紀行

江戸・東京の祭-30
(江戸らしい祭-14)
平野 武宏

[槍祭 王子神社例大祭]

  最寄駅 JR京浜東北線 王子駅/都電荒川線 飛鳥山駅

初めて聞く名前のお祭りですが、元亨2年(1322年)豊島郡を支配していた豊島氏が紀州熊野三社権現から勧請し、小田原北条氏、徳川幕府から厚い加護を受けた王子神社の例大祭は「槍祭」とも呼ばれたそうです。
御槍」と言う古伝の御守護が出ることにちなんだそうです。
平成27年(2015年)は8月7日~9日の日程で、最終日には田楽舞が奉納されると知り、出向きました。社殿前には舞台が作られていました。

                   

王子神社田楽舞の起源は鎌倉時代に遡ると言われ、一般的な田楽舞が五穀豊穣を祈念するものであるのに対し、こちらは魔事災難除けを祈念するものと言う大きな特徴があるそうで、東京都北区指定無形民俗文化財です。
衣裳の色や花笠の色には陰陽思想や五色思想が表され、「進み」と言う歩き方には修験道の作法の一つである反閇(へんばい)という歩行法が用いられているとのこと。昭和初期、田楽舞奉納日には上野から臨時列車が出たそうです。
戦争で40年間途切れましたが、昭和58年(1983年)地元有志により復興されました。また、田楽舞は田楽能と呼ばれ演劇要素を擁し、後に猿楽や能に押されましたが、王子神社の田楽舞は古式のほぼすべてを有しているとのことです。「 」は配布された式次第です。

「田楽行列」:区役所方面から行列をなして神社に練り込みます。鳥居の下で修祓の儀の後、露祓いの武者を先頭に神官、槍合わせ衆と進みます。




「露祓い」:神官が社殿前に座ると露祓いの武者が舞台に上がり、舞台の四方を突いて廻ります。
「槍合わせ」:田楽舞奉納の無事を祈願し、舞台で槍を突き合わせます。舞台には紙に書かれた十二番の王子田楽の演目が吊るされています。


「七度半」:次は鳥居下で槍を持って待っていた子供たちの出番です。
田楽お迎えの使者が神社から出てきますが、傘打ちの子供たちに「まだまだ」と追い返されます。使者は舞台を廻って戻り、この動作が繰り返されます。使者は七度追い返され、舞台の周りを七周半し、やっと子供達を神社内に案内します。田楽行列も続きます。

          

「田楽舞奉納」:王子神社田楽舞の中で貴重な演目、一番「中門口」。
この舞は舞台の下で舞われます。これは田楽座が貴人宅に練り入る際に、門の所で芸を披露した形態を残しているものと言われています。その後、4本の大太刀を付けた異様な姿の警護武者二人が舞台に上がり、座って警護を始めると、演目二番以降の奉納です。




演目は全十二番行うと2時間以上かかるため、毎年、適宜数演目を選んで舞われるとのこと。


舞が終わると舞い手が紹介されます。花笠を取ると小・中学生達でした。
寅次郎、「しっかりと継承されているな」と感心しました。
また、以前は舞児のかぶる田楽花笠は大変な縁起物として人気があり、その争奪戦がすさまじく、戦前は天下御免の「けんか祭り」としても有名だったそうです。現在は、代わりに「福まき」が行われ、けんかはありませんでした。寅次郎、しっかりと2個の福をゲットしました。


福はつきたてのおもちと槍の形をしたお守り、裏には次の文字が記載。
 「田楽は難を ササラとやりすごし
    御槍は鞘に 納めて天下泰平」

王子神社境内には 末社として蝉丸法師を祭神とし、理容業者、美容業者、鬘業者等により信仰されている全国でも珍しい「髪」の祖神 関神社があります。その筋のお願いをする方はお早めに!寅次郎は遅かりきです。
寅さん歩 その10 健康ご利益めぐり-30 北区を参照ください。
王子神社については寅さん歩 その3-1東京十社の初詣、その11江戸・東京の祭-10 江戸らしい祭-10を参照ください。

 
[こぼれ話] 武蔵一宮 氷川神社

  最寄り駅 JR大宮駅/東武野田線 北大宮駅

王子のある北区の隣は埼玉県です。武蔵国の一宮は東京都内にはなく、さいたま市大宮区にありました。ウォーキング例会で訪れ、初めて知りました。
由緒によると、創建は二千有余年前で日本武尊も東夷鎮定の祈願をしたとのこと。明治元年に明治天皇が武蔵国の鎮守・勅祭の社と定め、朝廷をはじめ多くの人から崇拝を集めてきました。この地は「大いなる宮居」と呼ばれたことから、「大宮」という名がついたと言われています。約3万坪の境内には13の摂社・末社があるとのこと。長い参道の三の鳥居をくぐり、神池の橋を渡って楼門に到着。その先の舞殿の奥が拝殿です。本殿はまたその奥にあります。

神池の橋 楼門
 舞殿  拝殿

次回は新しい祭-3です。


平野 寅次郎 拝