄駅 京成金町線 柴又駅
 

「私 生まれも育ちも 葛飾柴又です。
  帝釈天で産湯を使い
    姓は車 名は寅次郎
 人呼んでふうてんの寅と発します〜」
映画「男はつらいよ」の寅さんの口上です。
柴又駅前では寅さん像がお出迎え。
帝釈天参道に入り、寅さんの実家高木屋名物 草だんご(350円)です。

      

[諸病平癒・身体健全]柴又帝釈天(題経寺) 柴又7-10-3 
                    最寄駅 京成金町線 柴又駅


帝釈天は仏教の守護神。写真上左は山門、右は本堂。 寛永8年(1631年)創建の日蓮宗の寺。帝釈天像は日蓮上人が彫ったとされる。江戸時代に疫病がはやり出したときに帝釈天の「一粒符」と言うお守り札を配り、人々から苦しみを救ったことから帝釈天信仰が民衆に根付いたといわれ、以来このお守り札を境内のご神水(寅さんが産湯をつかった水)で飲むと万病に効くとされています。
庚申信仰と結びつき、帝釈天詣でが盛んになりました。
帝釈天像が紛失し、寺の梁で見つかったのが安永8年(1779年)庚申の日で、以降この日が縁日になりました。(60日に一度めぐってくる)葛飾七福神の毘沙門天。お参りすると、おこずかいに不自由しないとの言い伝えもあるとか!? たいていのお願いは聞いてくれる庶民の味方の仏様です。

 [病気平癒] 浄行菩薩 柴又帝釈天境内

束子でこすり祈願するとご利益がある菩薩がありました。
右側には寅さんが産湯に使ったご神水があります。

 [寄り道] 山本亭→寅さん記念館

帝釈天から歩いてすぐに大正末期から昭和初期にかけての和洋折衷の建物と純和風の庭園の調和が美しい邸宅(元カメラ部品会社を創立した山本栄之助の旧居)があります。第3火は休み。




平成3年から一般公開され、入場料は100円(寅さん記念館とのセットでは450円)庭園を眺めながら楽しむ喫茶メニューもあります。
写真左上の門から入り、山本亭の室内から庭園を眺め、洋風の長屋門(写真左下)を出ると、寅さん記念館です。今、草だんごを食べた高木屋(映画ではとらや)の入口に寅さんが寝ていてびっくりしました。ここは寅さんフアンには必見の場所です

[麻疹・疱瘡(皮膚病)] 半田稲荷神社 東金町4-28-22 
                  最寄駅 JR金町駅バス利用


金町駅から東武バス三郷方面行で半田稲荷下車です。
説明板によると「創立は新編武蔵風土記稿では和銅4年(711年)、社伝では12世紀初期とされる古社。江戸中期の享保年間には麻疹や疱瘡除け、安産に霊感ありとして信仰を集めていました。江戸では麻疹や疱瘡を防ぐ色とされた赤色の衣装を着た願人坊主(がんじん ぼうず)が謡い踊りながらお札や災いが去るおまじないの「くくり猿」を売り歩き話題となりました。
文化10年(1813年)には坂東三津五郎が中村座の歌舞伎で半田稲荷の願人坊主に扮して大人気となり浮世絵にも描かれました。
写真上右の神泉遺構願人坊主が神仏に祈願する際に、水を浴びて体のけがれを去る水垢離(みずごり)を行ったところです」と記載。

   
[イボ取り] 観蔵寺 イボとり地蔵菩薩尊  東金町7-1-2 
                    最寄駅 JR金町駅バス利用

歩道橋を上り、道を隔てて半田稲荷の反対側にある真言宗豊山派のお寺。


説明板によると「享保9年(1724年)民間信仰の中から建立された所願成就の地蔵尊と伝えられ、人々の苦しみや諸々の願望をかなえてくれますようにと、その願い事をイボにたとえて取れますように、治りますように、喜び幸福が得られますようにと「一合の塩」(昔は高価な物品)を供え、願いを込めてお参りし、叶えられたときは塩を「一升」にしてお礼参りをしたと伝えられています」と記載。塩により溶けた地蔵尊を新しくしたようでした。

[こぼれ話]南蔵院 しばられ地蔵     水元2-28-25 
                   最寄駅 金町駅バス利用

半田神社から半田小学校・水元公園方面に向かうと山門がありました。
写真下左の山門の奥正面が「しばられ地蔵」です(写真下右)健康ご利益めぐり11 文京区-2 林泉寺の「しばられ地蔵」と比べてください。
   

室町時代創建と伝わる天台宗の古刹。本所吾妻橋から移転。大岡裁きで知られる地蔵で有名です。
日本橋呉服問屋の手代がこの寺の門前で疲れてひと眠りし反物を盗まれた。手代の訴えに奉行は門前に立ちながら盗みを見逃した地蔵も同罪と縄を打って召し捕った。そして、この見物人の中から犯人を捕まえることが出来たとの話。以後、地蔵を縛り、願い事が叶えば縄をとく「しばられ地蔵」として評判になりました。毎年大晦日には地蔵の縄を解く「縄解き供養」が催されます。社務所のだるまも「しばられだるま」で、寅次郎、遊び心に思わずにやり。ご利益は盗難除け、足止め、厄除けとのこと。

 [足腰・美脚] 亀有香取神社  亀有3-42-24 最寄駅 JR亀有駅南口

こち亀」の街、亀有の総鎮守。建冶2年(1276年)以来、勝負事・開運の神様と広く篤く崇敬されました。
また、スポーツの神様として足腰の健康・美脚にご利益ありとされています。社殿右にある絵馬の形は草履の形です。
境内案内図を見ると境内には26の末社や像があり、健康ご利益は北向道祖神社・白山神社がありました。
   

 [足腰・疫病守護] 亀有香取神社内 北向道祖神社


説明板には「集落の外部から侵入する疫病や災害などの災厄をもたらす邪霊や悪霊を防ぐために村境や道に祀っていた道の神。
足・腰の健康守護、交通安全守護に霊感新たである」と記載。
 [歯] 亀有香取神社内 白山神社 

  


御存じ「歯」の神様です。
(寅さん歩 その11文京区-2
 白山神社参照)
 [諸病平癒] 宝蔵院  奥戸8-5-19 最寄駅 京成線 立石駅バス利用

江戸川区との境を流れる新中川沿い、市川駅行京成タウンバス奥戸新橋バス停前にある室町時代創立の古刹です。


真言宗の寺で写真上左が本堂、右が薬師如来堂で木造薬師如来像が安置されています。説明板によると「宝暦の頃、王政復古を唱え、その後の尊王思想に影響を与えた竹内式部の門下で徳大寺公城(きんむら)の家臣本堂良喜は宝暦事件(宝暦8年 1758年)の際、京都を追われ、当寺に身を寄せていましたが、追手に討たれました。
その良喜の後を追って来た公城の娘 妙姫は愛する人の死を知り、自刃。姫が京より持参の薬師仏が薬師堂に安置されています」と記載。秋には薬師如来堂の周りは曼珠沙華が咲き乱れるとのこと。

次回は練馬区の健康ご利益をめぐります。

平野 寅次
郎 拝