紀行

江戸・東京の祭-6
     (江戸らしい祭)
平野 武宏

冬将軍到来のこの頃には季節外れの話題ですが、朝顔まつり(朝顔市)は初夏の風物詩と言われ、江戸時代から行われていました。

[入谷朝顔まつり]
 

入谷鬼子母神(真源寺)周辺  最寄駅 JR鶯谷駅

入谷の朝顔まつり(朝顔市)は毎年7月6日~8日に開催され、名前だけは知っていましたが、寅次郎、訪れるのは初めてです。朝顔市は朝だ!と7月6日の朝6時頃に行きました。駅から坂を下り、言問通りから入谷鬼子母神の真源寺までは朝顔売りのお店が約120並び、道の反対側は祭を盛り上げる屋台の露店(朝早いのでまだお寝み中)が並んでいました。


さすが下町入谷、粋な姿の売り子のお嬢さんたちが目立ちました。





普段は人も少なく、静かな入谷鬼子母神 真源寺境内も朝顔の鉢で一杯でした。

[すがも朝顔市] 

とげぬき地蔵尊高岩寺境内・中山道待夢前  最寄駅 巣鴨駅


今年で7回目、入谷ほどの歴史はありませんが、巣鴨は江戸時代から園芸の里です。開催は入谷の朝顔市の前の7月2日~4日
寅次郎の朝の散歩コースにあり、まだ人が来ない準備中の写真です。
後ろが巣鴨とげぬき地蔵尊の高岩寺です。写真下左 宿根朝顔(翌年も咲く)と写真下右 日本朝顔を学びました。


[文京朝顔・ほおずき市]

        最寄駅 大江戸線 春日駅
  


7月19日~20日開催の「文京 朝顔・ほおずき市」です。
今年は第29回です。販売は3つの会場でその他の場所ではふれあいイベント有。
(各会場については寅さん歩その10 健康ご利益めぐり文京区-1参照ください) 
    

朝顔会場 傳通院


家康の生母お於の方や孫娘千姫の墓がある徳川家ゆかりの寺の境内が会場です。写真上右は境内から山門方面で早朝なのでまだ人は少ないです。

変化朝顔展示会場  北野神社境内

源頼朝の願い(跡継ぎ誕生と平家滅亡)が叶った牛天神の北野神社境内では変化朝顔展示会が行われていました。江戸時代から受け継がれている「古典朝顔」ですが、展示品よりもポスターの方がわかりやすいです。


ほおずき会場 源覚寺境内


こんにゃく閻魔で知られる源覚寺の境内が会場です。
風鈴付きのほおずきの鉢が売られていました。


食用のほおずき(写真上の左右)もあり、試食しました。

[浅草ほおずき市] 浅草寺境内

       最寄駅 浅草駅

7月9~10日に江戸時代から続く市で浅草寺境内にほおずきの露店約250店が建ち並び夏の暑さをひと時忘れされてくれます。
祭は夜が本番とか。よしず張りに裸電球がぶら下がり、はっぴ・ねじり鉢巻き姿の売り子が威勢のいい声を上げるそうです。
青ほうずきには暑気払い効果があり、江戸期には漢方薬として使われたとか。
発祥は愛宕神社だそうですが、今ではこちらの方が有名です。
7月10日は観音様ゆかりの縁日で、この日参拝すると四万六千日のご利益があるそうです。川崎WAが毎年「浅草ほおずき市ウォーク」を企画しています。


[みたま祭] 靖国神社

      
最寄駅 新宿線 九段下駅

日本古来の盆行事に合わせて7月13日~16日に開催。
昭和22年(1947年)に始ったそうで、九段下の大鳥居~大村益次郎像~本殿まで提灯で埋め尽くされます。本殿近くには各界名士による「縣雪洞」が掲げられて、大相撲モンゴル出身の三横綱のものもありました。
早寝早起きの寅次郎は昼に行きましたので見ませんでしたが、夜にはすべてに灯が入り、九段の夜空を美しく飾るそうです。


右から白鵬、日馬富士、鶴竜

[こぼれ話] 朝顔物語 

夏の花 朝顔は垣根や細竹に弦をまいて白、藍、薄紫にボタン色また絞り模様で涼しげです。
花弁に切れ目がなくすっきりとした形で早朝にパッと咲き、短い命を終える江戸好みの花とされています。
写真右は團十郎朝顔(歌舞伎役者の衣装色とか)朝顔の原産地は中国の奥地とも言われていますが、日本に伝来したのは奈良時代で遣唐使が薬剤として持ち帰ったそうです。下剤として使用し、比叡山の荒法師が神輿を担いで暴れまわり手を焼いた朝廷は振る舞い酒にこっそり朝顔の種をすりおろし、酒を飲んだ荒法師が強力な効き目で一目散に逃げたそうです。
       
朝顔市の発祥は御徒町の徒士組(かちぐみ)武士による朝顔栽培の内職となっています。徒士(かち)とは下級幕臣で出陣の際に馬に乗れず、歩いて従軍の身分のこと。
文化年間(1804~17年)大番組与力谷七左衛門は徒士組武士による朝顔栽培の内職を見ているうちに趣味で朝顔にのめり込み、色の異なる変種や新種を作りだし、七左衛門の屋敷が朝顔屋敷と評判になりました。変形朝顔は名物になりましが、奇に走り過ぎ10数年で廃れています。
代わって入谷、浅草、深川などで朝顔の栽培が盛んになり、やがて上級階級の観賞用に栽培され、庶民の間でも栽培「花合わせ」と言い、新種の花を競い合う品評会を開くほどになりました。
明治の初めに入谷近くの寺の住職までも自慢の朝顔を公開し、評判になり朝顔と言えば入谷と言うほどになったそうです。昭和の戦後も入谷から復活、そのため入谷ばかりが有名になったそうです。東京の初夏に欠かせない風物詩です。

次回は学生の祭です。


平野 寅次郎 拝