紀行

寅さん歩 その12
東京の紅葉・黄葉
     
平野 武宏

「寅さん歩 その5-1、2、3」で東京の桜を紹介しましたが、東京には紅葉・黄葉の名所も沢山あります。特に残された大名庭園やその跡地の公園は江戸・東京の宝物です。季節が春になる前に写真を整理して紹介します。最寄り駅は代表例です。

 [小石川後楽園]

最寄り駅は大江戸線 飯田橋駅。水戸藩上屋敷で水戸光圀(黄門様)の代に完成した中国趣味豊かな回遊式泉水庭園。
明治2年(1896年)版籍奉還により藩主徳川昭武は新政府に邸宅と共に奉還、陸軍省の所管となり、明治天皇や皇族の行啓を受け、名園となった、国の特別名勝及び特別史跡。梅やしだれ桜の時期もお勧めの名園です。



 [浜離宮恩賜庭園]

最寄り駅は大江戸線 汐留駅。海水を引き入れた潮入りの池と鴨場を持ち、江戸城の出城の機能を持った徳川家の庭園浜御殿と呼ばれ、代々の将軍別邸。明治維新で皇室の離宮となり、昭和20年(1945年)東京都に下賜された、国の特別名勝及び特別史跡


  [旧古河庭園]

最寄り駅はJR 駒込駅。明治の元勲 陸奥宗光邸宅だったが、次男が古河財閥の養子になった時に古河家の所有に。
現在の洋館と洋風庭園の設計者は英国人建築家のジョサイア・コンドル。日本庭園の作庭者は京都の庭師 小川治兵衛。和と洋が調和する大正の庭園で洋館や日本庭園に紅葉が映えます。春・秋はバラの名所で、国の名勝


 [殿ヶ谷戸庭園]

最寄り駅はJR 国分寺駅。武蔵野の山野草と湧水を利用した近代庭園。三菱合資会社社員の江口家別荘三菱合資会社の経営者の岩崎彦彌太が買い取り、家と庭を改装して回遊式庭園を完成させました。周辺の開発計画に対し、保存要請の住民運動が発端で昭和49年(1974年)東京都が買い取った、国の名勝


 [旧芝離宮恩賜庭園]

最寄り駅はJR 浜松町駅。小田原藩上屋敷紀州徳川家の芝御屋敷を経て、明治4年(1871年)有栖川宮家の所有となり、宮内庁が買い上げ芝離宮に。大正13年(1923年)昭和天皇のご成婚記念で東京市に下賜。江戸風雅、壮麗の石組みが見所の回遊式庭園、国の名勝

     

[六義園]

最寄り駅はJR 駒込駅。五代将軍徳川綱吉に信任の厚かった川越藩主 柳沢吉保下屋敷。吉保が綱吉から旧加賀藩下屋敷跡を拝領し、和歌の趣味を基調として築園した回遊式築山泉水。明治に入り三菱創業者の岩崎彌太郎の別邸となり、昭和13年(1938年)東京市に寄付された、国の特別名勝


[清澄庭園]

最寄り駅は大江戸線 清澄庭園駅。紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、下総 関宿藩下屋敷。この時代に庭園の基が作られ、明治11年(1878年)岩崎彌太郎が取得、社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園。隅田川の水を引いた大泉水や全国から取り寄せた名石を配した回遊式林泉庭園に完成。昭和7年(1932年)東京市に寄付された、東京都の名勝

       

[新宿御苑]


最寄り駅はJR 新宿駅。信濃高遠藩 内藤家下屋敷。
明治12年(1879年)新宿植物御苑が開設、宮内庁の所管に。
明治39年(1906年)皇室の庭園となり、昭和24年(1949年)の国民公園として公開されました。フランス式整形庭園・イギリス風景式庭園・日本庭園がデザインされた明治を代表する近代西洋庭園で、四季の花が楽しめます。水辺の涼を楽しむ歴史的建物旧御涼亭もあります。



[椿山荘]

最寄り駅は荒川線 早稲田駅。上総 久留里藩下屋敷
明治に入り、明治の元勲 山縣有朋邸宅となった。椿が多くあったことから椿山荘と呼ばれ、大正年間には藤田家(藤田興業・藤田観光)の所有となりました。庭の築造は19世紀と言われています。写真下右の建物はホテル椿山荘東京。


 [新江戸川公園]

最寄り駅 荒川線 早稲田駅。江戸時代中頃まで幕臣の邸宅、幕末に熊本藩 細川家下屋敷。明治に入り、細川家の本邸
昭和35年(1960年)東京都が購入、目白台からの湧水を生かした大名屋敷の回遊式泉水公園として公開。


 [小石川植物園]

最寄り駅は丸の内線 茗荷谷駅。正式名称は東京大学大学院理学系 付属植物園。
   
五代将軍徳川綱吉の館林藩主時代の別邸(白山御殿)で、天和4年(1684年)徳川幕府薬園となり、小石川養生所を創設。青木昆陽が甘藷を試作した地でもあります。
明治元年(1868年)東京府直轄、明治4年(1871年)文部省直轄となった。春の染井吉野桜も見事です。広い庭園の奥の日本庭園の先には旧東京医学校本館(重要文化財)も保存されています。


[日比谷公園]

最寄り駅は三田線 日比谷駅。ウォーキングでよく集合しますが、紅葉がこんなに素晴らしいとは初めて知りました。幕末までは松平肥前守などの大名屋敷で明治4年~21年までは陸軍練兵場、日本で初めて都市計画により造成され、明治36年(1903年)近代洋風都市公園第一号として開園。下の写真は園内の松本楼先の雲形池周辺です。

 


 [こぼれ話-1」 上屋敷・中屋敷・下屋敷

徳川三代将軍 家光の時代になると幕府の権力は強まり、大名たちは国元と江戸での二重生活を強いられるようになりました。藩主が江戸で暮らしている間は藩の機能が江戸にも必要になり、一つの屋敷だけでは手狭になり複数の屋敷を建てました。

上屋敷は江戸城(写真右)からの距離が最も近い屋敷で敷地は幕府から拝領、通常は大名や家族が暮らしますが、幕府の要人の迎賓館の役割もありました。
     
下屋敷大名の別邸で山の手の郊外に建てられ、藩主の保養に利用。
非常時には上屋敷の代用となり、郊外の広い敷地を利用した菜園や国元からの物資の貯蔵機能も持ちました。

中屋敷は上屋敷と下屋敷の中間に建てられ、江戸城外濠周辺に集中。
嫡子や隠居した殿さまが住み、参勤交代時の収容しきれない藩士をここに宿泊もさせたそうです。小大名は中屋敷を持っていません。


 
[こぼれ話ー2] 特別名勝・特別史跡

文化財保護法に基づいて国及び地方自治体が指定するもので、

名勝とは
庭園、橋梁、渓谷、海浜、山岳他の土地で芸術上又観賞上価値の高いものを指定。

特別名勝は特に価値の高いものを指定。2013年8.1現在36件。
   東京都は六義園、浜離宮恩賜庭園、小石川後楽園。

史跡とは貝塚、古墳、都城跡、城跡、旧宅ほかの遺跡に該当するものの中から歴史上又学術上価値の高いと認めた保護が必要なものを指定。

特別史跡は特に価値の高いものを指定。国宝と同格。2014年3.18現在61件。
   東京都は江戸城跡、浜離宮恩賜庭園(旧浜離宮)、小石川後楽園

※国の特別名勝と特別史跡の二重指定を受けているのは全国でも浜離宮恩賜庭園、小石川後楽園、金閣寺などごく限られています。

次回はー東京の紅葉・黄葉-2です。
平野 寅次郎 拝