紀行

江戸・東京の祭-27
(江戸らしい祭-11)
平野 武宏

最近は女性の山歩きが増え、「山ガール」などの新語が出来ました。
江戸時代にも信仰による山歩きがあり、歳時記に「山開き」があります。但し、残念ながら霊峰富士山などは女人禁制の時代が長かったようです。
江戸から「富士講」と称して富士登山兼遊びの旅がありましたが、講の代表が行くので、行けない人のために江戸にミニ富士山の「富士塚」が作られました。寅さん歩 その9 東京の富士塚めぐりー1を参照下さい。 
現在でも江戸に残された富士塚では「お山開き」が7月1日に行われています。前日の6月30日から行っている所もありました。

[小野照崎神社 お山開き]

  最寄り駅 日比谷線 入谷駅
   
御祭神は小野篁(平安初期の儒学者・歌人で子孫に書道家 小野道風、歌人 小野小町)、御配神は菅原道真で「学問・芸能の神様」の古社。社殿脇には東京に残っている富士塚の中で最も荘厳な姿を有していると、国の重要有形民俗文化財に指定された「富士浅間神社」 (下谷坂本富士)があります。年にお山開きの2日間のみ入口の扉が開き、登山できます。下町情緒があると評判の6月30日の開山式に出かけました。「夏越の祓」の時期でもありました。




写真上左はまだ閉門中の富士浅間神社(下谷坂本富士)、写真右は社殿。

写真下左は事前に配布された「かたしろ」。身体の悪い部位に当て、息を吹きかけ、紙に包み、写真下右の「茅の輪」の前の祭壇に積まれます。

 

「大祓」、「夏越の祓」、「茅の輪くぐり」の後、写真下右の浅間神社祭壇に御神饌と玉串を捧げ、浅間神社の扉が開き、神官を先頭に「六根清浄」を唱え、山頂へ。
  

山頂で「四方祓」、実際の富士山の方角に向かい「遥拝」。天下泰平と五穀豊穣の祈りを捧げます。約6mの高さですが、足元は富士山から運んだ溶岩でごつごつして歩きにくいです。山頂で祈る女性達の姿が印象的でした。
国の重要文化財の富士塚に登拝出来たという貴重な体験でした。

  





下山して、いただいた「神饌」の中身は「夏越ごはん用雑穀米」(2合用)でした。
「夏越の祓(なごしのはらえ)」とは半年間知らず知らずに犯した罪や過ち、心身の穢れを祓い、残り半年の間の無病息災を祈る神事で、茅の輪を8の字を描くように3回くぐります。半年間の多くの過ちを祓い落とした寅次郎でした。
大晦日には「年越の祓」が行われます。

 
[駒込富士神社 大例祭]

   最寄駅 南北線 本駒込駅
  
東京大学の赤門内にあった椿山(本郷富士)の富士権現が移されたそうですが、古墳を転用したとの説もあり。高さ約7mで「駒込富士」と呼ばれています。

  

例大祭で神社入り口から露店が並び、境内には金魚すくいや射的があり、映画「男はつらいよ」の寅さんの商売の世界でしたが、寅さんのような口上の「たんか売」はありませんでした。


写真上左は富士山の登り口、写真右は山頂の浅間神社です。

 [十条富士神社 山開き]

   最寄駅 JR京浜東北線 東十条駅






日光御成街道(岩槻街道)に面したこじんまりとした約5mの十条富士。
写真上は順に登り口・登山道・山頂の奥宮・下山道です。

 [浅間神社 大祭]

  最寄り駅 新宿線 篠崎駅からバス利用

日本一巨大な幟が10本立つと言う「幟祭り(はたまつり)」は勇壮な祭だと聞き、7月1日に出かけました、今年は「陰祭」で幟は立てないとのこと。
テントにいた幟会の方から「雨の中よく来てくれた」と冷えた缶ビールをいただき、祭りのVTRを見せてくれました。祭りのイベント隔年開催は「来年の本祭まで元気でいなければ・・・」と延命・長寿の効用もありますね。



寅さん歩 その9東京の富士塚めぐり -2文京区、-3台東区、-4北区、-11江戸川区を参照ください。

 
 [こぼれ話] 歩けの大先輩 伊能忠敬

前章で映画「男はつらいよ」の寅さんはウォーキングに御縁があると話しましたが、もっと昔からウォーキングに御縁と言うよりも「歩け(ウォーキング)の大先輩」がおられます。
門前仲町にある富岡八幡宮の参道銅像が立つ「伊能忠敬」です。佐原での名主を50歳で隠居した忠敬は江戸に出てきて、門前仲町に隠宅を構え、測量や天文学の勉強をします。
幕府の援助を受け、歩測で鍛えた自らの足で全国を歩き、寛政12年(1800年)~文化13年(1816年)足かけ17年をかけて全国を測量、「大日本沿海輿地全図」を完成させ、初めて日本国土の正確な姿を明らかにしました。
第10次までの測量の旅に出立の際は必ず富岡八幡宮に参拝し、安全祈願をしたそうです。
               



「歩測」とは歩幅で距離を測ることで、同じ歩幅で継続して歩くことが求められます。住居のあった深川(写真上左 前は葛西橋通り)から清澄通りの両国・浅草にかけては忠敬が正確な歩幅を鍛錬した「伊能忠敬 歩測練習の道」が残されています。写真上右は清澄通りと葛西橋通りの交差点です。清澄通りは深川から両国の国技館まで長い直線の道で歩測練習するには最適です。
歩測が主だったのは第一次測量で、以降は縄などが主に使われたそうです。
ウォーキング大会のゴールで忠敬にちなんだ「歩測大会」が行われることがあります。最初に、一定の距離で自分の歩幅値を算出、次に定められた距離を歩き、歩数に自分の歩幅値をかけ、距離を算出します。
結果の精度により「歩測の達人」・「歩測の名人」の名称が与えられます。
ウォーキングを始めた頃、寅次郎も「平成の伊能忠敬」に挑戦しましたが、コースの角を雑に歩き、「歩測の凡人」でした。
一緒に参加したFWA同僚Fさんは「歩測の達人」。「缶ビールを飲んだ後で歩測したのが良かった」とは達人の弁。

日本ウオーキング協会・伊能忠敬研究会・朝日新聞社は共催で平成11年(1999年)1月1日深川をスタート、2年間をかけて「平成の伊能忠敬ニッポンを歩こう」をスローガンに忠敬が測量して歩いた道筋をたどりながら、全国約1万3千キロを歩く「伊能ウオーク」を開催しました。
全行程を歩く本隊員の募集がありました。寅次郎、当時はまだ宮仕えの身で2年間の休暇は取れず、本隊に応募出来ませんでしたが、最終コースの神奈川県から東京都入りに参加し、21世紀の幕開けの平成13年(2001年)1月1日に本隊と一緒に日比谷公園へ感動のゴールをしました。

また平成13年(2001年)には映画「伊能忠敬-子午線の夢-」でその生涯が映画化され、伊能忠敬役は加藤剛が演じました。
寅次郎も映画を見に行き、感動した記憶があります。

ウォーカーの皆様、一度は富岡八幡宮へ出向き、伊能大先輩にご挨拶を!      

次回は江戸らしい祭-12です。


平野 寅次郎 拝