紀行

江戸・東京の祭-5
        (新しい祭)
平野 武宏

小田原北条氏の滅亡後、豊臣秀吉の国替えの命により天正18年(1590年)8月1日(八朔の日)徳川家康が江戸に入り、当然ながら家康に従い多くの駿河・三河の人達が付いて来ました。家康は幕府を開いた後、江戸城と町の造成を諸大名に命じ、諸国の国元から多くの人達が江戸に来て、工事を行いました。上方商人たちは江戸出店の奉公人に地元採用者を送り込みました。参勤交代が始まると各大名の江戸屋敷に江戸在住の武士が増えました。このように江戸は諸国の人達で構成された地だったのです。この地の人達がふるさとの祭りを東京の新しい祭として、楽しんでいるのが理解できた寅次郎でした。
平成24年(2012年)8月に相模国から江戸入りした寅次郎、新しい祭を追いかけました。

[東京フラフェスタin池袋2014]

                最寄駅 JR池袋駅  


「池袋駅周辺がフラ一色に染まる」とのポスターを発見。7月18日(前夜祭)~20日に開催。5会場で150チーム(約3,600人)の踊り手による豊島区とハワイ州ホノルル市との交流のイベントで、今年で12回目とのこと。メイン会場の池袋西口公園、西口駅前会場、サンシャインシテイB1噴水広場会場を回りました。
他に東武百貨店屋上会場、中池袋公園会場があります。
ハワイは寅次郎にとり、縁あって50年前に訪れた想い出の地です(こぼれ話参照)

西口広場会場

サンシャインシティB1噴水広場会場

[2014新宿エイサーまつり]

             最寄駅 JR新宿駅 東口 


JR東日本小さな旅の冊子で情報を入手、7月26日新宿駅へ。
エイサーは沖縄の盆踊りで旧盆に先祖の霊を送る際に行われるとのことです。
下界に降りてきた先祖の霊が帰りたがらないので、太鼓をたたいて脅かし,再びあの世へと送り出したのがエイサーの成り立ちとのこと。
旗頭、太鼓打や手踊り、三線を弾いて歌う地謡が隊列を組むダイナミックな踊りです。沖縄県の全面的な協力を得て、新宿区を挙げて行うイベントで今年は13回目とのことで新宿駅東口・西口一帯で沖縄派遣チーム他24チームの踊りや沖縄音楽祭で夜まで盛り上がる「新宿の熱い日」です。
繁華街新宿での見物場所取り争いは厳しく、また激しい踊りの動きでベストショットが撮れませんでした。





[大塚阿波踊り]

        最寄駅 JR大塚駅

都内最大の「東京高円寺阿波踊り」に次ぐという「第42回大塚阿波踊り」は1か月以上前から会場となる大塚駅南口はポスターや提灯で賑わっていました。寅次郎、家の近くなので8月23日17時前から撮影の場所取りです。




 
                  

地元東京ルージュのカンカン踊りで幕を開け、16連の組踊り、流し踊りが20時まで続き、「みんなでやっとさー!!」と盛り上がっていました。
豊島区長も豊島区役所連で踊っていました。


[浅草サンバ] 

       最寄駅 浅草駅

浅草を愛した喜劇俳優 伴淳三郎氏が発案した祭と知りました。
昭和56年(1981年)に始った浅草夏の一大イベント。今や北半球最大級のサンバカーニバルと言える規模に成長したそうです。
本場ブラジル・リオデジャネイロのカーニバルを手本にしたパレードコンテストの出演者は約4,700人。8月23日(毎年8月最終土曜日)浅草がサンバで夜まで盛り上がります。


東京都WAが毎年「浅草サンバウォーク」例会を企画します。
ゴールの浅草でパレードの見学ができますが、13時30分の開会まで待つのが玉にきずです。
寅次郎、待ちくたびれて最初の本場のサンバを見て、コンテストのパレードは見ずに帰りました。

[東京よさこい]

     最寄駅 JR池袋駅、大塚駅、目白駅、巣鴨駅

豊島区民祭の「ふくろ祭後半に位置づけされ10月11日~12日開催の祭です。会場はメインの池袋駅の他、大塚駅・目白駅・巣鴨駅前の特設会場で開催、参加チーム・見物者は山手線で移動です。
号外で配られた新聞を見ると今年は全国から110チーム(約6,000人)の参加だそうです。

池袋駅前西口広場

池袋駅周辺での流し踊り

池袋西口公園

 
大塚駅前
巣鴨駅前 目白駅前

[大塚商人祭り]

          最寄駅 JR大塚駅

大塚南北商店街店舗約190店が参加、生活全般、飲食店、理容・美容室も含めたお店の10%オフの商品券(一人2万円まで)600万円分を事前に販売(当日の使用、商店街では年末まで使用可)今年は第6回です。


東日本大震災復興支援の物産展も同時開催で、10月25日~26日の「大塚あきんど祭り」は派手なテープカットでオープニングです。
大塚駅前の会場は70のテントの脇を東京で唯一となった都電が通ります。写真下左は北口会場、右は南口会場です。



[こぼれ話]寅次郎が打ち込んだこと

大学生になった寅次郎、当時はまだあまり知られていなかった「合氣道」を「氣を合わせる道は女性との交際に役立つ」と早とちりし始めています。
誤解と分かった後も、真面目に打ち込み4年間で黒帯(弐段)を取得し、ハワイに合氣道を広めた師と共に昭和39年(1964年)ハワイ州指導者セミナーに参加、1ケ月滞在しました。帰路はハワイから東京オリンピックに来る外国人満載の豪華客船で7日間の船旅を楽しみました。開会式前日に横浜港着で、疲れて開会式当日は寝ていました。あれから50年も経ちます。合氣道の「氣」は四方八方に氣を出すことから、止めてしまうメのある字の「気」は使わないと教わりました。「心が身体を動かす!」の教えは以降の生活の中で活き続けています。

社会人となり「飲む・打つ・仕事」に打ち込み、平成8年(1996年)会社の定期健康診断で脂肪肝・高脂血症の疑いとされ、医師からウォーキングを勧められ始めています。翌年の健康診断では疑いは消えていました。
地元神奈川県を歩き回り、土日開催の全国の公式大会にも参加しました。「飲む・打つ・仕事」の会社生活を卒業後は職業「ウォーカー=歩く人」 として、「ウォーキングの楽しさを普及する活動」に打ち込みました。

エイサーの沖縄は平成10年(1998年)12月「第12回名護やんばるツーデーマーチ」で初めて訪れ、日本マスターウオカー賞(全国8ブロックの公式大会を完歩)をいただいた地です。
よさこいの高知は平成17年(2005年)3月「第2回土佐よさこいツーデーウオーク」、阿波踊りの徳島はその翌々週「第5回阿波えらいやっちゃツーデーウオーク」で訪れました。翌月の香川「第4回讃岐うどんツルツルツーデーウオーク」でオールジャパン ウオーキングカップ(47都道府県公式大会を完歩)達成を目前にし、頻繁に四国を訪問した時期です。
映画「男はつらいよ」の寅さんのように全国の各地に足跡を残すことが出来ました。参加レポートとして「寅次郎ウォークの旅」の執筆を開始し、会報やホームページでお伝えしました。
ウオーキング大会名のオは主催者の日本ウオーキング協会の固有名詞なので大きなオを使っています。

古稀を過ぎた寅次郎、現在は「江戸・東京の寅さん歩」に打ち込んでいます。

次回は江戸らしい祭の紹介です。

  平野 寅次郎 拝