紀行




江戸・東京の祭-46
(番外編)
平野 武宏

寅次郎が体験した和・洋の「お祭り番外編」を紹介します。

[お江戸座敷芸『幇間』]

お座敷でのお祭りです。芸者さんのお座敷芸は仕事の上での宴会で体験済ですが、このお座敷芸は初体験でした。花柳界に伝わる江戸のお座敷芸で「幇間(ほうかん)」・「太鼓持ち」・「男芸者」などと呼ばれ、300年以上もの歴史があると言われています。「幇」とは「たすける」の意味で、宴席で客の機嫌を取り、酒席の興を助けるのを職業とする男とのこと。
太閤秀吉の周りにいて、機嫌取りで持ち上げていたので「たいこう持ち」から来たとの説もあるとか。今や日本に7人しかいない幇間。その伝統の幇間芸を受け継ぐ「櫻川七好師匠」と息の会った「浅草芸者よし涼さん」の三味線によるお座敷芸を間近で楽しみました。最初は「七福神」、次に「お婆さんや若い娘の参詣姿」を手拭いを上手に使っての一人芸で、楽しいトークと大爆笑の連続です。









「屏風芸」、屏風の向こうに相手がいるかのように見えます。


締めくくりはねじり鉢巻きでの「かっぽれ」でした。




残しておきたい日本の伝統芸・江戸のお祭りです。


  [シルク・ドゥ・ソレイユ] 

フランス語で「太陽のサーカス」です。火喰い芸の大道芸人だったギー・ラリベルテが1948年カナダ ケベック州で設立した当時は小さなサーカス集団でした。
「サーカス」は昔のお祭りに付き物でした。寅次郎の生まれ育った藤沢では子供の頃、近くの遊行寺「開山忌」が春・秋に行われ、境内に「サーカス小屋」がかかりました。あの哀調を帯びた音楽が小学校まで聞こえてきて、授業が終わったら見に行こうと決めていました。
但し、子供だけではテントの外から見るだけでした。当時の大人達のサーカスのイメージはあまり良くなく、「悪い子はサーカスに売り飛ばされる!」などと怖い言葉で脅かされる話を聞きました。
         
お台場ビックトップ(写真下左)で開催の「シルク・ドゥ・ソレイユ」東京公演を見る機会がありました。『今回のテーマは「トーテム」で人類の進化を物語に数億年の旅をプロジェクションマッピングと可動式ステージによる舞台の七変化。幻想的に、ドラマチックに、時空を超えた冒険へ。進化する感動を体験して欲しい』とは今や新しい独特なショースタイルで世界的エンターテインメント集団となった主催者の言葉。


   

写真上左はチラシの内開き、場内での撮影は入口に掲示の本日の演目(写真上右)までなので、寅次郎が特に感動した演目をチラシで紹介します。(チラシ掲載の許可済)
チラシ左上は「ユニサイクル・ウィズ・ボウル」で東洋風の演目で高さ2mの一輪車に乗りながら、頭に乗せた器に金属製のボウルを片足でけり上げ、投げ込む驚きの演技。演じるのは日本人ではない東洋系女性達(日本人の演技者は男性1名のみと後で聞いたので)

チラシ右上は「ローラー・スケート」でローラースケートを履いた男女が丸い小さな台座の上で回転、旋回をします。愛の無限さを体現するとのことですが、広いスケートリンクでのようなスピードでの動きは息を呑む演技でした。
      
チラシ下左は「カラペース」で巨大の亀の甲羅は地球上の「生命の起源」の象徴とのこと。鉄棒と下はトランポリンでカエル達に扮した演技者は宙を舞い鉄棒から鉄棒に飛び移る圧巻の技を繰り広げます。
他の演目で吊り輪・フラフープによる演技もあり、オリンピックの体操競技を見ているようでした。
      
チラシ下右は「ロシアン・バー」で驚きの演目。細い弾力性のある板の上を飛び跳ねる。最初は1本だが、続いて3本となり、まさに無重力の中の宇宙飛行士のように軽々と宙を舞っていました。
      
近代的な演出での空中ブランコも期待していましたが、当日の演目にはありませんでした。チラシに紹介の写真があるので、演目にはあるようです。

今までのサーカスには必ず動物芸ありとの常識を破り、人間の能力の限界まで追求したパフォーマンスと高い芸術性を持つ国際的なお祭りの凄さ・お祭りの進化を目のあたりにした寅次郎でした。

 次回はお江戸の閻魔大王です。

               

  平野 寅次郎 拝