紀行

健康ご利益めぐり-17 板橋区


平野 武宏

板橋区の健康ご利益です。ここも寅次郎の住む豊島区と境を接しています。
最寄駅は代表例です。寄り道の価格は訪問時のものです。

[板橋区]

[諸病平癒]大山福地蔵尊(おふく地蔵 大山町54 
                     最寄駅 東武東上線 大山駅

大山ハッピーロード商店街の川越街道沿いに案内表示があります。
説明板によると「文化文政の頃に鎌倉街道にいずれからかおふくさんという行者が来りて、街道筋の人々の難病を癒し、大山宿の住民から大変慕われていました。ついに大山に住み、余生を衆生に尽くしましたので、後に地元大山の人々により、おふく地蔵として祀られ、現在に至っています」と記載。今は商売繁盛を主に祈願する人が多い、地域密着型のご利益スポットです。
               
 [諸病平癒] お身洗地蔵尊


おふく地蔵の敷地内左側にありました。
説明板はありませんでしたが、自分の患部と同じ場所を洗って治してくれるお地蔵様だと思いました。
[百日咳・喘息]轡(くつわ)神社 仲町46-3  
              最寄駅 東武東上線 中板橋駅


おふく地蔵を左手に進むと左側にあります。説明板によると「名称の由来はこの地を訪れた徳川家康の馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからとも言われています。江戸時代から百日咳に霊験がある神として広く信仰を集め、遠方から参拝に来る信者で賑わったと言われます。
信者は病気の治療を祈るとともに、当社に奉納されている馬のわらじ(写真上右)の片方と麻をいただいて帰り、全快すると馬のわらじの片方と麻を当社に奉納しました。社前は俗に鎌倉街道と言われた古道でこの道が石神井川を渡るところが本来の板橋と言われたという説もあります」と記載。
家に持ち帰った馬のわらじは少し焼いて灰をなめ、麻の緒は首にかけ、これで病気は全快するとか!?本当かなと思う寅次郎でした。

[イボ取り]延命寺 蛸薬師      志村1-21-12
                    
最寄駅 三田線 志村坂上駅


駅から左側の城山通りを行き、最初の信号を左折、次の角を右折した志村第三公園隣にあります。境内の芝桜と藤がきれいでした(写真上右)説明板によると「真言宗の寺院で開祖は見次権兵衛とされています。
大永4年(1524年)北条氏綱は上杉朝興が拠点とする江戸城を攻め落としました。結果上杉勢は河越へ遁走、その際に志村城でも戦闘があり、志村城主篠田五郎の家臣 見次権兵衛は子息の討死を目のあたりにし、戦の後、息子の菩提を弔うため居宅を供し寺院とし自らが開祖となったと伝わります」と記載。
本殿左手前にある正保4年(1647年)建立の蛸薬師(写真上左)はイボ取りに霊感新たかと言われています。薬師像の形をした庚申塔は日本古来のものとのこと。

[延命長寿] 延命寺 延命地蔵

蛸薬師の隣にあり延命地蔵と標記。きっと延命長寿のご利益と勝手に解釈した寅次郎でした。


[こぼれ話]縁切り榎 本町18

三田線板橋本町から旧中山道の板橋宿を江戸に向かい歩き見つけました。

説明板によると「江戸時代この場所の道を挟んだ向かい側に旗本近藤登之助の抱屋敷がありました。
その垣根の際に榎と槻(つき)の古木があり、そのうちこの榎がいつのころからか縁切榎と呼ばれるようになり、嫁入りの際には縁が短くなるおそれで、その下を通らなかったと言います。文久元年(1861年)の皇女和宮の下向の際には榎を避ける迂回路が作られました。
なおこの時に榎をこもで覆せたとする伝承は、その際に出された不浄なものをむしろで覆うことと命じたお触書の内容が伝わったものと考えられます。
男女の悪縁を切りたい時や、断酒を願う時にこの樹皮を削ぎとり煎じ、秘かに飲ませると願いが成就するとされ、霊感あらたかな神木として庶民の信仰を集めました。
近代以降は難病との縁切り良縁を結ぶという信仰も広がり、板橋宿の名所として親しまれています」と記載。
榎は昔から伝染病を防ぎ、旅人の安全を守る神とされてきましたが、初代の榎が槻の木と共に植えられており、語呂合わせでエンツキ(縁尽き)となったようです。

 [延命長寿] 文殊院 延命地蔵  仲宿28

 [足・腰]文殊院 子の権現    最寄駅 三田線 板橋区役所前駅

 さらに旧中山道を進み、板橋(写真下左)を越すと、左側に文殊院(写真下右)があります。


説明板によると「真言宗豊山派の寺で、江戸初期に飯田宿本陣の飯田家の菩提寺として古く信仰を集めていた延命地蔵尊の境内をひろげて建立されました。
山門脇に延命地蔵尊(写真下左)、境内右側に足腰の守り神「子の権現」(写真下右)があります。板橋七福神の毘沙門天も奉安されています」と記載。
「子の権現」はご利益絶大でお参りすると腰痛や足の痛みはすぐに失せるという。
痛みが治まったら木槌を奉納するのが習わしとのこと。



境内左側の閻魔堂にある板橋の閻魔様です。隣の奪衣婆が怖すぎです。奪衣婆とは三途の川で閻魔様に仕え罪の軽重で衣服をはぎ取る婆様です。

皮膚病]観明寺 板橋3-25-1 最寄駅 三田線 板橋区役所前駅


旧板橋宿にある真言宗のお寺で創建年代は暦応5年(1338年)と伝わりますが定かではありませんとのこと。
明治6年(1873年)成田山新勝寺から不動尊の分身を授かり、町の発展に寄与しました。現在も出世不動と呼ばれて親しまれています。かっては恐ろしい疱瘡(天然痘)を予防するために、疱仏が石祠に残されているとのこと。板橋七福神の恵比寿も祀られています。
[歯痛]松月院 塩地蔵  赤塚8-4-9
           最寄駅 東武東上線 下赤塚駅


駅から赤塚中央通りを進むと松月院前交差点角にあります。三田線高島平駅からバスで来る場合は赤塚八丁目下車が近くです。


延徳4年(1492年)赤塚城主 千葉自胤は寺領を寄進、一族の菩提寺とした曹洞宗の寺で円朝の怪談「乳房榎」の舞台と言われます。



中雀門の左横奥にある「塩地蔵」で千羽鶴があるのが塩地蔵です。歯痛に効能があると伝わります。前にはお礼参りの塩が奉納されていました。

[イボ取り] 大堂 イボ地蔵(唐辛子地蔵) 赤塚6-40-3 
                     

 最寄駅 東武東上線下赤塚駅

松月院の南方400m急坂の下に大堂がありました。昔はここまで松月院の敷地と思われます。
この地域は江戸時代には幕府の直轄領で、大堂とは阿弥陀堂とのこと。
石段の中段に元禄6年(1693年)に開眼の地蔵があり、これが「イボ取り地蔵」とのこと。祈願がかなったら報謝に唐辛子をもってするので「唐辛子地蔵」とも言われたとのこと。


 [こぼれ話] 乗蓮寺 東京大仏 赤塚5-28-3  
 最寄駅 東武東上線 下赤塚駅



奈良の大仏や鎌倉の大仏にはお会いしていますが、東京の大仏が松月院の近くにあるというので、初めてお会いして来ました。
乗蓮寺は浄土宗の寺院で松月院と並ぶ板橋の名刹。
説明板によると「天正19年(1591年)家康から10石の朱印地を与えられて以来、代々の将軍から朱印状を与えられ、徳川家と緊密な関係を保ちつつ発展しました。現在の敷地は赤塚城跡、昭和52年(1977年)千葉一族他それぞれも時代の戦没者の鎮魂、恒久平和を祈願して青銅製の阿弥陀如来坐像 東京大仏が建立されました。重量32t、座高8.2m(頭部3m)、蓮台2.3m」と記載。

次回は中央区の健康ご利益です。

平野 寅次郎 拝