紀行

健康ご利益めぐり-23 足立区


平野 武宏

足立区の健康ご利益です。埼玉県と接する区ですが、池袋駅からバスで西新井大師まで直行できます。
最寄駅は代表例です。寄り道の価格は訪問時のものです。

[足立区]

[イボ取り]西新井大師(総持寺) 塩地蔵 西新井1-15-1  
                    最寄駅 東武大師線 大師前駅

       

平安初期の天長3年創建と伝わり、古くから川崎大師と共に「御大師さま」と親しまれている弘法大師ゆかりの寺(写真上が本堂)開運厄除けの霊場です。
真言宗を開いた弘法大師空海がこの地を通り、悪疫の流行に苦しむ村人を救うため、十一面観音を彫り、21日に亘る祈祷行うと、涸れた井戸から清らかな水が湧き、病はたちまち治ったと伝えられます。その後、土地の人々がこの観音像と大師尊像を祀ったのが寺の始まりとのこと。井戸が西側にあったので西新井の地名が出来たと伝えられています。
山門を入るとすぐの左側に塩をかぶった地蔵様(写真上右)があります。
江戸時代からこの塩を付けるとイボが取れると信仰されてきました。イボやタコ、ウオノメ取りにご利益があり、取れれば倍の塩をお供えするそうです。
「倍返し」は江戸時代からあったようですね。

[寿命長遠・諸病平癒]西新井大師(総持寺) 延命水洗地蔵

塩地蔵の向かいにあります(写真下左)説明板によると「地蔵菩薩は釈迦の滅後、仏がいなくなったこの世界の衆生を弥勒菩薩が出現するまでの間、救化する菩薩であります。十種の福徳がありますが特に寿命長遠の功徳があります」と記載。訪問時は境内に芍薬が見事でした(写真下右)。
 


[延寿除病]西新井大師(総持寺)不動堂


本堂の左側(芍薬園近く)にありました。説明板には「本尊不動明王は所願成就はもちろん、悪霊、災害を除き、延寿除病など効能広し」と記載。
[咳]明王院 (赤不動) 梅田4-15-30  
            最寄駅 JR北千住駅からバス利用


説明板によると「真言宗豊山派の寺院。本尊は感得不動明王で古くから赤不動の通称で親しまれた(写真上左)当院の草創は源為義の三男義広が近隣の榎戸に祈願所を建立したことにあると伝わる。
江戸時代には寺領13石を将軍から下られ、将軍の鷹狩の休息所での御膳所になった。又当院には咳きに効験があると言われる八彦尊(写真上右)が祀られている」と記載。

[こぼれ話]明王院 和算奥義の石碑


説明板によると「境内には安政2年(1855年)に和算家 小泉伝蔵(寧夫)の門人 遊馬繁右衛門(あそまはんうえもん)が幾何学の問題を掲げた算額(足立区登録有形文化財)も伝わっており、寧夫(やすお)の説いた和算の奥義を記す石碑も建立されている」と記載。
和算はつるかめ算しか知らなかった寅次郎、奥義を学ぼうと石碑の裏に回ったが、難しく・文字も薄く残念ながら読めず。

[耳病]石不動尊 梅田3-18
           最寄駅 JR北千住駅からバス利用

 

明王院から住所を頼りに歩きましが、北千住駅からは千住車庫前で下車、「ゆめろ~ど千代田」を直進すると角にありました。
左の石には子育八彦尊道と彫られていて、明王院八彦尊に向かう参道のようです。数少ない耳のご利益がある仏様です。

[イボ取り]佐竹稲荷(いぼ稲荷) 梅田6-28-7 
             最寄駅 西新井駅からバス利用


梅田七丁目で下車、探しました。
説明板によると「江戸時代この辺りは秋田藩主 佐竹家が所有した抱屋敷地で当社はこの屋敷の北東隅に位置し、屋敷神として祭られ、「佐竹稲荷」と呼ばれた(写真左)社殿は寛政9年(1797年)建立され、近隣の人々の信仰を集め、「いぼ稲荷」とも称され願をかけるといぼが取れるという」と記載。
[眼]長圓寺 めやみ地蔵 千住4-27-5 最寄駅 JR北千住駅

   

駅から千住宿場通りを歩きました。説明板によると「新義真言宗のお寺で寛永元年(1627年)出羽湯殿山の行者 雲海がここに庵を結び、後に賢俊が開山する。九代将軍家重の延享年間には殊に栄えた」と記載。山門の外左側に「めやみ地蔵」がありました。絵馬はめの字の裏表が書いてあります。前の滑車のようなものは念仏を唱えるときに数えたものと思われます。

[こぼれ話] 千住のほねつぎ名倉  千住5-21-3  
                 最寄駅 JR北千住駅


千住宿通りを荒川土手手前まで行くとあります。
説明板には「江戸時代以来、ほねつぎと言えば名倉とほねつぎの代名詞になるほど、関東一円に知られた医療機関であった。
下妻道に面し、旧日光道中や水戸佐倉分岐点を間近にして便がよか ったので籠や車で運ばれてくる骨折患者でひしめいたという。門前の広場はこれらのたまり場となったそうです。名倉家は秩父庄司畠山氏の出で享保年間(1716~36年)頃に千住に移り、明和年間(1764~72年)に「骨つぎ名倉」として開業したと伝わる」と記載。
保存されている当時の建物の裏には近代的な建物の名倉医院が整形外科を続けています。
次回は江戸川区の健康ご利益です。

平野 寅次郎 拝