紀行
江戸・東京の祭-36 | |
(新しい祭-4) |
平野 武宏 |
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[文京一葉忌]法真寺 本郷5-27-1 最寄駅 大江戸線 本郷三丁目駅 11月23日は5千円札の肖像にもなっている薄幸の女流小説家 樋口一葉の命日です。本郷の東大赤門前の法真寺で「文京一葉忌」が行われると聞き、寅次郎、出かけました。法真寺参道脇に一葉が住んでいた家があったそうです。 写真下右の左端に見える白いフェンスの所が一葉の旧居跡とのこと。 |
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写真左は法真寺です。 命日には文京一葉会の会員を対象に法要や朗読会・講演会が行われます。 |
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成績優秀でしたが母の反対で進学を断念した一葉を不憫に思った父は中島歌子の「萩の舎」に入門させ和歌、書道、古典を学ばせます。 父の死後、母と妹を養う生活に「萩の舎」の先輩を見て、小説でお金を稼げると知り、19歳で小説家をめざします。朝日新聞の小説記者 中井桃水に師事、桃水への思慕の気持ちは周囲からの中傷を受け、身を引いています。生活は苦しく、苦労しながら「たけくらべ」をはじめ「にごりえ」、「十三夜」などの作品を残し、結核で24歳の若さでその生涯を閉じました。父と長兄の借金から身を隠すように16回も引越しをしたとのこと。 [一葉祭]一葉記念館 台東区竜泉3-18 最寄駅 日比谷線 三ノ輪駅 (近くのバス停は竜泉) 樋口一葉の業績を保存・展示している台東区立一葉記念館では自筆の草稿をはじめ、一葉を偲ぶ遺品などが展示されています。 記念館は11月21日~23日の「一葉祭」で開催期間中は入場無料です。平成27年(2015年)は「たけくらべ」発表120年記念とのこと。入口脇のテントでは甘酒のサービスもありました。 寅次郎、館内に保存されている一葉の美しい字に感激しました。 |
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竜泉は一葉が明治26年(1893年)から9か月間の間、生活した借家があった所で、近くの吉原通いの客を相手に駄菓子荒物屋を営み生活をしていた地です。写真上は記念館に展示されていた昭和42年(1967年)に長谷川清 画伯により制作された雪景色の一葉の店です。正面の二軒長屋の左片側が一葉の店で、右片側で前に人力車が置いてあるのは人力車の車宿です。 [こぼれ話]一葉の足跡 桜木の家 文京区本郷5-26-4 一家は最初から貧しくはありませんでした。両親は山梨から江戸に出て、父は「同心」の株を買い、農民から武士になりましたが、翌年に江戸幕府が崩壊、東京府の役人・実業家となり、法真寺東隣に土地を買い、家を建てました。 一葉は明治5年(1872年)千代田区の東京府の官舎で生まれ、父の退官後、4歳~9歳までこの家に住み、「桜木の宿」と呼び、子供時代の幸せな頃を懐かしんでいます。 広い庭と大きな桜の木があったそうです。一葉らしき銅像と「桜木の宿」と書かれた建物(写真上)がありましたが、ここは法真寺墓地の事務所で旧居跡は参道を挟んで向かいにある駐車場になっている場所だそうです。 菊坂の家 文京区本郷4-32-7 菊坂周辺にはあたかも明治時代にタイムスリップしたような、ひっそりとした、たたずまいの家がまだ残っています。 昔懐かしい手押しポンプの井戸が残る路地に一葉が住んだ「菊坂の家」があります。 父が事業に失敗・病没。その翌年の明治23年(1890年)に「桜木の家」から母、妹とこの借家に引っ越してきました。一葉18歳の初秋です。 残念ながら、右側に新しい家が建ち、旧居跡の所在はわからなくなりました。 |
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旧伊勢屋質店 文京区本郷6-5-16 一家の戸主となった一葉は、他人の洗濯物や針仕事を引き受けて生計を立てて、いましたが、生活は貧窮を極め、近所の菊坂にある伊勢屋質屋のノレンをよく、くぐったと日記に記されています。 現在の旧伊勢屋質店の建物の所有者は代わったそうですが、一葉の頃の土蔵がそのまま残されています。一葉は菊坂の家を引っ越した後も通って来たそうで、質屋の主人は一葉の葬式に香典を持って弔問したとのこと。 |
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竜泉の旧居跡 台東区竜泉3-15-2 21歳の時、竜泉に転居し、駄菓子荒物屋をやっていた旧居跡の碑です。一葉記念館に行く手前にありました。前述の絵を参照ください。 吉原の近くのこの界隈を基に、名作「たけくらべ」の構想が生まれたと説明板に書いてあります。商売は9ケ月で廃業し、本格的な執筆のため、本郷丸山福山町へ転居しています。 |
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終焉の地 文京区西方1-17-18 22歳で本郷丸山福山町(今の西方)に転居、ここが終焉の地となります。白山通りに面したコナカ前に終焉の地の碑がありました。 一葉はこの地で明治27年(1895年)12月から明治29年(1896年)1月の間に後の代表作となる「大つもごり」、「たけくらべ」、「にごりえ」、「十三夜」などの名作を発表しています。奇跡の14ケ月と言われる時期です。 |
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そして明治29年(1896年)11月23日24歳の短い生涯を閉じました。 「一葉」の筆名は、達磨大師が一葉のよしに乗って揚子江を下った故事にちなんだそうで、一葉は「達磨さんも私も“おあし(銭)”がない!」と洒落たそうです。 何気なく使っていた5千円札の一葉の顔をあらためて見つめ、24年間に凝縮された彼女の人生の苦労のほどを思い偲んだ寅次郎でした。 |
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次回は江戸らしい祭-18です。。 平野 寅次郎 拝 |
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