紀行

            
江戸・東京の祭-21

(神田祭-2)
平野 武宏

 [神田祭 神幸祭] 神田神社(神田明神)

  最寄り駅 JR 御茶ノ水駅

寅さん歩 その11 江戸・東京の祭ー2の「神田祭」は平成25年(2013年)最終日の「神輿宮入」でした。この前日に行う「神幸祭」を知らずに見逃しました。
大祭は2年に一度、待ちに待った「神幸祭」はご遷座400年奉祝大祭として平成27年(2015年)5月9日行われました。7時過ぎには社殿前には3基の鳳輦(ほうれん)、脇には神田明神の神輿、山車が勢ぞろいです。





神田明神本社の祭神は一の宮「大己貴命」 おおなむのみこと(大国主命)、二の宮「少彦名命」すくなひこのみこと(恵比寿神)、三の宮「平将門命」たいらのまさかどのみこと(平将門)です。この祭神が鳳輦に乗り移ります。
家康は入府し、江戸城の拡張を行った元和2年(1616年)に江戸城の鬼門に当たる現在の神田の高台に神田明神を遷し、江戸総鎮守としました。徳川幕府は人身掌握のため平将門の威光を重視しました。
明治政府は神田神社と名称を変え、天皇に弓を引いた朝敵の平将門を本社祭神から外し、境内の摂社に遷しましたが、江戸っ子達の長年の願いが実を結び、昭和59年(1984年)本社祭神に戻されています。





神幸祭は8時から出輦の祭事。手締めの後、鳶頭連の木遣り、天狗様を先頭に、祭神を乗せた壮麗な鳳輦・平安絵巻が氏子町内を巡幸します。宮司、祭責任者は馬車で続きました。














大手町、丸の内、日本橋、神田、秋葉原など氏子の108町会を巡幸し、19時頃に神田明神に戻りますが、水天宮あたりから、附け祭の練り物が合流すると聞き、16時過ぎに日本橋三越前近くに再度出かけました。出輦時になかった練り物が行列に加わっていました。





3基の鳳輦の後は附け祭の練り物です。江戸時代は町人たちが競って練り物にお金をかけたそうで、お金をかけ過ぎで2年に一度の開催になったようです。
大神楽・協賛参加の野間の馬追い武者・浦島太郎・花咲じいさん・大江山の鬼首・大鯰・掛川からの里帰りの山車2基と続き、最後は室町界隈の神輿で約1時間30分のパレードです。







練り物の作成には氏子町内にある小・中・大学生が関わっているそうです。
鳳輦の行列の若者は国学院大学生とのことです。
大鯰の練り物は寛政3年(1791年)の例祭に出された練り物で「地震と地震封じ(上の石)」の復活版とのこと。里帰りの山車(写真下左)2基には雨を心配して残念ながらビニールがかけてありました。




天下祭として将軍様も江戸っ子もみんなが一日中、大いに盛り上がり、楽しむ祭りです。大阪から東京に遊びに来て、帰りに日本橋に偶然立ち寄ったという浪花の若い女性二人、寅次郎の脇に座って、江戸の祭りに興奮しながら騒いでいました。
翌日の「神輿宮入」は寅さん歩 その11 江戸・東京の祭-2、平将門については江戸・東京の祭-19を参照願います。


               次回は三社祭-2です。


               
平野 寅次郎 拝