紀行

江戸・東京の祭-26
(江戸らしい祭-10)
平野 武宏

[つきじ獅子祭 波除稲荷神社]

  最寄り駅 大江戸線 築地市場駅

神社入口の説明板には「波除(なみよけ)稲荷神社の創建は万冶年間(1658~1661年)と伝えられ、築地一帯の埋め立てが波浪により工事が難航を極めた際に海中に漂う稲荷明神の像を祀った所、波浪が収まり、無事工事が完了したと言われています。
波除という尊称はこの故事に由来するもので、江戸時代以来、航海の安全や災難除け・厄除けの神として人々に篤く信仰されてきました。
祭りは江戸時代から獅子祭として知られ、多くの獅子頭が町を練り歩きました。獅子頭の多くは震災・戦災で失われましたが、現存する嘉永元年(1848年)作製の獅子頭一対は社宝として本殿に安置されているそうです。築地獅子祭では本殿手前左右にある厄除け天井大獅子や弁天お歯黒獅子(写真下左)が巡行され、獅子祭りの伝統を伝えています」と記載。



平成27年(2015年)の夏越し大祭は6月10日~14日の開催です。
6月13日は千貫宮神輿や獅子頭が巡行する渡御祭と知り、出かけました。
築地市場は平成28年(2016年)11月の移転を控え、3年に一度の「本祭」、恒例の市場内練り歩きは今回が最後だそうです。市場場内にある魚河岸の守り神「魚河岸水神社」の大神輿も出て、初めて大神輿2基が並んだ巡行を見ることが出来ました。


12時50分の宮出し前には本殿前に千貫宮神輿(写真下左)と市場場内の水神社前に水神社大神輿(写真下右)が鎮座。
 

弁天お歯黒獅子も外に出て台車に移されて鎮座。後ろには弁天様の絵があり。


巡行は市場場外にある波除稲荷神社からすぐに築地市場場内へ入ります。
写真下左は神官が紙ふぶきを撒いての出立風景。右の木立が波除稲荷神社です。行列は弁天お歯黒獅子、人力車の神官、千貫宮神輿が続きます。




水神社前で水神大神輿の修祓があり、初の2基の大神輿の築地市場内練り歩きです。
水神社は明治維新後の日本海軍発祥の地です。 




写真上左は千貫宮神輿、右は水神社大神輿です。


これが見納めとなる築地市場内の祭り風景です。



築地市場内を練り歩いた後は、桃太郎山車も加わって氏子町内を巡行です。
担ぎ手の引継もあり、宮入りは20時45分予定のスケジュールとのこと。ご苦労様です。
多くの人波にもまれ、神輿に付いた寅次郎、築地市場内練り歩きだけで疲れてしまいました。

 
[奉納 泣き相撲] 浅草寺

  最寄駅 浅草駅


 大相撲五月場所は照の富士関の初優勝・関脇2場所で大関昇進の話題で終わりました。浅草寺で奉納 泣き相撲があると聞き、5月30日出かけました。
本堂裏手に九代目市川團十郎「暫」像があります。
「暫」は元禄10年(1697年)江戸中村座で初代市川團十郎が初演の歌舞伎の演目です。
浅草寺にあった九代目市川團十郎の「暫」像は戦争で供出され、昭和61年(1986年)復元されました。
「暫」像は鎌倉権五郎の前髪姿の少年なので豪快に力強く欲しいとの願いを込めて法要に合わせ、泣き相撲が奉納されます。平成27年(2015年)は復元記念第25回だそうです。
    
    


応募した平成26年生まれの豆力士は120名。60名ずつ東西に分かれ、まずは保護者に抱かれて土俵入りです。
浅草寺の僧侶から頭に祝福を受けていました(写真左)
    

土俵には呼び出し、行司、検査役(2名)と揃って本格的です。
まわし姿の組ませ役(大学相撲部員)に抱かれ土俵に上がり、泣き声を競います。両者がなかなか泣かない時には検査役が鬼のお面で脅かします。(呼び出しの下の写真)大きな声で泣いた方が勝ちです。




  [こぼれ話] 寅さんから学ぶこと

全国を商売で歩き回った寅さんはウォーキングとご縁がある方なのです。映画「男はつらいよ」寅さん役の渥美清氏の7回忌の平成14年(2002年)8月4日に最終ゴールを合わせ、映画の全国ロケ地を歩く「寅さんウォーク」が日本ウオーキング協会主催で平成13年(2001年)8月4日長野県小諸から始まりました。
日本ウオーキング協会が平成12年(2000年)から始めたオールジャパン ウォーキングカップ(現在も継続中の全国47都道府県で土日開催の認定ウォーキング大会を歩く)との並行開催のウォーキングイベントです。「寅さんウォーク」のゴールは東京葛飾柴又大会で、もちろん参加して、寅さんを偲びました。
全国のウォーキング大会を歩き回っていて、妻の友人から映画の寅さんのようだと「平野 寅次郎」と名付けられ、参加したウォーキング大会を紹介する紀行文のペンネームにしました。

前章で葛飾柴又を訪れた寅次郎、柴又駅前で「寅さん像」と再会。この像は旅に出る寅さんが見送る妹さくらを振り返る姿です。
映画の寅さんは最後の第48作男はつらいよ 寅次郎 紅の花」を平成7年(1995年)12月に封切り、翌年の8月4日に永久の旅に出てしまいました。

映画の中では柴又に戻ると周囲と問題を起こし、マドンナとは失恋の連続(自ら身を引いた時もあり)でしたが、寅さんの自然体の生き方は私の会社卒業後の生き方を考える上で大いに参考になりました。今までの生き方で反省したことは、自分を抑えたり・背伸びをして周囲や会社に尽くす「滅私奉公」から、自分の持てるものを活かして人の役に立つ・社会に貢献する「活私貢献」の生き方です。
     
写真右は柴又「寅さん記念館」内の映画のセット「とらや」の店先で居眠りしている作り物の寅さんです。

「寅さんは学歴・肩書きなど少しも気にせず、自分自身の出来ることが何かよくわかっていて、一生懸命に本気で、一緒に悲しみ・喜ぶ。決して弱い者、特に女性の弱みには付け込まない。時間をたっぷり持ち、いつも人に役に立つことを考え、自分のできることを実行する。
お金にこだわらない、お金を稼ぐことが目的ではなく、楽しく生きることが第一。
旅先での人々と、さりげない・しつこくない振る舞い、出会い・ふれあい・別れでの絶妙なトーク(特にマドンナ達と)はコミュニケーションの在り方を考える上で大いに勉強になりました」映画「男はつらいよ」は平成27年(2015年)6月現在、BSジャパンで毎週土曜日18時54分から全作品を順次放映をしています。

映画を見ていない方はぜひご覧を!時間が合わない方は録画を!
寅さんは今でも私の心の中にいて、一緒に歩き、人生の先輩として生き方や男の在り方を教えてもらっています!

次回は江戸らしい祭-11です。


平野 寅次郎 拝