紀行

江戸・東京の祭-33
(江戸らしい祭-16)
平野 武宏

[鉄炮組百人隊出陣]皆中稲荷神社

  最寄駅 JR新大久保駅


平成27年9月26日・27日は皆中稲荷神社の例大祭。27日には2年一度の「江戸幕府鉄炮組百人隊の出陣」(今年は28回目)があると知り、朝方の雨は上がったが、その後の空模様を気にしながら出かけました。なにしろ火縄銃が使われるとのことなので・・・


JR新大久保駅からすぐの皆中神社入り口までのぼり旗が並び賑やかです。写真下は皆中稲荷神社です。


境内の説明板には「新宿区登録無形民俗文化財の江戸幕府 鉄炮組百人隊隊列(出陣の儀)とは皆中(かいちゅう)稲荷神社の例大祭で隔年(平成は奇数年)に開催される行事で江戸時代に現在の百人町一帯に屋敷を与えられた幕府鉄炮組 百人隊が神社に奉納したと伝えられる出陣式を再現したもの
当日は甲冑に身を固めた武将が百人町周辺を隊列行進し、火縄銃を携えた鉄炮隊が数か所で古式にのっとり試射を行う。幕府鉄炮組は四組あり(百人町に住んだのは二十五騎組、別称 大久保隊)通常は交替で江戸城大手三之門を警備した。また、将軍の寛永寺・増上寺・日光東照宮参詣には護衛をした。皆中稲荷神社は鉄炮組から信仰された。ある隊士が稲荷の霊夢により百発百中の腕前に上達したことが起源という。皆中は“みなあたる”の意味がある」と記載。


「開運的中」の絵馬やお守りのご利益は現代では馬券や宝くじでのお願いする参詣者が多いとか。
「ここ一番の人生勝負」ではおすがりしようと心に決めた寅次郎でした。                  
境内脇の広場に集合した武者達には女性の姿もあり。皆、地元の方だそうです。左肩に役目、氏名が書かれた布を付けています。
出陣式では火縄銃を持った6名の「鉄炮同心」による試射が行われました。轟音と大量の煙が出てびっくり。



隊列は高張提灯を先頭に神官、鉄炮組百人隊の幟、徳川幕府の葵の御紋の幟と続く行進が始まりました。







続いて馬に乗った「馬与力」、赤い兜の「大目付」の武将が登場。


「皆中一心」の旗竿の女性武者達の役目は「先物見」と記載。


「鉄炮同心」は「一番隊」から「三番隊」まであり、先頭に「指揮与力」、「鉄炮同心」、「玉薬方」、殿に「陣貝」、「陣太鼓」の構成。


写真上右で肩からかけている丸いものは食糧とのこと。


写真上左の赤い箱を背負った武者は「玉薬方」で箱の中には弾薬が入っているとのこと。鉄炮組は歩きながら先頭の指揮与力の号令で勝鬨の声を上げていました。


隊列の殿(しんがり)は旗竿の武将。名前を見ると小学校校長、保育園園長他の地元の有力者達でした。旗竿の言葉が勇ましい。
「百雷通偉効」、「不惜自命」、「一火萬雷」、「見敵即討」、「紫電一閃」、「百鬼夜行」、「百発皆中」など。読めない言葉もありますが、鉄炮百人組の心意気が伝わってきます。(字の見間違えがあったら失礼します)試射や型(写真右)の披露は途中、狭い場所でありましたが大勢の観客で撮影が難しかったです。戸山小学校校庭で大規模な試射がありました。



写真上は勢揃い、「玉薬方」による弾込め、一斉射撃。
写真下は座った姿勢や立った姿勢で、順に連射。


地元の若い人達に引き継がれている勇壮なお祭りでした。
休憩時に火縄銃を見ることが出来ました。


[こぼれ話]与力・同心

「鉄炮同心」は幕府直轄組織の同心ですが、一般には町奉行の下で江戸市中の治安維持に働くのが「与力」とその部下の「同心」です。
前章で紹介した南町奉行所や北町奉行所で働いていました。江戸の拡張で多くの寺が郊外に移転した後にできたのが与力・同心組屋敷の町 八丁堀(今の日本橋茅場町から八丁堀)で彼らは「八丁堀の旦那」と呼ばれました。
着流し姿でお洒落者が多い同心は毎日髪を結い、鬚を剃ることを自慢にしていて、毎朝四つ(午前10時頃)まで女湯を貸切にして自由に使うことが出来ました。そのため女湯には刀置きがあったそうです。十手を持って捕り物に登場する「岡っ引き」や「目明し」は同心の手先だそうです。

次回は江戸らしい祭-17です。


平野 寅次郎 拝