紀行
お江戸の閻魔大王-2 (牛込神楽坂~門前仲町) |
平野 武宏 |
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お江戸の閻魔大王には「寅さん歩 その11 江戸・東京の祭-28 (江戸らしい祭ー12)閻魔まつりで7ケ所訪問しましたが、お江戸の閻魔大王はなんと44ケ所もあるとのこと。2012年寅次郎がお江戸に移り住み、入会した東京都ウオーキング協会(以降TWA)では8回に分け、2年間かけて歩いて巡る予定と知り、「寅さん歩」の新たなテーマとして取り組みます。今回はその2です。 閻魔大王にはご開帳の時(藪入りの1月・7月)にしか、ご尊顔を拝見することが出来ませんが、当日はTWAが寺院に特別にお願いして、お会いすることが出来ます。 平成28年(2016年)4月10日に7ケ所の閻魔大王にお会いしました。(累計14ケ所、内1ケ所は奪衣婆のみ)説明内容の一部は当日の配布資料も参照しています。 [薬龍山 光圓寺 正蔵院] 新宿区神楽坂6-54 最寄駅 大江戸線 牛込神楽坂駅 神楽坂上の赤城神社手前の路地を左折した右側にあります。 長禄年間(1458年頃)千代田村で開山、田安門から元和2年(1616年)に当地に再興された天台宗の古刹。ご本尊は太田道灌が江戸城築城で千代田の野辺の草を刈らせていた時に1人の僧が道灌に預けた薬師如来とのことから「草刈薬師」と呼ばれました。明治44年(1910年)閻魔大王尊がご本尊の近隣の養善院を合併。運慶作と伝えられた閻魔大王は焼失し、今の閻魔大王は在家の寄贈によるもの。座高1.5mほどの木彫ですが、かなりの年代物で各所に修復の疵があるとのこと。「草刈薬師」の脇仏なので「草刈閻魔」とも呼ばれているとのこと。 閻魔大王は薬師如来の前に鎮座しています。 [安養山 浄土院 還国寺] 文京区小日向2-19-7 最寄駅 有楽町線 江戸川橋駅 赤城神社脇を抜けて、石切橋に出て、江戸川橋交差点から小日向方面に右折すると、左側にあります。山門を入るとすぐ右側に閻魔堂がありました。寛永8年(1631年)創建の浄土宗のお寺で明暦2年(1656年)当地へ移転。閻魔大王は古いわりにはお姿が鮮明でしっかりしていて、表相もきつくなく、説得調とのこと。 [常光山 源覚寺] 文京区小石川2-23-14 最寄駅 三田線 春日駅 大日坂下の手前から春日二丁目方面に行き、金剛坂を上り、春日通りに出て、富坂下を左折すると左側にあります。 「こんにゃく閻魔」で知られる浄土宗のお寺。鎌倉時代の作と伝えられる檜寄木造りの閻魔大王の座像。眼病平癒の願をかけた老婆にあげた右眼はひび割れて濁っているそうだが、堂内が暗くてよくわかりませんでした。
[和順山 法真寺] 文京区本郷5-27-11 最寄駅 大江戸線 本郷三丁目駅 本郷の東京大学赤門の真向かいにある浄土宗のお寺。参道脇には樋口一葉が幼い頃を過ごした家があったとのことで、境内には「一葉観音」(写真下右)がありました。 本堂内の右手奥に約1.2mの閻魔大王が鎮座。前には裸姿の奪衣婆がいて驚きました。柵がありこれ以上近づけませんでした。 |
寅さん歩 その11 江戸・東京の祭-36(新しい祭-4)を参照願います。 [東叡山 寛永寺 清水観音堂] 台東区上野公園1-29 最寄駅 JR上野駅 東京大学構内を抜けて、池之端門から出ると、不忍池です。 前方の上野のお山には徳川家康・秀忠・家光の三代の将軍に影響を与えた天台宗の天海大僧正が寛永8年(1631年)京都東山の清水寺に模して自費で建てたと言われる寛永寺清水観音堂が見えます。
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[大方山 華厳寺] 墨田区本所2-12 最寄駅 浅草線 本所吾妻橋駅 上野駅パンダ゙橋から浅草通りを直進、駒形橋を渡り、本所二丁目にある浄土宗のお寺です。創建は不詳ですが、元禄5年(1692年)小石川 傳通院の末となり、堅圓寺から改名したとのこと。「厄除け閻魔」として古くから親しまれてきたそうです。閻魔堂の中でガラスに囲まれて鎮座、フラッシュの反射で見にくい写真になってしまいました。
[賢臺山 法乗院] 江東区深川2-16-3 最寄駅 大江戸線 門前仲町駅 両国、森下から深川方面へ小名木川まで南下し、仙台堀川を渡り、清澄通りを行くと左側にあります。 真言宗豊山派のお寺で、「深川のゑんま様」と親しまれ、江戸の町人気質を盛り込んだお芝居にも登場する閻魔堂。閻魔堂は宝暦10年(1760年)に建立、東京大空襲で焼け、戦後に建て直されました。 閻魔大王はハイテク技術内臓の高さ3.5m、幅4.5mの巨大さです。手前にある19のご利益の壺にお賽銭を投げ込むと、光と音と共に、ご利益毎に閻魔大王のお説教が自動的に流れます。 寅さん歩 その10 健康ご利益めぐり-6 江東区-1、その11 江戸・東京祭-28 (江戸らしい祭-12)を参照願います。19のご利益が分かります。 |
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[こぼれ話]山号、寺号、院号 寺院の名前には「○○院」や「○○寺」の呼び名があります。 「院」とは平安時代に天皇の退位後の「御所」につけられた名称で、その後は皇族の住居や摂家や将軍・門跡にかかわる寺の名にも用いられたとのこと。 中世以降になると、寺院の正式呼び名として「○○山○○寺○○院」の名称が用いられるようになりました。「山号」とは寺院は修行の場所であることから、付けられました。「寺号」・「院号」には格式の差はなく、どちらか親しみやすい呼び名をそれぞれの寺院が名乗って「寺院名」としたそうです。正式に山号・寺号・院号の3つ並べている寺院もあります。 |
今回は自分の眼まで差し上げてしまう慈悲深い閻魔大王や自らも衣を脱いだお姿の奪衣婆にお会いしました。牛込神楽坂駅から門前仲町駅まで通して歩くと約17kmです。 次の「お江戸の閻魔めぐり-3」は7月の予定です。どんな閻魔大王や奪衣婆にお会い出来るか楽しみです。しばらくお待ちください。 |
次回は江戸らしい祭り-21です。 平野 寅次郎 拝 |