紀行
江戸・東京の祭-2 |
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(神田祭・三社祭) |
平野 武宏 |
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前章の「山王祭」と共に「天下祭」と呼ばれた「神田祭」です。 粛々と行列が進む山王祭と違い、江戸っ子の熱気を爆発させる祭りです。 |
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[神田祭] 神田神社(神田明神) 最寄駅 御茶ノ水駅 |
江戸時代は丑卯巳未酉亥の年の9月15日に行われ、将軍上覧があり、各町内から趣向を凝らした36基の華麗な山車が巡行しました。 明治以降は5月15日前後の土日に変更され、山車の巡行は電線をひっかけるなどの障害を理由に明治29年(1896年)禁止となり、以降は神輿が中心とのこと。 浅草で祭があると新聞で知り、5月12日浅草に行くと神輿宮入で大賑わいでした。 各神輿は随神門をくぐり、拝殿前で御祓いを受けていました。江戸っ子たちの熱気に圧倒された寅次郎でした。平成23年(2011年)は東関東大震災のため中止となり、平成25年(2013年)は4年ぶりの大祭で5月9日~15日の開催と知りました。 行事は5月9日 鳳輦神輿遷座祭、10日 氏子町会神輿神霊入れ、11日 神幸祭、12日 神輿宮入、14日 表千家家元奉仕献茶式・明神能(薪能)、15日例大祭 里神楽奉納とのこと。 |
随神門に向かう氏子町内会の各神輿 |
境内にあった山車 | |
提灯を持って拝殿前で神輿を待つ粋な女性達 |
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神輿を差し上げ、降ろして拝殿前で御祓いを受けます。
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町内神輿が浅草神社から観音堂(本堂)・五重塔をバックに宝蔵門から仲見世通り を出て行きました。 |
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浅草神社 | 宮神輿 一の宮 | |
千束付近の町内神輿 | 雷門付近の町内神輿 |
町内神輿の女性の担ぎ手の多さに驚いた寅次郎でした。 |
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[こぼれ話]三大祭 | |
日本三大祭とは京都八坂神社の祇園祭、大阪天満宮の天神祭、神田明神の神田祭と言われています。神田祭は隔年の開催なので日枝神社の山王祭を( )に入れて表記する説もあるそうです。 江戸三大祭とは神田祭、山王祭、深川祭と言われており、江戸時代の表記に「神輿の深川、山車神田、だだっ広いが山王様」とあるそうです。 三社祭は神仏一体の江戸時代には浅草寺の祭として行われていました. 日本人は○○三大祭とか三大○○等と決めるのが好きなようですが、三大祭を決めたはっきりとした認定機関はないようです。 いずれも二つまでは誰もが認めるものですが、三つ目は自分達の好みが入りやすくなるそうです。 次回は深川祭です。 平野 寅次郎 拝 |