紀行

健康ご利益めぐり-26 品川区


平野 武宏

品川区の健康ご利益です。品川宿周辺はウォーキング例会で何回も歩いている地です。
最寄駅は代表例です。寄り道の価格は訪問時のものです。

[品川区]

 
[諸病平癒]願行寺(がんぎょうじ) しばり地蔵

  南品川2-1-12 最寄駅 京浜急行線 新馬場駅

寛正3年(1462年)開創、品川でも歴史の古い浄土宗のお寺。
境内のしばり地蔵(しばられ地蔵とも言う)は体を荒縄で縛られ、しかも首と胴が明らかに違う造りの異様な姿のお地蔵様です。
病や苦しみに悩む人の苦しみを引き受けてくれるそうで、願掛けし、お地蔵様の首を持ちかえり、願がかなったら新たな首を添えてお地蔵様の首をお返しするそうです。
お地蔵様の廻りには願が叶った人が納めたいくつもの首が置いてありました。
                  
盗難・厄除け防止の「しばられ地蔵」は他にもありますが、ここのお地蔵さまはグルグル巻ではなく上品に巻かれています。お地蔵様は縛られているので、首を持ち帰られても、動けないとか・・・
(しばられ地蔵は寅さん歩その11文京区-2その15葛飾区を参照願います)

 [下の病]海雲寺 烏芻沙摩明王(うすさまみうおう)

  南品川3-5-21  最寄駅 京浜急行線 青物横丁駅

 写真下は境内右手にある烏芻沙摩明王堂と堂内です。
 下の病(特に女性)に効験ありと伝わります。


  [足・腰] 海雲寺 えんの行者

本堂(写真下)の左側に「神変大菩薩」の名で各所でお会いした「えんの行者」の像がありました(写真右)。 山野を駆け巡り、足腰の強靱な神様です。


 






海雲寺は慶長元年(1596年)海晏寺から独立した曹洞宗の寺で千躰荒神堂があり、品川の荒神さんとして親しまれている、台所やかまどの神様。本質的には火の神で火災除けの神です。

 [こぼれ話] 平地蔵物語

海雲寺境内にある平地蔵です。  説明板によると「江戸の末1860年頃、鈴ケ森刑場の番人をしながら交代で町に出て施しを受けて暮らしていた三人連れの乞食がいました。
その一人の平蔵はある日、多額の金を拾ったが落とし主を探して、当然のこととして金を返し、お礼の小判を断った
そのことを知らされた仲間の者は金を山分けすれば三人とも乞食をやめて暮らせると腹を立て正直者の平蔵を自分たちの小屋から追い出し、凍死させてしまいました。
これを聞いた金の落とし主である仙台屋敷に住む若い侍は平蔵の遺体を引き取り、青物横丁の杉並木の所に手厚く葬り、石の地蔵を建てねんごろに供養しました」と記載。明治32年京浜電車の開通で時の海雲寺住職により境内に回向されました。地蔵尊は篤信者により寄進されたものを含め二基ありました。平蔵地蔵は通称「平地蔵」と言われています。(蔵が重なるため)

   
[諸病平癒]品川寺(ほんせんじ) 江戸六地蔵

 南品川3-5-17 最寄駅 京急線 青物横丁駅駅


入口に露座の金銅製の像。宝永5年1708年)深川の僧、地蔵坊正元が衆生から浄財を集め江戸主要街道6つに建立。
ここは東海道です。笠は壊れたそうでありません。
寺伝によれば弘法大師が水月観音を安置した観音堂が始まりとのこと。
承応元年(1652年)4代将軍家綱が寺領と伽藍を寄進して寺を再興この時から品川寺と呼ばれました。
慶応3年(1867年)パリの万博に出展し行方不明になり、昭和5年に70年ぶりに寺に帰ってきた洋行帰りの鐘があります。東海七福神の弁財天です。
寅さん歩その6 江戸六地蔵参照願います)


 [頭痛・首から上の病]海蔵寺 無縁塔群(首塚)          

  南品川4-4-2 最寄駅 京急線 新馬場駅


説明板によると「山門を入って右手奥の塚は江戸時代、品川にあった溜牢(牢屋)で亡なった人々の遺骨を集め、宝永5年(1708年)に築かれたものです。(写真上右)鈴ヶ森の刑場で処刑された人の遺骨の一部も埋葬され、「首塚」と呼ばれるようになった。またこの塚にお参りすると頭痛が治るという事から古くより「頭痛塚」とも呼ばれ、天保の大飢饉、鉄道轢死者、関東大震災の死者も合葬され、また遊女や行き倒れの者も埋葬されて、品川の「投げ込み寺」として知られるようになりました」と記載。
      
時宗の寺で永仁6年(1298年)遊行(時宗の僧の修行の旅)中の僧によって草庵が建てられたのは始まりらしいが、藤沢に時宗の総本山遊行寺が創建されると同寺の末寺となりました。首から上の病にご利益がありと言われています。

 [こぼれ話]海徳寺 ホームラン地蔵 

  南品川1-2-10 最寄駅 京急線 新馬場駅


目黒川を挟んで荏原神社の向かい側にある日蓮宗のお寺。知らなかったので是非訪れて来たかった地です。
昭和34年(1959年) 巨人軍に入団したばかりの王選手は練習試合を見学に来ていて怪我をして病院に運ばれたフアンの少年を見舞に来ました。その姿を見たひとりの女性が「息子にサインを頂けませんか」と声をかけました。
10歳になる心臓病で入院している宮崎和夫君のお母さんでした。
王選手は病室を訪れ励まし、以降何回か見舞いに来ました。
和夫君は退院後、また病状が悪化したので、王選手は医師の兄が勤務する病院に入院手続き、王選手の両親は「病院食ばかりではかわいそう」と営む中華料理店の料理を出前しています。
      
昭和37年(1962年)キャンプに行く王選手を見送った翌日和夫君は13歳8ケ月の短い生涯を終えました。両親は「あの世でも好きだった野球ができるように」との願いを込め、バットとボールを持った地蔵を作り、南品川の古刹 海徳寺に墓として建てました。
王選手は入団後3年間は打率が低迷、ホームランもすくなかったですが、和夫君が亡くなった翌年から一本足打法を始め、初のホームラン王となり、和夫君の墓に報告しました。その後もホームラン記録を更新するたびに墓参りし、その話が広まり、いつしか「ホームラン地蔵」と呼ばれるようになったとのこと。フアンとの交流を原点とする王貞治の人柄がにじみ出た、思わず涙がこぼれる話です。

 [病気平癒] 海徳寺 浄行菩薩


「ホームラン地蔵」を探していたら海徳寺境内でお会いした菩薩様です。これも健康ご利益めぐりの御縁ですね。

 
[寄り道]品川船宿 天ぷら 三浦屋  北品川1-28-11


こちらも品川宿を歩いていたら見つけた寄り道ご利益です。
昼のラストオーダーに間に合いました。ご主人は元品川の漁師で極上丼1,300円(江戸前穴子、キス、えび、めごち、ししとう)は極上の味でした。昼は11時30分から14時(ラストオーダー13時30分)、定休日は火・水。店内は広くないので昼食時は並ぶのを覚悟でお越しください。

    
[こぼれ話] 沢庵和尚と島倉千代子 東海寺大山墓地 北品川4-11-8

東海寺の先、JR線のガードをくぐると右手にある東海寺大山墓地にある二つのお墓です。ここまで東海寺の境内だったとのこと。


写真上左は東海寺開祖 沢庵和尚(沢庵漬けの考案者)のお墓で墓石は沢庵石のようです。
写真上右は2013年11月に亡くなった歌手の島倉千代子のお墓です。墓石はピアノの形のようです。知らないで訪れ、お参りしていた女性達に「誰のお墓?」と聞いたら「ここを誰のお墓か知らないで来たのですか!?」と軽蔑された寅次郎でした。

次回は杉並区の健康ご利益です。


平野 寅次郎 拝