紀行

          
   江戸・東京の祭-3

        (深川祭)
平野 武宏

「深川祭」は「山王祭」・「神田祭」と並ぶ江戸三大祭りと言われ、壮大な神輿渡御での水かけ祭として有名です。

[深川祭] 富岡八幡宮例祭    
                               最寄駅 門前仲町駅
深川と言えば「辰巳芸者のきっぷの良さ、木場の繁盛、そして祭の威勢」だそうです。
深川っ子の守り神さまを祭るのは富岡八幡宮で江戸初期の創建、永代島という砂地を整備し、祀りました。江戸一番の八幡様三年に一度は本祭で町中が燃え上がり
ます。寛永19年(1642年)将軍家光の長男 のちの家綱の世子祝賀を行ったのが始まりで53基の神輿に対して、沿道にはお清めの水が用意され、神輿に水をかける「水かけ祭」で町内安泰、家内安全を祈ります。祭名は「深川八幡祭」が正式とのこと。
文化4年(1807年)8月19日には不祥事があり中止されていた大祭が12年ぶりに挙行された、それまでしびれを切らせて待っていた江戸っ子たちが殺到し、永代橋が人であふれて崩れ落ち、1,500人を超える死者が出ている祭りです。
寅次郎、平成26年(2014年)は3年ぶりの本祭と知り、駆けつけました。富岡八幡宮社境内には会報「冨ケ岡」が置いてあり、祭りの予定が記載。


例祭行事は8月13日から始まり、15日例祭(神事)、16日神幸祭(鳳輦渡御)、
17日各町神輿連合渡御が最終日です。

8月16日(土)神幸祭 鳳輦渡御

こちらの鳳輦に乗って氏子町内(豊洲・台場・東陽・冨岡・白河・清澄・箱崎・新川など)を渡御します。(写真上左が順路、右は翌日の神輿渡御順路)寅次郎、8時~16時までの鳳輦渡御御順路を眺め、牡丹三丁目で待ちました。
パトカーを先導に神職・太鼓・天狗様(猿田彦)、舞姫、鳳輦の車が続き、賽物受車、宮司、神職、総代・崇敬役員など車8台の行列です。休憩地の牡丹三丁目では舞姫たちの神楽舞奉がありました。

神職・太鼓・天狗様
舞姫 鳳輦
車がおさいせん箱  宮司・神職
 
休憩地では事前に「おさいせん車に投げ入れてください」とおひねりが配られ、中を見たら100円玉。寅次郎、もちろん投げ込みましたよ。
この日は子供みこしが町内を回っていましたが、各所に水が用意され、子供みこしにも水がかけられていました。

8月17日(日)連合神輿渡御  

 3年に一度の本祭は氏子町内から富岡八幡宮前の永代通りに神輿53基集結します。神輿連合渡御は平成24年天皇・皇后両陛下もご覧になったとのこと。          

      

神輿は55番までありますが、4番と42番は欠番です。なんと平野の神輿が3基もありました。


朝7時前には続々と各町内から神輿が到着し、永代通り両側に並ぶ圧巻の光景です。大漁旗のある神輿は一番大きいと言われる55番 深濱の神輿。
昔の深川漁師達の神輿で、今は深濱の町内名は残っていません。


富岡八幡宮入口では頭衆の木遣り後、7時30分時花火の合図塩の山を踏んで出立です。3年間待った思いはそのままの熱気となります。「ワッショイ ワッショイ」と大神輿が53基も続くのは力自慢の職人が多かった深川ならではとのこと。
神輿の大きさも、担ぐ勢いも江戸一との呼声が裏付けられました。担ぎ棒の太さは丸たん棒のようで、それを担ぐ女性の多さに驚く寅次郎でした。
 
   

富岡八幡宮前で宮司・頭達に挨拶(差し上げ)して通過


続々と出立する神輿の列。尾の神輿(53基目)が出るのは先の約90分後だそうです。


神輿の前にはこんな姿での露払いがあります。


冨岡八幡宮の先には最初の水場がありパシャ! と神輿に豪快に水を浴びせます。
清めの意味と真夏で暑い担ぎ手に涼を与えるためだと言い、別名「水かけ祭り」と言われるゆえんです。冨岡八幡宮→木場公園脇→江戸資料館通り→清洲橋通り→新川→永代橋→永代通り→富岡八幡宮全長約7キロ
の道のりを練り歩きます。
富岡八幡宮到着は先13時、尾15時の予定になっていました。寅次郎、先回りして江戸資料館(清澄公園近く)で待ち構えましたが、早朝からの撮影の連続でバッテリー切れ!消防隊員による豪快な消防ホースからの水かけの写真は3年後です。

   
 

近くに住んだ豪商 紀伊国屋文左衛門の寄進と言われる4トン以上の日本一大きな黄金神輿(今は二代目)はさすがに担ぐことが出来ず、富岡八幡宮境内に展示されていました。

[こぼれ話]


永代通りの富岡八幡宮の鳥居の前で見つけたそばと深川めしのお店「寅次郎」の看板です。身内のような気がして、のれんをくぐました。
おやじさんの話では「寅次郎」は愛犬の名前とのこと。店の入り口の看板に犬の写真がありました。


 [次回も秋祭りを紹介します]


平野 寅次郎 拝