紀行

江戸・東京の祭-38
(江戸らしい祭ー19)
平野 武宏

新しい年を迎えた行事は「○○始め」、年の最初の縁日は「初○○」と呼び、皆で楽しみます。江戸っ子は祭りが大好きなのです。最寄駅は代表例です。


 [七草火焚き祭] 愛宕神社

   最寄駅 三田線 御成門駅

「枕草子」にも記述があり、1月7日には春の七草を食べ、無病息災を願う習慣で、各地で祭りが行われます。
昨年は待乳山聖天の「大根まつり」を訪問したので、今年は「七草火焚き祭」が行われる愛宕神社を訪問しました。
徳川家康の命で「江戸の防火・防災の守り神」として創建された愛宕神社は江戸の月見・花見の名所として浮世絵にも描かれています。讃岐丸亀藩の家臣 間垣平九郎が将軍家光の求めで山頂の梅花を愛馬で駆け上がって献上した「出世の石段」の男坂は86段、勾配46度。標高26mの頂上の愛宕神社境内には桜田門で井伊大老を襲った水戸浪士達が結集して戦勝祈願をしたとの碑があります。


「江戸無血開城」を決めた勝海舟は西郷隆盛をここに誘って江戸の町の繁栄を見せ、江戸総攻撃がいかにむなしいか改めて説いたとの逸話があります。大正3年(1914年)に日本初のラジオ放送がこの地から行われています。
今はNHK放送博物館があります。
「火焚き祭」はだるまに囲まれた山盛りのお札に火を持った巫女が点火、神官の祝詞と共に宮司と巫女が願い事を書いた棒木の投げ入れ、火打石や刀剣による御祓い、見物者への四方御祓いとユニークな神事でした。





 
 神官の火打石の御祓いと祝詞中の棒木の投げ入れです。  

 

 神官の持つ刀剣での御祓いで終了。後は七草粥のふるまいです。

 
大人のふりかけもついてきました。味は薄目、量は寅次郎には物足りませんでした。帰りは「出世の石段」を下りるのは避け、女坂を下りましたが少しだけ勾配の緩やかな石段でした。
     
「大根祭り」は寅さん歩 その11江戸・東京の祭-12(江戸らしい祭-5)、「愛宕神社」はその10健康ご利益めぐり-14港区を参照ください。


 [初鬼子母神] 雑司ヶ谷鬼子母神

   最寄駅 荒川線 雑司ヶ谷駅

鬼子母神はインドの夜叉神の娘で多くの子供を生みましたが、他人の子供を奪って食べる癖がありました。釈迦がこれを戒めるため、鬼子母の子を隠したところ、子を失う悲しみを知り、仏に深く帰依して「安産と子育ての神」に変身したそうです。その為、ツノのない鬼の字を書くのだそうです。パソコンにはありませんが・・・
創建は天正6年(1578年)ですが、本殿は寛文6年(1666年)芸洲広島 浅野家の奥方が再建し寄進したものとのこと。
縁日は8のつく日で、1月8日の初鬼子母神に訪問しました。
参道は名物のケヤキ並木で江戸後期には茶屋や屋料亭が並び賑わった様子が江戸案内書の「江戸名所図会」にも記載されています。


ザクロの絵馬が目立ちます。子だくさんの意味、鬼子母の好物とか。
境内には天明元年(1781年)創業の「上川口屋」が今も営業し、駄菓子を売っています。


 寅さん歩 その10健康ご利益めぐり-25豊島区を参照ください。


 [初薬師] 新井薬師

   最寄駅 JR 中野駅 

正しくは「松高山梅照院薬王寺」と称する真言宗の名刹。豊臣秀吉に滅ぼされた小田原北条氏の家臣 梅原将藍が出家し、庵を結んだのに始るとのこと。
江戸期には難病に効くと言う夢想丸なる丸薬を売り出して俗に「子育薬師、冶眼薬師」と信仰されてきたそうです。境内には「白龍権現水」な る名水があり、病にご利益があるお願い地蔵が立っています。
毎月8の日が縁日で江戸後期から門前町が賑わっていたとのこと。
1月8日の訪問は9時半頃だったので参拝者もまばらでした。




  写真上は入口~山門、下は社殿と境内にあるお願い地蔵(水で洗う)
  寅さん歩 その10健康ご利益めぐり-29中野区を参照ください。


[初こんぴら]虎ノ門 金刀比羅宮

  最寄駅 銀座線 虎ノ門駅

               
虎ノ門のビル街の谷間にあるお宮さんです。万冶3年(1660年)三田の讃岐丸亀藩上屋敷に金刀比羅宮の分霊を移し祀ったのが始まりで、延宝7年(1680年)藩邸の移転と共に現在地に移されたそうです。
江戸庶民に毎月10日に参拝を公開したことから、10日が縁日となったとのことで1月10日に訪問しました。


本殿向拝幕の丸金の文字・葉団扇の紋と本殿の真正面にある銅製の鳥居の霊獣の彫刻が印象的です。ビジネス街だけに金運や商売繁盛のご利益祈願に来る方が多いとか。





 [だいこく祭]  神田神社(神田明神)


   最寄駅 JR御茶ノ水駅

一の宮 大己貴命(オオナムチノミコト)だいこく様、二の宮 少彦名命(スクナヒコナノミコト)えびす様、三の宮 平将門(タイラノマサカドミコト)の三柱を祭神とする江戸総鎮守。家庭円満、縁結び、商売繁盛、厄除けなどにご利益がある。今も神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108町会の総氏子。仕事始めには企業の人々の参拝の行列がニュースになっていました。明治維新で「神田神社」と社号が変わりましたが、江戸っ子は今でも「神田明神」と呼ぶ。日本三大祭りのひとつ「神田祭」が有名。随神門(写真下左)を入ると左手に日本最大規模の石造りのだいこく様が鎮座。1月9日~11日「だいこく祭」と聞き、1月10日に訪問しました。





境内では福笹が売られていました。

寅さん歩 その10 健康ご利益めぐり-20 千代田区、その11 江戸・東京の祭-2及び-21神田祭を参照ください。


 [こぼれ話]初詣

右のようなポスターを見つけました。
有名な寺社は初詣の参拝者の数がニュースになっています。
本来の「初詣」は自分の住む地にある神社にお参りし、氏神様を我が家にお連れしておせち料理を振舞うのだと聞きました。
でも氏神様は忙しくて大変、真偽のほどは?ですが、寅次郎は実行してみました。


近くには由緒ある天祖神社がありました

説明板によると「巣鴨村」の鎮守様で鎌倉時代末の元亨年間(1321~1324年)に領主の豊島氏が伊勢の皇大神宮の神様をお迎えしてお祀りしたのが最初だと言われております。明治6年(1873年)に「天祖神社」と名前が変わるまでは「神明社・神明宮」と呼ばれていました。御祭神は天照大御神様で皇室のご先祖にあたられ、日本人の総氏神でもあります。人々をいつも見守っておられる、最も貴い神様です」と記載。
    
新年から学んだ寅次郎でした。まだまだ訪問していない祭りがあります。
本年もご一緒にお祭りを楽しんでください。


次回は新しい祭-5です。


平野 寅次郎 拝