紀行

            
    江戸・東京の祭-1

          (山王祭)
平野 武宏

全国のウオーキング大会を歩きまわり、映画「男はつらいよ」の寅さんのようだと妻の友人が「平野寅次郎」と命名、ペンネームとしました。
2012年東京に住まいを移してからは、故 地井武男の「ちい散歩」や現在TV放映中の加山雄三の「若大将 ゆうゆう散歩」に次ぐ、「寅さん歩」と命名して都内を歩き回っています。但し、カメラは付いていませんよ。

寅さん歩その10健康ご利益めぐりの日枝神社にて「山王祭」の情報を入手し、江戸時代から現代まで引き継がれている祭りに興味を持ち、今回のテーマにしました。
時の権力者の交代で仕方ありませんが、徳川幕府から明治新政府に代わり、内容が変えられている祭や明治以降の新しい祭もありますので「江戸・東京の祭」としました。
そういえば映画「男はつらいよ」の寅さんの仕事場は全国各地のお祭り会場ですよね。今までの自由気ままな「寅さん歩」と違い、お祭りは決められた日時に開催され、大勢の人波の中でゆっくり見たり、ベストショットが難しいですが、お祭りが生み出す熱気・活気から元気をもらえます。

多くの祭りは農業・漁業の生産活動や季節の移り変わりと大きくかかわり、春には五穀豊穣を願い、秋には実りに感謝し、正月には新たな年を無事迎え家族や地域の安全を祈る。その繰り返しで人々の暮らしを支えてきました。
江戸は八代将軍徳川吉宗の頃にはすでに100万人以上の人口を抱え、生産よりも消費生活が中心となり、その祭りは夏から秋に集中しています。
都市部で暮らす人々には夏場における病気や衛生面の不安が付きまとい、疫病封じや厄除けが関心事だったようです。
日本最大の祭、京都の祇園祭も夏の疫病除けを目的に八坂神社の牛頭天王の祭礼として始まったとのことです。

江戸でも「天下祭」または「御用祭」と呼ばれ、それぞれの神輿や山車が江戸城内に入り、将軍の上覧を受けた祭があります。
江戸城の総鎮守・徳川家産土神(うぶすかみ)の山王権現(明治になり日枝神社)の「山王祭」と平将門を祀り、江戸中期には五穀豊穣の神である大己貴命(おおなむらのみこと)を加えた神田明神(明治になり神田神社)の「神田祭」です。
山王祭は6月15日、神田祭は9月15日と隔年毎に行われ、日本橋の下を流れる日本橋川を境に北東が神田明神の氏子の範囲、南西が山王権現の氏子の範囲と江戸の町を二分し、町内を練り歩き、悪鬼・邪気を払いました。
最寄り駅は代表的な駅です。

[山王祭]  日枝神社   最寄駅 有楽町線 赤坂駅


子寅辰午申戌の年に行われます。平成26年甲午(2014年)の山王祭は
6月7日(土)~17日(火)です。
チラシによると7日 祇園祭(末社八坂神社例祭)、8日 境内茶園並狭山新茶奉納奉告祭・夏越稚児まつり、9日 ミニコンサート「にっぽんの歌」、10日 表千家家元献茶式、13日 神幸祭-皇居参賀・氏子各町巡幸-、14日 山王御祓並鎮火祭、15日 例祭奉幣-皇居鎮護・都民平安祈願-、16日 煎茶礼道日泉流献茶式・山王嘉祥祭、17日 裏千家家元献茶式、13日~15日 山王音頭と民謡大会、15日 下町連合摂社宮出し-日本橋摂社-・下町連合渡御-京橋~日本橋-と11日間におよぶ行事が記載してあります。
お茶に関する行事があるのは意外でした。寅次郎、初体験の祭ですが、目玉は神幸祭だと13日早朝に日枝神社に向かいました。
チラシによると順路は7時45分日枝神社→国会議事堂脇→麹町・四谷→市ヶ谷駅前→靖国神社前→国立劇場前→皇居外苑~皇居坂下門→丸の内~京橋・八丁堀→日本橋日枝神社(摂社)→銀座→帝国ホテル脇→日比谷公園→霞が関を巡幸し、17時に日枝神社に戻ります。
途中通過予定時刻が記載されてありました。但し、本年は皇族のご不幸があり、皇居坂下門の立寄り、参賀は中止です。

    
    木遣りの掛け声でご発輦

     行列の先頭は諫鼓鶏

         天狗様

        大旗と騎馬

        舞姫・童女

 
         御神馬

                   鳳輦(ほうれん)

         宮神輿

         人力車

         花山車

        人形山車


騎馬・人力車・山車に乗る人以外は全行程を歩きます。途中休憩はありますが・・

    干支山車(今年は午)


行列の最後は御幣を担ぐ猿
(猿は神の使い

首相官邸がある神社下から、古式ゆかしき王朝装束に身を包んだ宮司・氏子・崇敬者たち総勢約500名・約300mの行列が鳳輦(ほうれん)を中心に粛々と進みます。まるで王朝絵巻を見るような独特の神々しさを放つ行列です。鳳輦や宮神輿は下に車輪がついており、担ぐふりをした人々は皆、無言。「ワッショイ ワッショイ」とパワフルに神輿を担いで練り歩くお祭りとの大きな違いに戸惑う寅次郎でした。
この祭は庶民の祭りと言うよりも、将軍家を守護するものだったようですね。明治以降は天皇の守護に代わっていますが・・・

     
        国会議事堂脇

         皇居前


江戸時代の山王祭は氏子町内の山車が中心で最盛期の文化・文政(1804~30)のころは趣向をこらした45基が練り歩いたそうです。
今回見た諫鼓鶏は一番山車、御幣猿は二番山車とのこと。
幕府の倹約令や市電の電線敷設、その後の戦災で山車行列は姿を消しました。


皇居前


           東京駅前 →



鳳輦 (ほうれん)とは「屋根に鳳凰の飾りがある天子の車という意味で日本では古くから天皇の正式な乗り物を意味し、明治天皇も東京行幸はこれで移動したとのこと。現代では神社の祭などに使われる鳳凰の飾りのある神輿を意味する」と学びました。

   
諫鼓 (かんこどり)とは中国の伝説で「その施政について諌言する時に人民の打ち鳴らした諌め太鼓のことで善政の時は鳴らさない」を引用してお上の政は正しく世は泰平、諌太鼓も鳴らず鶏も平穏にしていると、お上に対するおベんちゃらの趣向もあるらしいです。

日枝神社境内には茅の輪がありました。 
夏越 の祓い(茅の輪くぐり)
「人は茅の輪をくぐる事により 知らず知らずに犯した罪や穢れを祓うと言われます。
くぐり方は 左まわり 右回り 左回りと八の字に三回通りぬけ その後ご神前にご参拝しましょう」と脇の看板に記載。

寅次郎「こんなことで今年半年の犯した罪や穢れのお祓いが出来るならば」と並んで指示通りにくぐりました。
(このお祓いは多くの神社で6月末に行われています)


日枝神社については寅さん歩その10 健康ご利益めぐり20(千代田区)を参照ください。

今回は山王祭の神幸祭見学でしたが、次の本祭り(2年後ですが)には山王祭の他の行事も見学したいと思います。


次回はもう一つの天下祭 神田祭です。


平野 寅次郎 拝