紀行

江戸・東京の祭-34
(江戸らしい祭-17)
平野 武宏

 [菊供養会 金龍の舞]浅草寺

      最寄駅 浅草駅

日本最古の庶民信仰の寺 浅草寺には「浅草寺寺舞(せんそうじじまい)」があると知りました。昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲は浅草の町並みを焼き払い、大半の伽藍を焼失した浅草寺の復興は地元のみならず全国の信徒の悲願で、その再建は多くの人々の喜びと勇気を与えました。これを期に「寺舞」が創始されたそうです。
寺舞は地元有志の人々により奉演され、ご縁日の日には参拝者を楽しませています。10月18日菊供養会 [明治30年(1897年)中国の故事の法話をきっかけに始まり、信徒は菊を供え、祈祷を受けた菊と交換する]
金龍の舞」(きんりゅうのまい)は昭和33年(1958年)本堂(観音堂)再建を記念して創始奉納されました。浅草寺の山号「金龍山」から名を取ったこの舞は「浅草寺縁起」に観音示現の時、「寺辺に天空から金龍が舞い降り、一夜にして千株の松林が出来た」(現世利益ともなる五穀豊穣の象徴)とあることから創作されたものだそうです。
金龍の舞は3月18日の示現会にも奉演されます。

               

本堂(観音堂)内では菊の交換が行われ、五重塔前には菊の花が飾られていました。五重塔前の大菊(写真上右)は福島県二本松市の製作者から奉納の大菊懸崖で花数325輪とのこと。本堂脇で待っていると仲見世から宝蔵門をくぐり、「金龍」の登場です。長さ約18m、面さ約88kg、8名に操作され、まずは本堂に入りました。




本堂から脇の広場に進み、山車に乗るお囃子のお姐さん達の音曲に合わせ「金龍」が舞いだしました。






写真上右は宝蔵門と東京スカイツリーを背に舞う「金龍」です。昔はこんな光景はありませんでした。
舞い終わった「金龍」を触らせてくれました(写真下)無病息災のご利益があるそうです。もちろん、寅次郎も触りました。


「金龍の舞」をご覧になる方はお囃子の山車の停車場所(奥山側)に注意。
折角良い場所を確保していた寅次郎、山車にどかされて撮影場所の確保に苦労しました。この日は午後にも「金龍」は舞うそうです。

なお、浅草寺の寺舞としては他に次の舞があります。

「白鷺の舞(しらさぎのまい)」
昭和43年(1968年)の「東京百年祭」を記念して創始奉納され、 4月第2日曜日、5月の三社祭、11月3日に奉演されます。
京都八坂神社の祇園祭の「鷺舞(さぎまい)」を参考にして「浅草寺 縁起」の遷座(ぜんざ)式に登場する「白鷺の舞」を再興したもの だそうです。
寅さん歩 その11 江戸・東京の祭-22(三社祭-2)参照。

「福聚の舞(ふくじゅのまい)」
昭和39年(1964年)の「宝蔵門落慶」を記念して創始された舞です。
福聚とは「観音経」にある「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」観音様が供えている海のごとき福徳の聚(あつまり)」から名付けられたもので、次の二つの舞があります。
2月の節分会で奉演される「七福神の舞
浅草猿若三座の一つの「市村座」で興行に先立ち演じられた狂言を再興したもので節分会に観音様の功徳をたたえるために奉演。

5月5日の端午の節句の奉演される「宝の舞
舞踊の「三社祭」に登場する檜前浜成(ひのくまはまなり)、竹成(たけなり)の漁師の衣装をまとった宝童士(浅草寺幼稚園園児)が宝船を曳いて練り歩くものです。寅さん歩 その11 江戸・東京の祭-19(江戸らしい祭-8)参照。

 [こぼれ話] 江戸勤番武士の郊外ウォーキング

江戸には二百を超える大名の藩邸、徳川家直属の旗本、御家人(将軍にお目見えできない下級武士)が住む屋敷があり、江戸城を中心に広い範囲の武家地がありました。その広さは江戸の町の約7割だったそうです。
江戸には地方から上京した武士も多くみられ、その勤務は月に十日程度と暇で、下級武士の江戸での娯楽はもっぱら「てくてく」と江戸の名所を巡る江戸見物だったようです。
但し、当時は案内をしてくれるウォーキング協会など存在しないので、「江戸名所図会」(江戸・東京の祭-16 江戸らしい祭7のこぼれ話-3参照)などが役に立ったことでしょう。

紀州藩の江戸単身赴任の28歳の武士の日記には藩邸の赤坂の長屋から非番の日の郊外ウォーキング「飛鳥山さん歩」が残されています。
コースは赤坂→小石川傳通院→駒込白山神社→染井・巣鴨の植木屋→飛鳥山→料理茶屋の扇屋で食事→王子権現(王子神社)→市ヶ谷→四ツ谷→赤坂他に「深川さん歩」や「浅草・向島さん歩」や芝への「見世物見物」等があったとか。少ない小遣いなので「吉原通い」の記載はないそうです。

お祭りや派手なことが大好きな江戸っ子達も季節ごとに行楽地に出かけています。特にお花見では大いに羽を伸ばしています。
飛鳥山や向島(墨田川堤)は八代将軍吉宗が桜を植え、将軍墓所で歌舞音曲ご法度の上野に代わる花見の地として江戸庶民のガス抜きの場としました。

次回は花の祭-8です。


平野 寅次郎 拝