紀行

江戸・東京の祭-47
(江戸らしい祭ー21)
平野 武宏

 平成28年(2016年)4月24日(日)にはこんな祭りがあり、祭りの掛け持ちをした寅次郎です。

 
[孔子祭]湯島聖堂

  最寄駅 JRお茶の水駅 聖橋口

聖橋を渡り、右手にある湯島聖堂は儒学に傾倒した五代将軍綱吉が上野忍ケ岡の孔子廟と儒学者 林羅山の私塾を元禄3年(1690年)に当地に移したのが始まりで、旗本や御家人に儒学を教えるため、孔子の生地の昌平郷にちなみ名を付けた幕府直轄の昌平坂学問所です。孔子像を中心に弟子の顔子・會子・子思・孟子の四賢哲を安置した孔子廟(大成殿)などを新たに設けました。幕末には藩士や浪人の入学も許可しています。維新後は新政府の所管となり、明治4年(1871年)文部省の設置と入れ替えに廃止となりました。
現在の聖堂(大成殿 写真下右)は昭和10年の再建で鉄筋コンクリート造り黒漆塗りの重厚な建物です。



毎年4月第4日曜日に孔子祭(釋奠)が行われます。釋奠(せきてん)とは古く中国で孔子をはじめとする先聖先師に牛や羊などのいけにえを供えて祀ったことに始り、現在の聖堂ではお酒、生鯉、野菜をお供えして孔子の学問を顕彰しています。湯島聖堂では元禄4年(1691年)から行われたとのこと。明治維新で絶えましたが、明治40年(1907年)に復活し、今日に至っています。祭りは湯島聖堂の維持管理を任されている斯文会(しぶんかい)理事長が祭主、神官は神田神社神職、来賓に台北駐日経済文化代表処副代表、式次第には煎茶道松風花月流家元の献茶、講経(『論語』述而第七)や「孔子頌徳の歌」などがありました。



大成殿の下には高さ約4.5m、重さ約2トンの世界最大の孔子銅像があります。微かな笑みを浮かべて思案にふけっています。昭和50年に台湾から寄贈されました。銅像の手前には楷樹があり、楷は中国の孔子墓所に植えられ、枝や葉が整然としているので書道でいう楷書の語源になっているそうです。

寅さん歩 その8-5 東京発祥之地めぐり~学問・文化編-1~参照ください。




 
[赤羽馬鹿祭り]

   最寄駅 JR埼京線 赤羽駅 東口

名前を聞き、「なんというお祭か!」と思い、調べると太田道灌に所縁がある祭りと知りました。北区赤羽で毎年4月に行われる地域密着型のお祭り。
およそ500年前に江戸の開祖と言われる太田道灌は赤羽西の高台、今の静城寺境内に稲付城を築き江戸北方の防衛の要としました。文武両道に秀いで、特に詩歌管弦の遊びに、遠く京の都から師を招いて地元民にも普及に努めました。
その偉業をたたえ、昭和31年(1956年)4月1日(エイプリルフール)にちなみ、シャレのつもりで地元の商店主たちが始めた仮装行列が予想外に大盛況で今日まで発展・継続されて、今年で第61回。土・日の2日間に駅東口特設ステージ、赤羽小、赤羽公園で各イベントがありますが、見所は本祭(日曜日)の三部構成のパレードとのこと。今年の特別ゲストの篠原信一(柔道家)のオープンカーを先頭にまずは15団体の若者の「音楽パレード」で千葉県、埼玉県、神奈川県から参加の団体もありました。




続いては大江戸下町太鼓を先頭に商店街9団体の「馬鹿踊りパレード」


今年の目玉は二十数年ぶりに登場する巨大な操り人形(写真下左)。最近、設計図や映像・写真を入手したことで再現に踏みきったとのこと。高さは約3m、手足や関節が操作によって自由に動く、すべて手作り。本体は物干し竿や木材、ペットボトル、発砲スチロール、水切り用のかごなどで出来ている。これに頭の部分や衣装を取り付け、顔は二科会の審査員を務める森岡謙二実行委員長が描いて完成とのこと。写真下右は地元企業の出し物、馬と鹿一体の怪動物?

               




洋風(フラメンコ)、和風(着物)、狐のにぎわい(狐は北区王子に関係深いからか?)、バカボンおやじなどが入り乱れて続く「馬鹿踊りパレード」。祭りを始めた初期は商店主たちが得体のしれない物に扮装していたとのことで引き継がれています。
    
そしてパレードの締めは7団体による「みこしパレード」

    

今や40万人の来場者が訪れる北区最大のイベントになり、太田道灌さんも地域に根付いたこの祭りを見て、苦笑いし、でも大満足のお祭りだと思っていると推察した寅次郎でした。

 
[こぼれ話]儒教と論語

儒教とは孔子を始祖とする思考・信仰の体系で紀元前に中国で興り、東アジア各国に長きにわたり強い影響力を持っています。日本への伝来は仏教より早く5世紀と言われ、日本では学問(儒学)とし受容され、国家統治の経世済民思想(世をおさめ民を救う)や帝王学的な受容されて、神道や仏教に比べて宗教との意識が少ないようです。

論語とは孔子と彼の高弟との言行を孔子の死後に弟子たちが記録した書物で512の短文が全20篇で構成。(短文数は諸説あり)篇の名称は冒頭の「子曰く」を除く、最初の語句の二文字(又は三文字)を取ったもので、内容上の意味はないとのこと。
例)学而第一、為政第二、・・・堯日第二十

[論語の名言例]原文は漢文です。

    
良薬は口に苦くして 病に利あり 忠言は耳に逆らい 行いに利あり(君子たるもの部下の意見に傾聴を忘れるな)

故(ふるき)を温めて 新しきを知れば 以て師となるべし
(先人の学問や過去の事実を学び、そこから現在・将来の新しい道を知ることが出来る人は師として仰いでもよい)

巧言令色 鮮(すく)なし仁
(口が達者で都合の良いことを言う人物に限って本当の思いやりに欠けている)

    
過ちを改めざるを これ過ちという
(過ちを犯して改めず、そのままにしておくこと、それこそ本当の過ちというものだ)

いずれも人の生き方の教えを諭す古典です。完成の時期は孔子死後400年といわれますが、2千年も前の中国での立言が現代での生き方の指標にもなっていることに驚いた寅次郎でした。

次回は花の祭-10です。


平野 寅次郎 拝