紀行
ジョグジャカルタへ
平成26年6月02日 池内淑皓 |
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3月5日(土)滞在5日目、今日はジャカルタからジョグジャカルタへ列車で移動する。 ジャカルタが東京ならば、ジョグジャカルタは京都に相当するインドネシアの古都である。土地の人は「ジョグジャ」と言っている。王宮が健在で、今なお王宮に仕える人もまた古き良き習慣を堅持している。 かつてジョグジャはヒンズー文化の聖地であったが、イスラム勢力がインドネシアに進出してくると、多くのヒンズー教徒は東へ、そしてバリ島に逃れていった。 ともあれ、ジョグジャはジャカルタのような喧騒はない、人口46万人の小さな町であるが故に、ゆったりした時間が流れている。 私は敢えて町外れのミニホテルに宿泊して、ゆっくりと過ごすことにした。 |
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「ジョクジャカルタ⇒ソロ間 鉄道路線図」 | |
「ジョグジャカルタ市内中心地図」 中央が王宮、町は王宮を中心に開かれている。 下方のウイスマアリスは滞在したホテル |
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ガンビル駅8:15発---ジョグジャカルタ駅15:35着、タクサカ1号、エグゼクティブ(1等車)乗車券 料金は175,000ルピア=2、450円 |
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出発前のジャカルタ・ガンビル駅プラットホーム | |
エグゼクティブ車両の車内 | |
8:15発であるが車内で軽食のサービスがあった、まるで飛行機に乗っている感じがした | |
列車は予定時刻より20分ほど遅れて到着した。 オランダ時代の香りがする建物(写真は朝の駅風景) | |
「ウイスマアリス・ミニホテル」 ジョグジャでの滞在先ホテル、ガイドブック記載のミニホテルでゲストハウスに近い、、オーナーの奥さんが日本人であるという事で滞在することにした(あいにく奥さんは日本に帰っていて居なかった) |
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10室程のミニホテルであるが、至る所に日本人らしい細やかさが見られる、まず「清潔」、次にタイルの浴槽が日本人にピッタシだった、魔法瓶にお茶が入っているのも日本風。 |
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南国特有の植物に囲まれた庭で、ゆっくりお茶するのもジョグジャならではの雰囲気であろうか。 | |
「部屋の前で」 右の現地人は、私付の世話係り「スハルジョ君」 どこに行くにも必ずついてきてくれて、ベチャ(三輪自転車の乗り物)の交渉から、部屋のクリーニングまでしてくれる、一切英語は話せない。 | |
王宮前広場にて | |
王宮跡の一部、とんがり屋根は王宮内の通路(廊下) | |
「王宮内で民族舞踊を見学する」 この建物は王宮内のスルタン(王)の玉座のあった場所で、王朝統治の執務を行った所、今は祭りやスルタンの即位式などに使用されている、今日はここで民族舞踊の公演があった。 |
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「王宮を守る警護の人」 彼らの名は「アブディダルム」と言う。正統なバディック(ろうけつ染の民族衣装)を着用し、腰には「クリス」(聖剣)を差す。 彼らは古くから王宮に仕え、代々スルタン(王)に仕える事を誇りとする。腰に差すクリスは「聖剣」と云い特別な階級の人のみに許される。アブディダルムはこの聖剣を持つことを生涯の望みとしている。 彼らは今、私たちが見学している民族舞踊の舞台の袖に待機していて、会場を警護しているところ。 *アブディダルムになるには、駆け出しから14の階級を登り詰めなければならない。 *アブディダルムの仕事:@王宮の敷設管理A伝統文化の継承Bスルタンの生活支援や伝統儀礼の保護、育成、警護。 |
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ガムラン音楽に合わせて、仮面劇を演舞する | |
「ガムラン音楽」 この音楽に合わせて舞う。 ガムランの語源は「ガマム」で、叩くと言う意味、青銅や竹、太鼓等を素材とした打楽器で、旋律は神秘的で透明感にあふれ、観客を夢幻の境地に誘う。 |
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ジャワ地方伝統舞踊 | |
「ラーマヤナの演舞」 古代インドの叙事詩を踊る悲恋の物語ラーマ王子とシンタ姫、王子の弟ラクスマナ王子がシンタ姫を見染めて、三角関係の悲恋の物語。 |
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「スルタンの離宮」 水浴場を囲む離宮。 スルタンに仕える官女たちをここで水浴させて、王は前方の高い窓から今宵の女性を選んだと云う。二人のための部屋が右側に現存している。 |
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インドネシアを歩く(5)に続く |