紀行

健康ご利益めぐり-16 練馬区


平野 武宏

練馬区の健康ご利益です。寅次郎の住む豊島区と境を接していますが、今まで御縁が少ない区です。ご利益の場所がすぐに見つかるかなと不安な気持ちで、初めて降りる大江戸線 豊島園駅からスタートです。
最寄駅は代表例です。寄り道の価格は訪問時のものです。

[練馬区]

[悪病退散]九品院(十一ケ寺)そば喰い地蔵 練馬4-25-1     
                      最寄駅 大江戸線 豊島園駅

駅A1出口を出ると、目の前が十一ケ寺入口でした。道路の両側(右に5、左に6)に浄土宗のお寺が11並んでいます(写真左)説明板によると「十一ケ寺は十一の寺院の俗称で、もとは誓願寺(現在は府中市)の塔頭寺院でした。
明治以降、各塔頭は本坊から独立し、浅草からここに移転してきました」と記載。民家みたいな寺院が並び、正面奥は十一の寺院の墓地でした。

上写真左側一番奥の九品院は書院の立て替え工事中(平成27年10月迄)の張り紙が門にありました(写真右)そば喰い地蔵とは浅草にあった頃この寺の地蔵が僧に化け、近くのそば屋へそばを食いに通ったという。
地蔵はお礼にそば屋一家を悪疫から守ったので、いつしかそば屋を営む者全体の守り神となったそうです。


[病気平癒・身体健全]  白山神社 練馬4-1-2
               最寄駅 大江戸線 豊島園駅

豊島園通りの白山神社入口交差点を入るとある大きなけやきのある神社です。説明板によると「創建は平安時代、けやきは永保3年(1083年)源義家が奥州征伐の際に戦勝祈願で奉納した苗の一部と言い伝えられています」と記載。現在、二本(木の後ろにもう一本)が残っています。
健康ご利益には歯がなく、病気平癒・身体健全と書かれていました。


[眼]阿弥陀寺 日限地蔵 練馬1-44-10  
               最寄駅 西武池袋線 練馬駅

白山神社の斜向かいにある練馬区ではただひとつの時宗のお寺だそうで民家と間違えそうです。日限地蔵(写真下右)は眼の病に霊感新たかと今も盛んに信仰されているようで、花や千羽鶴の供え物がありました。
   

[眼・諸病平癒・延命長寿]練馬大鳥神社   豊玉北5-18-2 
                     最寄駅 西武池袋線 練馬駅

駅前の千川通りを渡り、路地を直進するとすぐに右側に神社があります。


写真上左が練馬大鳥神社です。
説明板によると「江戸時代の初め正保2年(1645年)この地 中新井村に三羽の鶴が飛来しました。村人はその鶴を瑞祥としていつまでも保護しました。
死後は鶴の霊を祀り、和泉国一宮大鳥神社(堺市)の祭神天日鷲命(あまのひわしのみこと)の御分神を勧請したといいます。近郷の崇敬篤く、特に11月の酉の日の祭礼は群集で賑わいます。境内左手に石の薬師如来(写真上右)が祀られています。ここから500mほど南の路傍にあったものです。薬師さまには万病を治癒し、延命を願う信仰が昔からあり、特に眼の病に効があると今も香華が絶えません」と記載。
薬師堂の絵馬は「め」の字の表書と裏書でした。

[こぼれ話] 東(とう)神社 天明水 豊玉北5-18-2


練馬大鳥神社の裏側に「心道きよめ苑東神社」の看板があり。中に入るとご神水がありました。脇の看板には開運出世金融祈願の方法「天明水招神寿福のお守りを受け天明水にてひたしそのお守りを常に懐中に持ち、出世金融のご利益をうけるべし、霊感あらわれたる時は新しいお守りととりかえて、お礼詣りのしるしとし、次のご利益を受けます。金生水の奇蹟は金銀融通に不思議な霊感をあらわします」と記載。寅次郎 試してはみませんでしたが・・・

   
[病気平癒] 南蔵院  中村1-15-1 
                 最寄駅 西武池袋線 練馬駅

豊玉小学校方面に進み、住所を頼りに探しました。延文2年(1357年)良辨僧都という方が中興の真言宗豊山派の巨刹でした。

白龍丸」という諸病に効く薬を明治に入るまで製造していたそうです。これは俗に「南蔵院の投げ込み」と呼ばれ、全国に広まり、寺の経済的基盤でもあったそうです。
[こぼれ話] 南蔵院 首つぎ地蔵尊 リストラ除け

  
事前調査では近くの中村八幡神社の境内にあるとのことでしたが、南蔵院参道左に真新しい祠を見つけました。首つぎ絵巻を秘蔵の南蔵院に最近に移転したようです。
名の通り首と胴がばらばらになったものが、偶然つながったことから切れた首が繋がるとのご利益を生み、庶民信仰を集めました。
次の諸説があります。




その1:  江戸時代に若者の間でお地蔵様はご利益があると盗んだりすることがあったそうで、ある時、誰かが盗もうとして、重くて頭だけを持っていき、残された胴に驚いた村の若者がほうぼうを探し、下谷に首だけのお地蔵様を見つけ取り戻した。

その2 蒔絵師の加藤某と言う人が道を歩いていると畠の中にお地蔵様の首を見つけ持ち帰り、どこかに胴が落ちていないかと探し、中村町付近で首のない石像を見つけ繋ぎ合わせた。

その3 高名な画家とその知人がある晩、地蔵の首が落ちる同じ夢を見た。八幡神社の首なし地蔵に画家が大切に保存していた地蔵の首を合わせるとぴったりと重なった。折しも昭和の世界恐慌の最中、話を聞いた大勢の人が「首が繋がる」と言って訪れたそうだ。

いずれにしても、「ここに来て祈れば首を切られない」とリストラ除けでサラリーマンで賑わったようです。お地蔵様の首と胴は白色のもので繋がっていました。

[足・腰]円光院  貫井5-7-3 最寄駅 西武池袋線 中村橋駅


駅から中杉通りを行き、目白通りを横断し左折、目白通り沿いに入口がありました。説明板によると「真言宗豊山派のお寺で寺の伝えによると天正13年(1585年)没した開山・円長法師は密教修行の折、にわかに腰脚痛を患い、あらゆる治療を施しましたが効果がなく一念を込めて7日間の断食をして武州大鱗山の子聖大権現を遥拝し平癒を祈願しました。
その満願の日の晩、霊夢により霊石を得て患部をこすると、たちどころに快癒したので、感極まってここに堂舎を建て、貫井寺と称し、その近くに子聖大権現を勧請し霊石と共に奉安しました。
以来、足腰の病に効験ありと多くの信仰を得ました。平癒のお礼には霊石に形がよく似た木槌を奉納することになっているそうです。

[咳]長命寺 咳止め閻魔(身代り閻魔) 高野台3-10-3 
             最寄駅 西武池袋線 練馬高野台駅北口

駅からすぐの順天堂練馬病院先にある真言宗豊山派で東高野山と呼ばれ、かっては練馬・中野の随所に「長命寺道」ができたほど栄え ました。写真下は南大門(仁王門)と奥の本堂。本堂手前左は高野山を模した奥の院入口、奥の御影堂の裏には沢山の御閻魔様他石仏が並び、一番奥にあるのが、寺の建築現場で大工が材木の下敷きになった時、身代わりになり「身代り閻魔」と呼ばれている閻魔様が鎮座、胸にざっくりと開いた傷はその時のものだといいます。「咳止め閻魔」とも言い、喉の病に効くとのこと。

   
南大門   本堂
奥の院 身代り閻魔

[こぼれ話] 長命寺 姿見の井戸


奥の院の墓地入口にある「姿見の井戸」は説明板によると「水に映った姿がぼやけているとまもなく寿命が尽きると言われる」とあり。恐る恐るのぞき込み、深い井戸の先に自分の姿を見つけ、ほっとした寅次郎でした。

[こぼれ話] 長命寺 十三仏

南大門を入ると右手の梵鐘の周りに13の仏様が並んでいました。
(写真下)初めて知りましたが、仏教の法要は七の日ごとに仏様がいられるとのこと。
七七忌までをつかさどり生前の罪の軽重をさばく第一仏~第七仏は不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来。一・三・七・十三・三十三回忌の主導の第八仏~第十三仏は観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀仏、阿閦(あしゅく)如来、大日如来、虚空菩薩だそうです。興味ある方は是非ここへお越しください。
死後の話なので「自分ではお参りできないので、誰かに頼んでおくのかな~?」と悩む寅次郎でした。

      

[婦人病・イボ取り]圓明院 血の道地蔵(イボ地蔵)  錦1-19-25 
                             

最寄駅 東武東上線 上板橋駅



駅から川越街道を横断し、城北中央公園方面に向かい、仲町小学校のそばにありました。山門(写真上右)の左に並ぶ石像の一番左端が血の道地蔵です(写真上左)明治時代の建立と比較的新しいですが、その名の通り婦人病に霊感ありといわれ、当時の女性達から信仰を集めました。又、これに祈ればイボも取れると「イボ地蔵」とも呼ばれています。


[病気平癒] 圓明院 合掌地蔵(なで地蔵) 

墓地入口にあるお地蔵様です。
右にある説明の石碑には「自分の身体の悪い所が良くなるようにお地蔵様に御祈願下さい。
お地蔵様のおみ足、腕、頭など治したいところを撫でてください」と記載。
次回は板橋区の健康ご利益をめぐります。

平野 寅次
郎 拝