紀行


新宿 末広亭

江戸・東京の祭-41
(江戸らしい祭-20)
平野 武宏

  年初の祭の続きです。最寄駅は代表例です。

[初天神]亀戸天満宮(亀戸天神)

   最寄駅 JR錦糸町駅/亀戸駅

江戸時代から学問の神様として信仰を集め、梅や藤の名所として庶民から親しまれてきました。寛文2年(1662年)九州大宰府天満宮の神職が、飛梅の木で菅原道真の像を作り、祀ったのが創建といわれています。毎月25日天神様の日1月25日初天神1月24日・25  日には「鷽替え(うそかえ)神事」が行われ、『前年のウソを納め、新しいウソを求めると「凶もウソとなり吉にトリ替わる」といわれ、檜の一刀彫のウソに人気があり、沢山の人で賑わっています』(鳥居脇の説明板の原文) 鷽はスズメよりやや大きく、幸運を招く鳥とのこと。
日常生活で自分がついた嘘を他人に振り替えて、自分はきれいな心を求めるという、勝手きわまりのない行事だと思う寅次郎でした。



写真左上は太鼓橋上から社殿を臨む。紅白幕の手前が前年の鷽を納める場(写真左)、行列は新しい鷽を買う人々。

学問の神様 受験シーズンには受験生達の合格祈願で盛り上がった絵馬が季節の風物詩です。平成28年(2016年)の1月25日の梅はまだ蕾でした。
初天神の様子は落語「初天神」で語り伝えられています。
 
 寅さん歩 その10 健康ご利益めぐり-7(江東区-2)
      その11 江戸・東京の祭-13(花の祭-2)
      その11 江戸・東京の祭-20(花の祭-5)を参照ください。

 
[凧の市]王子稲荷神社

      最寄駅 JR王子駅

王子稲荷神社は鎌倉時代初期の早創とも伝わる古社。関東の稲荷神社総元締めで、毎年大晦日の夜には関八州から集まった狐たちが近くの装束稲荷で装束を整え、社の総領から位をもらうため、ひそかにこの王子稲荷に集まるという伝説があります。この時に狐が多ければ豊作、少なければ不作と信仰されていたとのこと。大晦日の狐の行列は現在、再現されていますが、寒い深夜での祭なので、寅次郎はパスです。
狐の話は落語「王子の狐」でも語られています。
2月の初午・二の午に境内で「凧の市」が行われます。たびたび大火に見舞われた江戸庶民には、風は大火を招くため、風を切って上がる凧を火事よけのお守りの「火伏の凧」が売られました。お守りにしたいと人々が神社の「奴凧」を買い求めたのが始まりとされ、江戸時代から続く伝統行事です。
寅次郎、平成28年(2016年)初午の2月6日に訪問しました。駅から神社への道の両側は露店が立ち並ぶ。社殿に登る石段があり、参拝者の安全確保のため、入場規制があり、30分待ちの行列でした。


人々は昨年買った「火防凧」が入った袋を持って並んでいます。
神社に納め、新しい「火防凧」を買い求めます。




写真上右は社殿右にある社務所の「火防凧」の売り場での行列です。


写真左は社務所手前の露店で売っている火防凧・奴凧で、行列しないで、すぐ買えます。
  
 寅さん歩 その10 健康ご利益めぐりー30(北区)参照ください。

 [針供養] 浅草寺淡島堂

   最寄駅 浅草駅

針供養とは折れ、曲り、錆びなどにより使えなくなった縫い針を供養し、近くの寺社に納める行事で、特に淡島神社(粟島神社)や淡島堂(粟島堂)で行われます。起源は中国の古い慣習が日本に伝えられたとされますが、詳細は不明。日本では9世紀後半に針供養の風習があったと考えられるとのこと。「淡島明神」は江戸時代から「なにより女性の病を癒し、女性の持つ苦しみを救済することを重んじる」、「女性の守り神」とのこと。針供養は事始めの2月8日や事納めの12月28日に行われます。
寅次郎、2月8日の浅草寺淡島堂の「針供養会」に出かけました。
浅草寺奥山門(観音堂左方向)にある淡島堂は修理中でテントをかぶっていました(写真下左は以前、訪問時に撮影)淡島堂前には針を刺すお豆腐がありました。淡島堂右手にある針供養之塔(大東京和服裁縫教師会50周年記念事業として発願、全国和装団体連合会他の協賛で建立)の前では金龍講の御詠歌が響いていました。
 



春節の観光で来日の中国語が飛び交う仲見世を避け、伝法院通りを行くといつもは行列で敬遠していた「大黒家天麩羅」本店に入れました。「針供養」ならぬ「腹供養」の寅次郎でした。
   

寅さん歩 その10 健康ご利益めぐり-2(台東区-2)及び
     その11 江戸・東京の祭-34(江戸らしい祭-17)
     を参照ください。

 
[こぼれ話]落語「初天神」と「王子の狐」

「初天神」

古典落語の演目の一つで元々は上方落語の演目の一つであるとのこと。
初天神に出かけた父親と息子の絆を描いている。三代目 三遊亭圓馬が大正期に東京落語にうつしたが、上方落語ではこの演目を演じ続けている。

「よく晴れた1月25日、父親は天満宮に参拝に出かけようとした。
すると女房は息子も連れて行ってくれと頼む。父親は息子が物を買ってくれとうるさく、せがむのが分かっており、乗り気ではないが、折り悪く外から息子が帰ってくる。どうしてもついて行きたいと懇願する息子を突っぱねるとヘソを曲げた息子は隣の家に出かけて行く。
『面白い話聞きたくなあ~い? あのね、昨日の夜、うちのおとっさんとおかっさんのお話』そんなこと外で話されてはたまらないと、大慌てで息子を連れ戻した父親は、しぶしぶ息子を初天神に連れて行くのだった。
天満宮への道で歩きながら、父親は息子に買い物をねだるなと念を押す。息子はおねだりをしない、いい子にするので、ごほうびに何か買っておくれと始まる。様々なものを買えと催促するが「体に毒だから」と無理な理屈で拒否する。あまりうるさいのでやむを得ず口封じで飴を買い与える。
参拝を終えた息子、今度はをせがむ。しぶしぶ買ったが、隣の敷地で『こんなものは子供がするもんじゃない』と自分が凧上げに夢中になる。あきれた息子は『こんなことなら親父なんか連れてくるんじゃなかった』とぼやいて落ち」

「王子の狐」

初代三遊亭圓右が上方噺の「高倉狐」を東京にうつしたものとのこと。
人を化かすと言われる狐が、かえって人に化かされる顛末を描く。

「王子の稲荷の狐は昔から人を化かすことで有名だった。ある男が王子稲荷に参詣した帰り道、一匹の狐が美女に化けるところを見てしまいます。どうやらこれから人を化かそうという腹らしい。
男は『ここはひとつ化かされた振りをしてやれ』と大胆にも狐に声をかけ、知り合いの振りをする。狐もカモを見つけたと思い、合わせてくる。二人は近くの料亭・扇屋に上がり込み、酒盛りを始めます。
男は酔いつぶれた狐の美女が寝ている内に、お土産に玉子焼きまで包ませ、『勘定は女が払う』と言い残し、さっさと帰ってしまう。
店の者に起こされた女、男が帰ったと聞いて驚き、びっくりしたあまり、狐の姿に戻る。正体露見し、今度は店の者が驚いて、狐を追いかけ回し、狐はほうほうの体で逃げ帰った。狐を化かした男は友人から『狐は執念深いぞ』と脅かされ青くなって翌日、王子までお詫びに行く。
巣穴とおぼしきあたりで遊んでいた子狐に『昨日は悪いことをした。謝っといてくれ』と手土産を言づけた。子狐は穴の中で痛い目にあって唸っている母狐に『今、人間がきて、謝りながらこれを置いていった』と話して土産を渡す。母狐は警戒しながら開けてみると中身は美味そうな、ぼた餅だった。子狐『母ちゃん、美味しそうだよ。食べてもいいかい?』母狐『いけないよ! 馬の糞かもしれない』で落ち」

次回は新しい祭-7です。


平野 寅次郎 拝