紀行

寅さん歩 その13

お江戸の閻魔大王-1
(芝公園~東中野)
平野 武宏

お江戸の閻魔大王には「寅さん歩 その11 江戸・東京の祭-28 (江戸らしい祭ー12)閻魔まつりで7ケ所訪問しましたが、お江戸の閻魔大王はなんと44ケ所もあるとのこと。2012年寅次郎がお江戸に移り住み、入会した東京都ウオーキング協会(以降TWA)では2年間に8回に分け、歩いて巡ると知り、「寅さん歩」の新たなテーマとして取り組ます。閻魔大王はご開帳の時(藪入りの1月・7月)にしか、ご尊顔を拝見することが出来ませんが、当日はTWAが寺院に特別にお願いして、お会いすることが出来るそうです。
平成28年(2016年)1月24日に6ケ所の閻魔大王と1ケ所の奪衣婆にお会いしました。説明内容の一部は当日の配布資料も参照しています。最寄駅は代表例です。

 [勝林山 金地院]

  港区芝公園3-5-4  最寄駅 日比谷線 神谷町駅

東京タワーの足元にあり、京都南禅寺の塔頭で臨済宗のお寺。正門を入り、右折して右側にある閻魔小堂に鎮座。
身長50cmほどの石の座像で脇仏はありません。欠けた鼻を補修した痕があります。元和5年(1619年)江戸城田安門内に創建。寛永15年(1638年)将軍家光の命で現在地へ移転したとのこと。


 [三録山 宝珠院]

   港区芝公園4-8-59 最寄駅 三田線 芝公園駅

増上寺の裏手にあります。貞亨2年(1688年)霊玄上人の時、増上寺の伽藍群の一つとして開山。港七福神の弁財天で知られる浄土宗のお寺。身長2mほどの木像。司令(判決を言い渡す)と司録(判決を記録する)の脇仏が控えています。


 [一松山 長傳寺]

  港区元麻布1-2-2 最寄駅 大江戸線 麻布十番駅

麻布十番商店街から大黒坂を上り、江戸名所図会にも描かれている麻布一本松の手前にある浄土宗のお寺。
寛永5年(1628年)村哲上人が開基。墓所内の掛屋根の下に奪衣婆と一対になって並んでいる石像。奪衣婆はやさしいお顔に見えました。


 [平河山 浄土寺]

  港区赤坂4-3-5 最寄駅 千代田線 赤坂駅

六本木5丁目から赤坂5丁目方面に向かい、TBSから青山通りに向かう途中に入口がある浄土宗のお寺。
平河(千代田区)に創建、元亀3年(1572年)当地に移転。閻魔は石像で本堂前に露座の状態で置かれている。場所柄、生花が絶えないそうです。


  [霞関山 太宗寺]

   新宿区新宿2-9-2 最寄駅 丸の内線 新宿御苑前駅

赤坂見附から四谷駅に向かい、新宿公園の隣にあります。
慶長元年(1596年)頃、太宗という僧侶が建てた草庵「太宗庵」が前身で、信州高遠藩主 内藤家の下屋敷の一部の寄進を受けて起立。境内は広く、入口には甲州道中(街道)内藤新宿の旅人を見守る、江戸六地蔵の3番目 銅造地蔵菩薩坐像が鎮座。その隣に閻魔堂があります。木造彩色、総高5.5mは都内最大で「内藤新宿のお閻魔さん」と庶民の信仰を集めました。扉には鍵がかかっていますが、通常でもボタンを押すと照明が付き、格子越しに中が見えます。閻魔大王の左隣にいる奪衣婆のリアルさには思わず、目をそらし、後ずさりするほどです。
弘化4年(1847年)には泥酔者が閻魔像の目を取る事件が起き、錦絵になるなど江戸中で評判になったそうです閻魔大王は子供の非行防止、問題児の更生にご利益とのこと。


 奪衣婆は木造彩色で総高2.4m。死者の衣を剥ぐところから内藤新宿の妓楼の商売神、「正塚のばあさん」と呼ばれて信仰されました。



寅さん歩その10 健康ご利益めぐり-8 新宿区ー1を参照ください。

   
  [明了山 正授院]

  新宿区新宿2-15-20  最寄駅 千代田線 新宿御苑前駅

太宗寺の裏手の靖国通りに面した場所にあります。
閻魔大王はいなく、頭が白く優しいお顔の奪衣婆が小堂に安置しています。木造で像高70cm。片膝を立て、右手に衣を握った坐像で、頭から肩にかけて頭巾状に綿をかぶっているため「綿のお婆」とも呼ばれました。本像は咳止めに霊感があるとして幕末の嘉永2年(1849年)頃大変はやり江戸中から参詣人を集め、錦絵の題材にもなっています。当時、綿は咳き止めのお礼参りに奉納したと伝えられます。「咳の婆」や「子育て老婆尊」とも呼ばれていたそうです。


 [医光山 円照寺]

  新宿区北新宿2-23-2   最寄駅 JR東中野駅

新宿7丁目、北新宿百人町、北新宿1丁目に向かい、淀橋第四小学校隣にある真言宗のお寺。本堂左手の閻魔堂には脇仏の司令、司録、手前には艶っぽい奪衣婆が閻魔大王を取り囲んでいます。 創建は不詳ですが、天慶3年(940年)藤原秀郷が平将門征伐の際に一寺となしたと伝えられ、焼失した際には、春日局が施主となり再建したという古刹です。


      
スタートの芝公園駅からゴールの東中野駅まで通して歩くと約16kmのお閻魔様めぐりでした。

 [こぼれ話] 閻魔大王と奪衣婆の役割

閻魔大王は嘘をつくと舌を抜く、恐ろしい地獄の大王と思われがちですが、生前の行いを鏡に照らして、死後の行き先場所を決める裁判官の役割を持っているお方だそうです。生前の行いとは悪行だけでなく善行もご覧になるようですから、これからの善行も間に合いますね。地獄に落とされる確率を少しでも少なくするために、生前からお願いしておくのが「閻魔参り」とのこと。
閻魔大王は日本の仏教では地蔵菩薩の化身と同一視され、再び罪を犯さないために、恐ろしい顔で叱咤しているとのこと。
奪衣婆は閻魔大王に仕える老婆で「正塚婆」とも呼ばれていますが、その役割は諸説があるようです。今回もそのお顔に大きな差があると感じました。

死者が三途の川を渡るときに渡し賃である六文銭が徴収されるが、銭を持たない死者からは着物を剥ぐ老婆だと言う説。

死者の着物を剥ぎ取り、その重さを計り、生前の罪の程度を閻魔大王に報告する老婆だと言う説。着物の重さを計るのは近くにいる懸衣翁という老爺とのこと。

閻魔大王の妻だと言う俗説もあるとか。

でも、今回のお参りで閻魔大王が子供のしつけや非行更生を受け持ったり、奪衣婆が子育てや咳止めを治す役割もあるのだと知った寅次郎でした。

 次回はお江戸の閻魔大王-2です。

               

  平野 寅次郎 拝