紀行
東京の紅葉・黄葉-2 | |
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平野 武宏 | |
東京の紅葉・黄葉の名所はまだまだありましたので紹介します。 最寄り駅は代表例です。 |
[代々木公園] 最寄り駅 JR 原宿駅。戦前は帝国陸軍の代々木練兵場。 日本飛行機発始の地です。戦後はワシントンハイツ。 昭和39年(1964年)東京オリンピックの代々木選手村の一部として使用。再整備後、昭和42年(1967年)開園。 平成26年(2014年)デング熱騒動の発端となった場所です。 |
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寅さん歩 その8-2東京発祥之地 めぐり産業・商業2-1を参照。 |
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[東京ミッドタウン 檜町公園] |
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最寄り駅 大江戸線 六本木駅。 江戸時代は長州藩上屋敷。 明治時代は帝国陸軍歩兵第一・第三駐屯地。戦後は米軍将校の宿舎用地。 昭和35年(1960年)返還され防衛庁・檜町駐屯地として使用。防衛庁移転に伴う跡地の再開発計画で平成19年(2007年)3月誕生した赤坂の複合施設です。写真上右はミッドタウン内の檜町公園の紅葉です。 12月のイルミネーションも見事です。寅さん歩 その11江戸・東京の祭-11(江戸らしい祭-4)を参照。 |
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[靖国神社] |
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最寄り駅 半蔵門線 九段下駅。 幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始り、日本内外の事変・戦争の殉じた軍人・軍属の戦没者を「英霊」として祀り、当初は東京招魂社と呼び、明治12年(1879年)明治天皇により靖国神社と命名されました。参道のいちょう並木が見事です。 寅さん歩 その11江戸・東京の祭-6(江戸らしい祭)を参照。 |
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[有栖川宮記念公園] |
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最寄り駅 日比谷線 広尾駅。江戸時代は盛岡南部藩下屋敷。 明治29年(1896年)有栖川宮家の御用地となり、有栖川宮家を引き継いだ高松宮家が昭和9年(1934年)東京市に賜与され記念公園として開放されました。 |
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[千駄ヶ谷 国立競技場周辺] 国立競技場方面からJR千駄ヶ谷駅方面を見た風景です。 写真下右のタワーはNTTドコモ代々木ビルです。 |
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[おとめ山公園] |
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最寄り駅 西武新宿線 下落合駅。 目白台地から神田川を臨む南傾斜地にあり。御留山又は御禁止山と書き江戸時代は徳川家の狩猟地で立ち入り禁止だったことから、この名があるとのこと。明治に入り近衛家と相馬家の所有に、戦後は国有地となり、公務員住宅建設計画に対し、近隣住民の強い要望から保存され、おとめ山公園となった。 |
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[清水谷公園] 最寄り駅 丸の内線 赤坂見附駅。江戸時代は紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があった場所。 隣接するグランド プリンスホテルの土地は紀州徳川家の上屋敷。隣の井伊家との境目は谷で清水が湧きだしていたので、清水谷と呼ばれた(現在は清水は枯れ、人工的に復元)明治11年(1878年)近くに自宅があった明治の元勲 大久保利通の暗殺現場となり、園内に大久保利通の哀悼碑がある。 哀悼碑建立者から周辺が東京市に寄贈、明治23年(1890年)清水谷公園となり、かってはデモの集会場所だった。 |
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[甘泉園公園] 最寄り駅 荒川線 面影橋駅。 徳川御三卿の清水家下屋敷。 回遊式大名庭園は湧水がお茶に適しているとの評判で甘泉園と呼ばれた。 明治に入り相馬子爵邸宅、昭和13年(1938年)近くの早稲田大学の付属施設になり、土地の交換で昭和36年(1961年)東京都に売却されました。 |
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[戸山公園 箱根山] |
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最寄り駅 東西線 早稲田駅。 尾張徳川家下屋敷で回遊式庭園の戸山山荘造成で池を掘った残土を積み上げた44.6mの築山。山手線内で一番標高の高い山と言われる。園内に小田原宿を模し造ったので、箱根山と名付けた。 明治に入り帝国陸軍の施設となり、陸軍戸山学校が開校。戦後は米軍に接収され、昭和24年(1949年)戸山ハイツの敷地の一部が戸山公園となった。寅さん歩 その8-4東京発祥之地めぐり~グルメ編1~参照。 |
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[新宿中央公園] |
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最寄り駅 大江戸線 都庁前駅。隣接する熊野神社の敷地の一部。 戦前は小西六写真工業(現コニカミノルタ)の工場敷地などだった。戦後、新宿副都心計画の一環として淀橋浄水場の跡地と併せて整備され、ビルに囲まれたサラリーマンのオアシスとなっている。 |
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[上野恩賜公園] 最寄り駅 JR 上野駅。三代将軍徳川家光が江戸城の鬼門を封じるため、この地に東叡山寛永寺を建て、芝増上寺と並ぶ、将軍家の墓所とした。幕末の上野戦争で焼け野原となり、医学校と病院用地として視察した蘭医ボードウィ ンが公園として残すよう日本政府に働きかけ、明治6年(1873年)日本初の公園に指定。大正13年(1924年)宮内省から東京市へ払い下げ、恩賜公園の名称となる。 動物園、美術館、博物館、音楽大学、西郷さんの銅像などがあり、桜の名所です。 寅さん歩 その10健康ご利益めぐりー2台東区参照。 |
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[哲学堂公園] 最寄り駅 西武新宿線 新井薬師駅。 鎌倉時代は武将 和田義盛の居城があったと伝承がある地。 明治37年(1904年)東洋大学創始者の哲学者 井上円了がソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った四聖堂を建設。精神修養の場 哲学堂と呼ばれ、公園の名となった。 昭和19年(1944年)東京都に寄贈。後に中野区に移管。東京都の名勝。 |
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[行船公園 平成公園] 最寄り駅 東西線 西葛西駅。 昭和8年(1933年)地元の住民東京府会議員 田中源が公園として東京市に寄贈。行船とは田中氏の屋号。昭和25年(1950年)江戸川区に移管。園内に自然動物園もあり。 平成元年(1989年)公園の北に和風庭園「平成公園」(写真右)、数寄屋造りの「源心庵」を造った。 |
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[神宮外苑いちょう並木] |
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最寄り駅 JR 信濃町駅。大正12年(1923年)に代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内)の苗園で樹高6m内外に成長した木々を樹高順に青山口から聖徳記念絵画館に向かって約300mに渡って9m間隔で146本植栽されている。(寅さん歩 その11江戸・東京の祭ー8参照) 聖徳記念絵画館(明治天皇・照憲皇太后のご在世中の業績を伝える大壁画が展示)をより雄大に見せる工夫がされているそうです。 絵画館に向かい右側の緑地では見事な紅葉が見られました。(写真右) |
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[その他]写真のみの紹介です。 |
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豊島園先 向山庭園 | 豊島園前 |
明治神宮 | 牛嶋神社 |
駒場 東京大学 駒場構内 | 府中 東京農工大学構内 |
[こぼれ話」 東京都のシンボルマークと都章 都営地下鉄・都営バス・都電でよく見かけるこのマークは東京都のシンボルマークだそうです。 都民3年目の寅次郎、都の木「いちょうの葉」を連想し、都章と思っていましたが、間違っていることを知りました。 シンボルマークは平成元年(1989年)6月1日旧東京市の成立100周年を記念して制定。 |
「TOKYO」の頭文字の「T」を図案化したもので、躍動・繁栄・潤い・安らぎを表現しているとのこと。 |
ちなみに都章(正式には都紋章)は別に昭和39年(1964年)10月1日制定。 上から見ると亀の姿に似ていることから「亀の子マーク」と呼ばれることもあるそうです。 |
「日」・「本」・「東」・「京」・「市」の漢字五文字を太陽が六方向から差すイメージで図案化し、日本の首都・中心地としての発展を願う意図が込められているとのことです。 都旗は江戸のイメージカラーの「江戸紫」に都章を配したものですが、シンボルマーク制定以降はシンボルマークの旗がよく使われているとのこと。都庁にはもちろん、都章の旗が掲揚されています。 |
次回は花の祭-2です。 |
平野 寅次郎 拝 |