紀行

江戸・東京の祭-16
      (江戸らしい祭-7)
平野 武宏

[花まつり]お釈迦様の誕生日

4月8日はお釈迦様の誕生日、各地で「花まつり」が行われます。
4月1日~8日を花まつり週間としてお祝いしているようです。
仏教行事では灌仏会(かんぶつえ)と言い、花まつりと呼ぶようになったのは明治時代に入ってからだそうです。江戸にゆかりのあるお寺の花まつりを巡りました。最寄り駅は代表例です。お釈迦様の像の頭から、かける甘茶はお釈迦様の産湯を意味すると知りました。

[神齢山 護国寺の花まつり]

     最寄り駅 有楽町線 護国寺駅

天和元年(1681年)第5代将軍徳川綱吉が生母 桂昌院の発願で建立し、徳川幕府の祈願所となった名刹。檀家を持たないため、明治維新後は経済的に困窮し、墓地として売り出されたそうです。山縣有朋・大隈重信などの著名人の墓地があり、敷地の半分は宮内庁管轄の宮家墓所「豊島岡墓地」となっています。
戦災を免れ、元禄文化の粋を集めた建造物が残されています。仁王門と本堂の2か所にお釈迦様の像がありました。


仁王門と門の入口のお釈迦様
本堂と手前のお釈迦様

仁王門を入り、右側奥に音羽富士があります。寅さん歩 その9東京の富士塚めぐりー2参照。

   
[諏訪山 吉祥寺の花まつり]

   最寄り駅 南北線 本駒込駅

曹洞宗諏訪山 吉祥寺は長禄2年(1458年)太田道灌が江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」の金印が発見されたので、城内(現在の和田倉門内)に一宇を設け、「吉祥寺」と称したのが始まりとのこと。その後、水道橋に移り、明暦の大火で類焼、駒込の地に移転。
七堂伽藍を建立、大寺院となった。僧侶の養成機関として栴檀林(駒澤大学の前身)を持ち、一千余の学僧が学びました。井原西鶴八百屋お七物語に登場の「駒込吉祥寺」です。花祭りの時期は境内の参道のしだれ桜が見事です。参道奥の本堂前のお釈迦様です。


寅さん歩 その10健康ご利益めぐり-11 文京区-2参照。

 [金龍山 浅草寺の花まつり]

   最寄り駅 浅草線 浅草駅

推古天皇36年(628年)に漁師の檜前浜成・竹成の兄弟が隅田川で人型の像を引き上げた。これを見た郷司の土師中知は霊感新たかな聖観世音菩薩像であると告げ、自宅を寺に改めて供養したのが浅草寺の始まりで日本最古の寺です。本堂の隣にある浅草神社はこの三人(三社さま)が祀られています。
寅さん歩 その11 江戸・東京の祭-2参照。本尊は秘蔵で非公開。徳川家の祈願所で仁王門・五重塔は第三代将軍徳川家光の寄進。雷門(正式には風神雷門)は松下幸之助により寄進されました。雷門には花まつりの掲示がありました(写真下左右)。  

  

次の宝蔵門(写真上左)の横断幕には「花まつり仏生会」と表示。
平成27年(2015年)4月8日は寒の戻り、雪も舞う雨でしたので、本堂(写真上右)前での甘茶接待はパスしました。

仲見世通りの途中にある伝法院(浅草寺の院号で住職の居住する本坊の称号)の庭園が年に一度の公開期間(3月17日~5月7日)で大絵馬展と合わせて拝観できました。拝観料は300円。
写真下左はビルの見えない江戸時代の光景、右は東京スカイツリーが見える現代の光景。スカイツリーは霞んでいましたが・・・


 [東叡山 清水観音堂の花まつり]

   最寄り駅 JR上野駅

徳川家康の腹心の天海僧正が天台宗 関東総本山 東の比叡山として位置づけ、寛永2年(1625年)に上野の山に徳川将軍家の祈祷所・菩提寺を創建、繁栄を極めました。京都の清水寺を模し高台に建てられ、琵琶湖になぞられた不忍池を見下ろす、清水観音堂の花祭りです。清水観音堂は徳川家の霊廟のある聖地に庶民を入れたくない幕府に対し庶民に多く来てほしいと天海僧正が自腹で建立したと聞き、天海僧正のイメージが変わりました。


[泰叡山 瀧泉寺の花まつり]

     最寄り駅 JR目黒駅

大同3年(808年)慈覚大師が開祖したと言われる、天台宗泰叡山 瀧泉寺の本尊が不動明王で、通称「目黒不動尊」と呼ばれ親しまれています。第三代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、以後幕府の厚い保護を受けました。
又、江戸五色不動(目黒・目白・目赤・目青・目黄)のひとつとして信仰を受け、江戸後期には湯島・谷中と並ぶ富くじの売り地として賑わいました。 
寅さん歩 その10 健康ご利益めぐり-3 目黒区ー1参照。



 仁王門(入口)



本堂(前にお釈迦様)



お釈迦様の左脇の看板の内容は下の文です。
「4月八日 花まつり釈尊降誕日し(四)あわ(八)せを分かち合い感謝する日四月八日 ロータスデー
       (灌佛會)
お釈迦様がお生まれになると天は甘露の雨を降らせ、地は蓮の花(ロータス)を咲かせました。七歩歩んで右手は天を指し、左手は地を指したその時のお姿です。甘茶を灌いで御生誕を祝福しましょう」

 [こぼれ話-1] おしゃか

失敗して物をダメにすることを「おしゃかになる」と表現しますが一説によると、江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶりすぎて、鈍ってダメにした金物に対し、江戸っ子の訛りで「しがつよかった(火が強かった)」→「しがつようか(四月八日)」→「釈迦誕生日」となったそうです。江戸っ子は「ひ」を「し」と言っていましたね。
映画の寅さんも「しが暮れる」と言っていたような気がします。茨城県出身の寅次郎の母は「え」を「い」と言っていたのを懐かしく思い出しました。

 [こぼれ話-2] オカメザクラ(阿亀桜)

3月21日、日本橋三越の前の中央通りと昭和通りの間にある日本橋裏通りを歩いた時に出会いました。桜並木で木には「オカメザクラ」と表示。イギリスの桜研究家イングラムがマメザクラとカンヒザクラを交配したとのこと。2月下旬から3月上旬の早咲きで、淡い紅色の一重の花が下を向くのが特徴。名前はおかめに由来とのこと。


 [こぼれ話-3] 江戸名所図会

現代の旅ブームには多くの旅のガイドブックが書店に並びますが、江戸時代にも江戸名所のガイドブック「江戸名所図会」があったと知り、驚きました。神田の町名主が三代(父・子・孫)で約40年をかけ、天保5年~7年(1834年~1836年)に刊行した七巻 二十冊の大作です。
当時、誰もが一度は訪れたいと思っていた江戸の名所を精細な挿絵と解説文で紹介した七巻の書は江戸名所めぐりの必携書として一大ブームを巻き起こしたそうです。


全七巻二十冊の構成と対象地域 (出典:JTBパブリッシング)
巻之一(三冊) 天枢(てんすう)之部 千代田区、中央区、港区
巻之二(三冊) 天璇(てんせん)之部 品川区、大田区、神奈川県湾岸部
巻之三(四冊) 天璣(てんき)之部 渋谷区、目黒区、世田谷区、多摩南部
巻之四(三冊) 天権(てんけん)之部 豊島区、新宿区、板橋区、中野区、練馬区、杉並区、多摩北部、埼玉県の一部
巻之五(二冊) 玉衡(ぎょくこう)之部 文京区、北区、埼玉県の一部
巻之六(二冊) 開陽(かいよう)之部 台東区、荒川区、足立区
巻之七(三冊)  揺光(ようこう)之部 江東区、墨田区、葛飾区、江戸川区

編者は七巻を北斗七星の七つの星(紋)に対応させたと記しており、広辞苑を開くと巻之一の「天枢とは天の中枢・北斗七星の第一位にあたる星」と記載。江戸城を中心に江戸の南部・西部・北部・東部と時計回りに「の」の字に結ばれるように配置したとのこと。

次回は花の祭-3です。


 
平野 寅次郎 拝